40話 3度目の夢の、違和
ソファに座る私の前には可愛い花柄のカップ。その中に注がれていく紅茶からは湯気が上がる。
手際よくお茶の用意していく呪いを前にして、私の頭の中には混乱と疑問がミルフィーユのように積み重なっていく。
(どうしてこんなことに‥‥)
ファリーが一連の動作を終え、席に着く。優し気な笑みが私に向けられ、何も持っていない綺麗な手の平が差し出された。
「さぁ、どうぞ」
「へ‥‥っ!? あ、ありがとう、ございます‥‥」
手に取るよう促されたカップに指をかけるとカチャカチャ音を立てるものだから、急いで持ち上げる。彩りで入れられた花弁が揺れた。
いい香りがするのに、何の臭いかわからない。そんなこと考えている余裕がない。なのに緊張のせいか余計なものに気を取られてしまう。
並ぶチョコレートの形。彼女の指先。クッキーの種類。両手の動き。
ファリーがいくつかの小瓶を私の前に並べる。
「お砂糖も、はちみつもあるのよ。レモンは‥‥なかったわね。代わりにチョコレートはどうかしら。お好きなものを入れてね」
「あ、はっ、はい‥‥」
レコメラが口にするなと言ったのを思い出したからか、単に恐怖ゆえか。手にしたカップに口をつけることも、テーブルに戻すこともできず、ただ愛想笑いを返す。
頭が混乱していて、どうしたらいいのか全く判断つかない。
(一体、何が起きてるの‥‥!?)
前回マネキンだったはずの女性を見ればカップに唇をそっとのせ、優雅に紅茶を味わっている。
私の視線に気が付くと目を細めて「どうかしら?」などといたって普通に喋りかけてくる。
むしろ友好的過ぎるくらいだ。真意が読めず、どう動くのが正解なのか分からない。
「貴方はエルダーのお友達‥‥でしたっけ。お名前は?」
それを聞いて「そっちか」と思う。
レコメラの予想は当たっていた。ひとまず、良い方に。
呪いは記憶を引き継いでいる。だから私のことを覚えている。
ただし、態度からして敵対はしていない。となればやはり、私が彼女を刺したことは認識されていなかったとみて間違いなさそうだ。
1つ心配事がなくなった。
「えっと、チトセ、です‥‥」
「チトセさんね。あまり聞かないお名前ね。綴りはなんて書くのかしら」
ファリーの中では、私は偽エルダーの知り合いという所で止まっているのだろう。
「私はファルハリア。気軽にファリーって呼んでくれると嬉しいわ」
「あ、は‥‥。ファリー、さん‥‥」
「そんなに緊張しなくってもいいのに」
柔らかな物腰で彼女は浅く座りなおし、カップを置く。つられて私もカップを置いた。ガチャガチャと食器が音を立てる。
彼女は私を警戒していない。とはいえだ。
(れ、レコメラ‥‥! はやく戻ってきて‥‥!)
この状況は不気味すぎる。ヒントでも何でもいいから教えてほしかった。なぜ今彼女が動いているのか。
(近くに偽エルダーさんがいる? ‥‥そんな感じはしないけど)
血色の良い頬がチョコレートを含んで膨らむ。差し出されるが、遠慮した。小皿を置き、ファリーは「それで」とカップを手にする。
「チトセさん。他のお友達は?」
「‥‥えっ?」
喉が鳴った。
他のお友達、とは。
(リュカの‥‥こと‥‥?)
