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42話-1 恐怖の底(リュカ視点)

 チトセに言われた通り、リュカは2度目の魔法のあとで森から出た。


 真っ黒くて赤い大地をエルダーの元へ一直線に走り寄る。


 地面は瓦礫や何やらでぼこぼこしていて進みにくいが、跳ねるように走ればなんてことはなかった。夢の中だから息も切れない。


 遠くに見えていたエルダーが近くなると、自然に足が遅くなった。またひどいことを言われやしないかと身構えるが、チトセの言葉を思い出して「大丈夫‥‥」と呟く。


 地面に座り込むエルダーの様子がおかしく、あれと思う。彼はひどく暗い顔をして俯いている。


 リュカは思わず叫んでいた。


「エルダー!」


 その声に顔を上げたエルダーはリュカを見るなり煤けた頬を引きつらせた。ぼんやりとしていた目が見開かれていく。


「エル、ダー‥‥?」


 それを見て歩き出した足がまた止まりかける。夢に来る前悪魔と呼ばれた時のことを思い出して、肺が重くなった。すぐに首を振る。


「違うもん‥‥。チトセ、大丈夫って言ったもん‥‥」


 震えたエルダーの口元が徐々に開いていく。それを祈るような気持ちで見つめながら、リュカは進んだ。


 何か言うかと思ったのに何も言わない騎士の傍から黒い光‥‥精霊が飛び立った。燻ぶった地面から上がる黒い煙を避け、身軽に近づいてくる。


『半魔の子供! 来てくれたんだな』

「黒いの!」


 精霊は嬉しそうに点滅して辺りを探すように回転した。


『ルクスナな。‥‥あの女は? レコメラも』

「チトセのこと? いないよ‥‥。レコメラと、偽物のとこ行ったから」

『そうか‥‥。まぁ、そうなるよな』


 どこかがっかりしたような言い方に、リュカの心臓がきゅうと縮む。


「だ、だめだった‥‥? 僕じゃ‥‥」

『だめじゃねぇけど、俺じゃお前とエルダーとの間を取り持ってやれねぇから』

「そうだ、エルダー‥‥。僕をこわいって思ってないかな‥‥」


 リュカがエルダーへと視線を戻した時、彼もこちらを見ていた。まばたきもせず、硬い表情のまま黙っている。


 それがリュカには落ち着いているように見えた。


「あっ! ルクスナのおかげで、エルダー平気になったみたいっ」


 そうは言ったものの、違和感も感じた。エルダーは笑っていない。


 だからリュカは彼の気持ちを知ろうとじっと見つめたが、ため息をついた。


「‥‥やっぱり、分からないや」


 いつもの夢なら相手の感情が手に取るように分かるのに、この夢ではできない。


「エルダーに触ったら、わかるかな」


 笑顔でない表情の意味を探ろうと、彼の考えていることを知ろうと、エルダーの感情に触れようとする。


 手を伸ばす自分を見て、エルダーが少し肩を揺らした気がしたが、それもなぜなのか知りたかった。


 そんなリュカを精霊は止める。


『おい、やめとけよ半魔』


 どうして止められるのかわからなかった。リュカにとってこれはただの確認で、しなくてはいけないことだ。でないと、苦しい。


「僕、リュカだよ。半魔って言わないで」


 それからエルダーへ向けた指先に力を籠めるが、何もない。


「‥‥ここ、やっぱり僕上手にできないんだね。嫌な夢」


 腕を下ろして、リュカはエルダーに向かって歩き出した。直接触れるためだ。


 察した精霊がまたもや口を出してくる。進路を邪魔するようにリュカの前を飛び回る。


『おいおい、リュカ。待てって。まずは話をしたほうがいい』

「ルクスナ、うるさいよ。だってエルダー震えてて、喋れないんだよきっと。それに‥‥」


 瞳孔の大きさ。瞬きの数。眉のかたち。口元の震え方。それらすべてが嫌だった。


「僕、エルダーにあんな顔してほしくない。もっと笑って欲しい。どうしたらいいか知りたい。きっと、触ったらわかるよ、そうでしょ?」

『‥‥一理あるかな』


 それきり、ルクスナは黙り込んだ。


 走っている時は気が付かなかったが、足元には死体が多い。正直邪魔だ。

 人の腕の形をした煤を除け視線を上げた時、エルダーが座ったまま後ずさりしたのが見えた。


「あ‥‥」


 やっぱり、とリュカは止まる。


 触れていない。いつものようにはわからない。だけど、わかる。

 近づいて彼の呼吸が聞こえたから余計にそう感じるのかもしれない。


 彼はこわがっている。


「僕が‥‥。やだ。エルダー、だめ‥‥」


 菓子を踏むような軽い感触があって、体が揺れる。視線だけ落とすと先ほど避けた腕が崩れていた。


 潰した炭の色。ここはどこも同じ色で溢れている。自分の胸の中もそういう色でいっぱいになるような気がしてきて、そうっと顔を戻す。と、体を揺らしたエルダーと目が合った。


