35話-2 失敗と混乱
薄明りの中ぼんやりとしか見えなくてもわかる。その声、その表情は、まさにエルダーそのものだった。
困惑する私を見て、彼もまた驚きの声を上げる。
「あれ? その声はチトセ様ですか? それに、リュカ様も‥‥。え? なぜお二人がここに?」
私達のことを知っている様子に、肩の力が抜けていく。
「それは‥‥、エルダーさんこそ‥‥」
状況的に安心はできない。だけどその声を聞くとどうしてもほっとしてしまう。白いローブを身に着けた彼を見上げ、私の頭は混乱していた。
警戒すべきなのか迷う私にリュカが抱き着いてきて、唸り声を上げる。
「うぅー‥‥! 来ないでっ!」
「ちょっと、リュカ!?」
しがみついてくるリュカの反応から、やはりこのエルダーは偽物かと不安に駆られる。リュカの腕を掴んで、男を見上げた。
エルダーにしか見えない彼が戸惑いの表情を浮かべ、頬をかく。
「す、すみません‥‥。まさかぶつかるとは思わず‥‥。お怪我はありませんか?」
ぶつかったから怒っているのだと勘違いして手を伸ばして来る、その手を音を立てて振り払い、リュカが叫んだ。
「チトセに触らないでっ!」
「リュカ様‥‥」
やはり、リュカはこのエルダーを敵視している。
(敵、なのかな‥‥。少なくともリュカはそう思ってる。でも‥‥)
拒絶されたエルダーはすぐに手を引いて「申し訳ございません」と沈んだ声で頭を下げた。何度も掴みかかってきた女性とは明らかに態度が違う。
(どこからどう見てもエルダーさんにしか見えない‥‥)
そういえば女性はどうなったかと心臓が止まりかける。すぐさま振り返り呪いを見て、更に驚いた。
呪いの様子は変貌していた。
「エルダー、会議はもう終わったの?」
そう言ってエルダーへと歩み寄る姿はまるで生きているよう。さっきまでの不気味さはきれいに消え去り、動きも声音も人間のように自然だ。
暗い部屋の中をエルダーの元までたどり着くと、彼女は彼の肩に手を添えた。しなだれかかるように身を寄せ、私たちに視線を向ける。
「この子たち、貴方の知り合い? こんな場所に連れて来ちゃだめじゃない。それとも、迷い込んじゃったのかしら」
1つしかない出入り口は彼らの後ろにある。いよいよ逃げ場を失い、私は座ったまま後ずさった。
「まさか。こんな危ない場所に連れてきたりしないよ」
「全くもう。本当に子供が好きなのね、貴方は」
「だから、誤解だよファリー」
今一番警戒すべきなのはどちらだろうか、と女性を見る。エルダーを見上げてにこやかに談笑する姿はいたって普通。恐ろしさはない。
「それはそうとこの部屋、なんでこんなに暗くしてるんです」
「暗い方が落ち着くんですもの」
「そのおかげで私は子供たちを転ばせてしまったんだよ」
「あら、私のせいだって言うの?」
2人の距離は近く、親し気だ。幸せな恋人同士‥‥のように見える。
(けど、違う‥‥)
彼女の胸の違和感が、普通という感覚を打ち消して来る。
呪いの胸には今もなお、私の突き立てた短剣が突き刺さったまま。
エルダーの精霊が部屋中のろうそくに火を灯し、部屋が明るくなっても彼女の胸元はそのままだ。むしろ良く見えるようになった。
だが、彼らがそれに気づいた様子はない。
「それで、お二人はどうしてこんなところにいらっしゃるんです」
エルダーが見下ろしてきた。いつも通りの柔らかな物腰だが、出口を封じられてるためか緊張してしまう。
とりあえず、座っているよりはマシだと立ち上がるだけ立ち上がった。相変わらずリュカは険しい顔をして私から離れず、エルダーに返事もしない。
「エルダーさんこそ、どうしてここに?」
言ってから、どこまで聞いていいものか悩んだ。目の前の彼が本人でないことは想像つくが、断定ができない。
なぜならエルダーの態度にはおかしいところがなに一つないからだ。自分たちを知っていて、敵対している様子もない。
おかしいのは、リュカの様子と状況だけ。
(むしろ戦場の彼の方こそ私たちを知らなかった‥‥)
それでも夢に来て真っ先にリュカが案内したのは戦場の彼だ。レコメラだって敵がこっちだと言って案内してくれた。真偽に間違いはないはず。
(でも、ならどうしてこんなにエルダーさんそのものなの、この人は‥‥)
違和感はないのに、違和感がある。
彼には女性の胸に刺さったものが見えていない。それに明るい場所で見て確信したが、彼の来ている白いローブはこの陣営の指揮官が着ていたものと同じだ。
(このエルダーは、本当のエルダーさんの敵。魔法を放っていた人‥‥)
そこまでは想像したが、その先がわからなかった。
(レコメラなら知ってるはず‥‥。あれ、そういえば、レコメラは‥‥?)
