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42話-2 恐怖の底(リュカ視点)

「この期に及んで‥‥ッ、意味のわからな‥‥げほっ! ごほッ、‥‥ッ」


 自分のことを一切信じてくれないエルダーが、ひどいことを言おうとして激しく咳き込む。


『リュカ、エルダーは限界なんだ。体力も気持ちも、尽きかけてる』


 ルクスナの言う通り、騎士は体を大きく揺らし目に涙を浮かべるほど呼吸を乱している。


 手から剣が落ち、体は傾いで倒れそうになった。その場で四つん這いになってなんとか体を支えているが、立ち上がる気配はない。


 エルダーは一呼吸ごとに大きく体を揺らしている。


 その状況を、リュカは静かに眺めていた。その次に聞こえてくるだろう彼の言葉をじっと待つ。


 あんまり激しく咳をするから、やがてエルダーは嘔吐した。それでようやく落ち着いたらしい。


 涎を垂らし苦しそうな顔をした彼が顔を上げる。その目は明らかな敵意を持っていた。


「エルダー、なんで‥‥」

「はぁっ、は‥‥っ」


 答えないエルダーの代わりに、リュカの脳内には似た景色が蘇る。


 それは、いつかの事。

 悪いことを言われ、石を投げられ、いてはいけないのだと言われた事。


 エルダーは言わない。まだ言われていない。けど、その顔は一緒だった。


 聞こえてくる気がして、リュカの踵はずれる。


「やだ‥‥」


 頭の中、エルダーからもらった言葉が繰り返し流れはじめる。あたたかな言葉ではなく、ひどい言葉ばかりだ。


 ぬくもりを知っていたはずの胸がそれを忘れていく。得体のしれない何かに貪り喰われていく。


 喰われた場所がぽっかりと穴になり、そこに冷たい風が吹き込んでくる。


 寒かった。


 リュカは凍えそうな体を抱きしめて必死に耐えた。乾いた唇が縋る先を探す。


「なんで‥‥? どうしてエルダー僕にひどいこと言うの? 友達って言ってくれたのに‥‥。ひどいよ。ひどい。ひどい‥‥」


 だが、縋る先などどこにもなくて、ここにはいないチトセの姿を思い浮かべる。


「チトセのうそつき。大丈夫って言った‥‥」


 それを口にした直後思考が揺れる。「ひどい」と思った。


「ひどい、ひどい‥‥」

『リュカ、大丈夫か? ひどいこと言われてショックなのはわかるけど、あんま思い詰めるなよ。なぁ、おい』


 思考の反芻に苛まれた暗い瞳がエルダーを映す。


『ちっ。これだからガキは‥‥』


 リュカの視線に怯え、再度剣を掴もうとした騎士の前にルクスナが飛んで行った。


『おいエルダー! 魔力切れで疲れてるんだろ? もうやめろ。やめろって。剣なんかとるなって!』


 精霊は身を挺して剣とエルダーの間に入った。剣に伸ばされる手を遮るように飛び回る。邪魔をされた男は顔を歪めたが、剣から視線を外しその場に座りなおした。


 呼吸するのも一苦労な様子のエルダーは胸のあたりを握りしめ、浅く胸を上下させながら吐く息に乗せて言葉を発する。


「いつから、ですか。いつから、貴方はルクスナと‥‥はぁ、こんな、ことを‥‥」


 何も残っていない大地を見渡し「こんな惨いことを」と言う。


「違うのに‥‥。信じてくれないんだ。エルダー。僕のせいにするんだね」


 それが騎士に聞こえたかは分からない。


 リュカの中で、エルダーが裏切るのはこれで3度目だった。恋人ができた時。再開した時。そして今。


 空になった胸を埋める、黒い気持ち。


 否定の反芻が終わり、エルダーの言葉がこだましていたうるさい頭の中から音が消える。


 ゆっくりまばたくと、目の前の騎士がさっきとは違ったように見える気がした。


「やっぱりお前、僕のエルダーじゃないんだね」


 そう言って顔を覆い隠す手に力が入る。爪を立て、皮膚に傷がつくのも厭わない。うっすらと血がにじんだ程度じゃ痛みのうちに入らなかった。

 細い指の間から、大きな黒い穴が覗く。


「エルダー、いつも最後まで僕の友達でいてくれないね。僕からルカを離れさしたのに。俺がいるから寂しくないだろって言ったのに。だから僕はルカとバイバイしたのに。恋人ができたら結婚して、そしたら僕は一緒に居ちゃだめになった」