 彼のきれいな夏の葉色の瞳が、大きく動く。

 ぎこちなく開いた口から、乾いた音が出てくる。


「る、ルクスナ‥‥。貴方は、まさか、こんな者まで呼び出して‥‥」


 いつもの優しい声じゃない。上ずった、おかしな呼吸の混じる声だった。


 止まって、そこからエルダーを観察する。


 力も使ってないし、触れてもない。なのに、彼の気持ちが分かる気がして、リュカは体の前で服を握った。


 まだ絶対じゃないと自分に言い聞かせるように、両手に力が入る。


「僕が‥‥こわいの、エルダー‥‥」


 エルダーから返事はなかった。かわりに、一歩進んだリュカを避けるようにまた少し、彼は後ろへ下がろうとした。


「‥‥っ!」


 心臓を掴まれた気になって、リュカはその痛みに背を丸めた。押さえてもなくならない痛みに、言葉をなくす。


 精霊が目の前で強く光った。


『リュカ、落ち着け。エルダーは確かにこわがってる。けどそれはお前にじゃない』

「じゃあっ! なにに!」


 嫌で嫌で仕方がなくて、リュカは叫んだ。ルクスナが『落ち着けって!』と言うが、まるで落ち着けるわけがない。


 恐れていたことが起きかけていた。確かめるように、再度問う。


「エルダー‥‥。嘘だよね? 僕、こわくないよね。友達‥‥だもんね?」


 エルダーは微かに首を動かした。


 それは小さな否定だった。


 強い言葉も大きな音もない。殴られたわけでも蹴られたわけでもない。なのに、何より痛かった。リュカの喉が浅く鳴る。


「あ、貴方と私が‥‥友達‥‥?」


 掠れた声でそう言って、エルダーは膝を立てた。なんとか立ち上がろうとして、できずに前向きに倒れる。


 倒れた先には鈍く光るものがあって、それを見つけたエルダーは拳を握った。手を伸ばし、掴み、かざす。


 自分に向けられた剣を見て、リュカの口の中が苦くなっていく。


 エルダーは膝立ちのまま精霊とリュカを睨みつけ、怒鳴った。


「いくら‥‥っ! いくら私が憎いとしても、ルクスナ‥‥! 悪魔を呼び出してまでこんなことをしなくても良いでしょうに‥‥っ!」


 悪魔。


「‥‥‥‥」


 その言葉以外、残らなかった。


 どう受け取っても取り繕えない拒絶の言葉に、リュカの目の前が真っ暗になる。見えているのに、見えなくなった。心が煤け、重たくなっていく。


『リュカ! 待て! 今のは間違いだ! 話せばわかるから、落ち着いてくれ!』


 視界に入っているはずの光の粒も見えていない。


「うぅ‥‥っ」


 小さく唸ると、リュカはゆっくり俯いた。


 身を丸め、全身を震わせる。おぼつかない足でふらつく体を支えると、足の裏がくしゃりとした。潰したものがどろりと靴を汚す。


 汚いな、と思った。


「僕、やだ‥‥」


 汚れた靴。生ぬるい中身のしみる感触。そのどちらでもない。


 エルダーが自分を悪魔と呼んだこと。そして、自分を恐れ、敵と認識し、剣を向けた事。全部、全部が嫌だった。


「僕‥‥。僕、‥‥。う、ぅう‥‥」

『リュカ、エルダーは忘れてるだけだ。ひどい夢をみて、疲れてるだけだって。あんなの本気なわけないだろ? なぁ』

「ぅ、ん‥‥っ。うん‥‥っ」


 ルクスナが諭すたび、リュカは必死になって頷いた。しかし、だめだった。


 体がそわそわと揺れ、視線もせわしなく動く。噛みしめたい歯を浮かせて唇を噛み、鼻を鳴らしてなんとかわかったように見せる。


 それでも胸のざわめきは全く減らなかった。


「だめ‥‥。違うの‥‥。違うぅ‥‥!」


 エルダーは剣を下ろさない。それどころか、いっそう強く睨みつけてくる。その目の恐ろしさはルクスナが話しかけてくるたびに増していく。


 エルダーの視線、行動が自分を拒んでいる。


 頭を強く振って、嫌な考えを吹き飛ばす。


「僕、悪魔じゃない‥‥。僕、リュカだよ。エルダーの、友達‥‥」

「やめてくださいっ!」


 一生懸命振り絞った言葉も気持ちも、たった一言で突き放され、リュカの喉奥が押しつぶされるように痛みだす。


 深い穴の底のような目がエルダーを捉え、放さない。その視線に騎士の喉元が上下する。


「こ、こんなことをしておいて、友達? 一体何が目的ですか君は‥‥! いえ、君たちは!」


 辺りを見ろと言わんばかりに男が腕を上げるから、リュカは頭を揺らした。


「これ‥‥僕がやったんじゃないっ。エルダーがやったんだ‥‥!」


 泣きたくてたまらなくて、叫ぶと同時に涙が溢れた。


 心の奥には暗く深い闇の底。そのぎりぎりのところに立ちながら、チトセが大丈夫と言ったことを思い出し信じてリュカは踏ん張る。


「信じてッ! 僕はエルダーの友達でしょ! そう言ってくれたでしょ‥‥ッ! 僕、エルダーの嫌なことしないよぉっ」


 本当のことを本音のままに。どうか伝わってほしいと縋るような気持ちで。


 エルダーは剣を下ろさなかった。


「そんな、馬鹿な‥‥。こんなことをしておいて、信じられるわけがない‥‥ッ!」


 自分に向けられた切っ先が冷たく光るのを静かに見つめ、リュカは息を止めた。


 辺りは暗い。景色は何一つ変わっていないのに、色だけがなくなっていく。


 落ちそうだった穴。気づけば、リュカはもうその中にいた。

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