頬から、首元から、熱が去る。
ファリーにおかしな挙動はない。なのに指先の感覚がじりじりと落ち着かなくなってくる。
マフラーに手を伸ばし、柔らかな毛糸を握るが何かが渦巻くような気持ちは収まらない。鼓動が大きくなっていく。
熱の精霊に燃やされたリュカを思い出す。
「ほ、ほか、の‥‥?」
声は思った以上に引きつっていた上、小さかった。それでもファリーには聞こえたようだ。
「ほら、あの眼鏡のお友達」
「あ‥‥」
全身から力が抜けた。
(なんだ、レコメラのことか‥‥)
ファリーはカップにミルクを入れてかき混ぜている。その視線が、ゆるやかに私へと向けられた。
「それから、エルダーを殺そうとした男の子」
「‥‥ッ!」
体の中を一瞬で冷たい血がめぐるような感覚。
マフラーをぐっと握り、反対の手が背中に隠した短剣へと伸びる。
彼女は顔色を変えずスプーンを置いた。
「そ、‥‥っ」
言葉が出て来ない。何を言えばいいのかも、何を言ったらいいのかもわからない。
「あの子は、どこ?」
静かに立ち上がったファリーは朗らかに言った。
(リュカを覚えてる‥‥。そして、探してる‥‥)
それはなぜ? 答えは明白だ。
(敵だから)
私達と無関係でないことも分かっているだろうに、それでも私には微笑みをくれる。それがなにより‥‥こわい。
(どうしてそんな風に笑っていられるの。どうしてそんな目で私を見れるの。どうして‥‥)
ゆるやかな動作でファリーが徐々に近づいてくる。
(どこまで覚えているの? まさか‥‥私が貴方を刺したことも、覚えてるんじゃ‥‥)
立ち上がりたいのに膝に力が入らなくて立てない。声を出したいのに喉が詰まって声が出ない。
緊張のし過ぎで首が動かせなくて、だから視線だけで追うしかない。今どんな顔で彼女が私を見ているのか、わからない。
(こ、わい‥‥)
立てないのに、動けないのに、短剣を握る手だけが重たく感じる。
呪いが私の隣に膝をついてしゃがみ込む。細く整った爪が一人掛けソファのひじ掛けにかかった。
「教えて。あの子は今、どこにいるの?」
「あ、あの、子‥‥」
こわくて顔が見れなくて、視線が彼女の指先に釘付けになる。
「そう、あの子。危ない子。‥‥私たちの幸せの邪魔をする子よ」
優しい声音のすぐあとに、それは聞こえた。プラスチックを割るようにくっきりしていて、だけど果肉を潰すような粘着質な音。
錆びつき固くなったような視線をゆっくりと上へ向ける。
「ひぃ!」
ファリーは微笑みながら反対側の指先を噛み砕いていた。
咄嗟に身をよじると、膝がテーブルにあたった。その勢いでカップが倒れる。こぼれた紅茶に気を取られた呪いが私から視線を外した。
(あ、今‥‥)
今しかない。
気が付けば、私は強く握りしめたそれを思いきり振りかざしていた。目の前の、広い場所目掛けて振り下ろす。
「キャッ、ア‥‥ッ!」
甲高い悲鳴が上がるが、すぐに途切れた。
ソファから乗り出す体。暴れる腕が当たり乱れるテーブルの上。
「ふ‥‥っ」
気持ち悪さに呼吸が震えて声が出る。
突き刺した感触は、粘土じゃなかった。
「‥‥っ!」
離れたい。なのに私の体は彼女の方へ沈み込んでいく。
力が入らないから全体重を一点にかけたせい。暴れるから短剣を両手で握ってバランスをとったせい。
血まみれの腕に掴まれたマフラーが、その腕ごと落ちていく。
「あっ」
マフラーを追って体が更に前のめりに倒れる。
「ぐ、ッ」
私に押しつぶされ、後ろ向きに倒れたファリーの口から潰されたカエルのような声が漏れた。同時に赤い飛沫が飛ぶ。
彼女の足と顔が並んで見える。逆さに開いた本のようにおかしな姿勢。
彼女からはもう音が聞こえない。
「‥‥は」
ごとりと女の後頭部が床について、その時だった。
ぐにゃり。
「‥‥っ!?」
途端呪いが、世界が歪んだ。
「うっ、あ‥‥っ」
強いめまいのような感覚に襲われ、必死にしがみついた短剣がさらに深く肉を貫く。
(気持ち、悪い‥‥っ)
瞬きができず、動けもせず。ただ、何重にも重なる視界の中見下ろした先には‥‥口を開けたまま動かなくなった人形があった。
体勢がきつくて短剣から手が滑る。おかしな方向へ捻じれた刀身と肌の隙間から、赤いものが静かに流れ落ちていく。
やがて世界の異変が止んだ時、私の耳に聞こえてきたのは自分の浅い呼吸音。そして、したたる血の音だけだった。