 思い出すのは異世界のエルダーとの思い出。


 痛くてこわくて、だけど自分のことを好きだと言ってずっと一緒にいると約束してくれたルカ。

 そんな彼を遠ざけたエルダーは、あたたかくて優しくて、だけどずっと一緒にはいてくれなかった。


「エルダー、僕を1人にしたいの? じゃなきゃ僕から取らないよね。ルカをとって、キルターンもとって、エルダーもとってった。なのにまた友達になろうって言った。‥‥今度は何を取るの?」


 リュカはそうっと手をずらす。爪が皮膚を破るから、額から血が流れて目を赤く染めた。


 エルダーが顔を歪めたから、それを見ないようにリュカはカラカラで湿った地面を見ることにした。そして、彼に向かってゆっくり歩きだす。


 立てずにいる騎士の傍に、弱弱しい光が灯った。ルクスナとは違う白い光だ。よろりと飛び立ち、エルダーの肩に止まる。


 リュカは足元に転がる炭をつま先で潰しながら近づいていく。


「ねぇ、エルダー。今度は何をとるの? もしかして、チトセをとる気? それなら僕、許さない‥‥」


 エルダーをあたたかな光が薄く包む。それはほんの少しの間で、すぐに消えてしまった。騎士の肩から光の粒が空気に溶けるように失われていく。


 精霊の名前を口にしたエルダーが呼吸を整え拳を握った。


 声を聞いて、リュカが顔を上げる。優しげな声が聞こえたと思ったのに、目の前の彼は自分を睨みつけている。


 それを肯定と捉えたリュカの中を、ざわめきが支配した。やっぱりそうなんだという確信。


「許さない‥‥。許さない。許さないぃ‥‥ッ!」


 このままでは一番大切なものを奪われてしまう。そう思い捲し立てる。血の付いた指先で心臓をかきむしり、体を震わせて甲高く叫ぶ。


「チトセは僕のなのっ! エルダーには絶対あげないっ。チトセを取っちゃうならエルダーなんか要らない! 要らないっ。要らない‥‥ッ!」


 要らないと言いながら、リュカはエルダーに手を伸ばしていた。


 騎士は剣を取り、膝を立てる。だが立ち上がらない。


 視線を逸らさず、エルダーは動きを止めている。そんな男に、リュカは泣きながら迫った。空を彷徨う指先がいち早く彼に触れようとしてふらふらと揺れる。


 あと数歩という所で、唐突にリュカは歩みを止めた。肩で大きく息をして、乱れた呼吸のまま「ひどいよ、エルダー」と小さく唸る。


 流す涙が血を洗い流す。


「僕を好きって言ってくれたのに。友達だって言ってくれたのに。ひどいことしないって。ずっと一緒だって、言ったのに」


 そうしてその場で膝を折った。しゃがみ込み嗚咽して、それでも暗い瞳を騎士へと向ける。


「好き。エルダー好き。嫌い。嫌い、嫌い‥‥」


 か細い悲鳴のような告白に、剣先がほんの少し下がる。


 それを見て、リュカは再度手を伸ばした。今度は両手で、強く求める。


「エルダー‥‥。お願い、僕を好きって言って‥‥」


 縋りつくように仰ぎ見た彼の瞳は揺れていた。


 騎士の手がそれでも剣を握りしめるのを見て、精霊が飛び出す。


『やめろ、エルダー!』


 その瞬間、震えた彼は剣を振りかざしていた。


「さ、去れッ! 悪魔め!!」


 無防備な薄い体を鉄が貫く。ルクスナが悲鳴を上げて飛び回る。


「エル、ダー‥‥」


 けふっと咳き込んだリュカの両腕が力なく落ちて、指先に煤が触れた。

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