敵の背後の出入り口を見る。
精霊は部屋の前で見張りをすると言っていた。だが、それならエルダーが部屋に入る前に何らかの方法で教えてくれるはずだ。
(教えられないような状況になったってこと?)
私を見つめる2人を見る。友好的で穏やかな雰囲気しか感じないが、だとしたらレコメラはどうしたのか。
「あの、この部屋の前に‥‥もう1人いませんでしたか? 眼鏡をかけた、男の子なんですが‥‥」
しんとして顔を見合わせる2人をみて、心臓がどきどきと鳴った。
レコメラがいなくなっていたとしたら。
私たちを敵陣地の真ん中に置いて、どこかに消えたとしたら。
そうなったら、一体、私たちはこれから先どうしたらいいのか。
嫌な予感が胸をざわざわと揺らす。
「あっ。そういえば」
何かを思い出したようなエルダーに無意識に歩み寄ろうとして、リュカに止められた。振り向くと眉を寄せ、唇を引き結んだ彼が微かに首を振っている。
頷いて、身を寄せる。握った手は緊張のせいか冷えていた。
「もしかしたらさっき捕まえたと報告が来た子でしょうか」
「つ、捕まった!?」
それを聞いて思わず足が前にでる。リュカに引き戻されたが、レコメラの無事を考えるとどうしても気が気でなく、視線だけがリュカとエルダーとを往復した。
「えっと‥‥。無事、でしょうか‥‥」
「え? はい、無事ですよ」
こわごわ聞いたが、エルダーはいたって普通に答えてくれる。
彼にとって私たちは敵じゃないという事なんだろうかと思うと、余計判断に困った。
「不審な子供がテント内をうろついていたと先ほど報告があったんです。お二人のお連れ様でしたか」
「不審な子供‥‥」
見張りを放り出し敵陣営内を勝手にうろついた挙句捕まった精霊。
(何を考えてるの‥‥。レコメラ‥‥)
エルダーのことを知っていただろうに教えてくれなかったことを考えると、レコメラこそ何をしていたのか。そっちの方が不振に思えてくる。
「あの、その子私たちの友達‥‥なんです。放していただけたりとかは‥‥」
こんな場所で怪しまれたら最悪殺されるのではと想像するが、エルダーはあっさり頷いた。
「もちろん、解放いたしますよ。というか、捕まえたと言っても空き部屋に通しただけですから、ご安心ください。縛っても閉じ込めてもいませんよ」
「はぁ‥‥っ。よかったぁ‥‥」
それを聞いて心底安心した。このエルダーが笑顔の裏でひどいことに及んでいたりしたら、気持ちの置き所を完全に失う所だった。
(けどこの人は大規模魔術を何度もしてる。なんで?)
それを考えると、やはりこれはダンジョンの作った呪い側の幻影か何かなのだろうか。
思考はぐるぐると疑問を潰しては浮かび上がらせてくる。正直、わけがわからない。
「はは。いくらここが戦場とは言っても、あんな小さな子供相手に何もしませんよ」
明るく笑うエルダーはやはりいつもの彼だ。
理性的で乱暴なことはしない、気配りを忘れない良い人。それが更に思考を揺らす。
「チトセ様もリュカ様もお怪我がないようで何よりです」
「はい‥‥」
「ゆっくりお話ししたいところですが、実は今、少々立て込んでおりまして」
そう言ってエルダーは女性へ視線を落とした。胸の短剣が見えていないまま、微笑みあう2人。
「お茶を用意しますから、少しの間お待ちいただけますか。少し仕事を片付けて参りますので」
「あら、エルダー。もうはじめるの? じゃあ私も‥‥」
もしや、もう3回目の大規模魔術をはじめるのかと身構える。しかしエルダーは「違うよ」と肩を竦めた。
「次の魔法にはまだ準備がいるから、ファリーはもう少しここで休んでいて」
それから愛しい者を見るように彼女を見つめ、その額にキスをする。幸せそうなエルダーを見て、呪いも同じように微笑んだ。
その様子を、私とリュカは手を繋いで見つめていた。握る手の力はさっきから全く変わらない。顔を見ると、ずっとエルダーを睨みつけている。
私の困惑とは真逆で、リュカの気持ちは一定だ。
「では、お二人とも。付いて来てください」
言われるがままエルダーについて行く私たちを朗らかな声が見送る。
「すぐ帰ってきてね。エルダー」
「ほんの少しだってば。ファリー」
彼が振り返る先をつられて見れば、呪いは部屋の光を反射した目を輝かせてエルダーを見つめていた。
出入り口の幕が下がる瞬間まで、彼女は穏やかな笑みを絶やさなかった。




