第7話 命名
地図を畳みかけて、俺は手を止めた。
「その前に、呼び方を決めよう」
4人の視線が集まる。入口のそばへ戻ったNo.52だけは、外にも注意を向けていた。
「帝国を出てからも、番号で呼び合うわけにはいかない。本名を使えば、昔の身元につながるかもしれない」
「殿下のお名前は、特に危険ですね」
リゼットの言葉にうなずく。
「その殿下も、ここまでだ。これからは名前で呼んでくれ」
彼女は少しだけ唇を結んだ。
ようやく思い出した呼び方だ。俺にとっても、うれしかった。それでも、人前で口にするわけにはいかない。
「……承知しました。新しいお名前は、お決めになったのですか」
前世の名前が、頭に浮かんだ。
大樹。
たいじゅ………
そこから思い出したのは、物語やゲームで何度か見た世界樹、ユグドラシルの名だった。
世界を支えるほどの大層なものになるつもりはない。だが、この4人が安心して帰れる場所くらいは、作りたい。
「ユグリス。それでいこうと思う」
「ユグリス様」
リゼットが、確かめるように呼んだ。
初めて聞く響きだった。自分で選んだはずなのに、返事が少し遅れた。
自分で考えた名前を他人に呼ばれるのは、想像より照れる。格好をつけすぎたか、今からでも別の候補にするか。頭の中だけが忙しかった。
「ああ」
「お似合いです」
彼女は静かに笑った。
No.37が、自分の胸元へ目を落とす。
「ぼくたちも、変えていいんですよね」
「もちろんだ。使いたい名前はあるか?」
すぐには返事がなかった。
No.41が、膝の上で手を重ねる。
「昔の名前は、思い出しました。でも、今の自分の名前だと思うと……まだ、うまく結びつかなくて」
「ぼくは、ユグリス様に付けてほしいです」
No.37が顔を上げた。
「新しく呼ばれるなら、そういう名前がいい」
「わたしも、お願いしていいですか」
No.41が続き、入口のNo.52もうなずいた。
「わたくしもお願いします。候補があると助かります。名前を考えるのは不慣れなので」
「俺だって、慣れてないぞ」
「番号よりは、きっといいです」
No.37の言葉に、少しだけ空気が緩んだ。
俺はリゼットを見た。
「お前は、どうする?」
「私にも、お名前を頂けますか」
迷いのない返事だった。
「リゼットという名前を、嫌いになったわけではありません。でも、これから皆と使う名前が欲しいのです」
「分かった。気に入らなければ、遠慮なく言ってくれ」
紫の髪を見て、花の名前が浮かんだ。
「アイリスはどうだ。紫色の花の名前だ」
彼女が、小さく繰り返す。
「アイリス……」
口にした後で、そっと髪に触れた。
「はい。その名前で、呼んでください」
「これからも頼む、アイリス」
「こちらこそ、ユグリス様」
隣で、No.37が少し身を乗り出した。待ちきれないという表情が、顔に出ている。
「お前はリリー。どうだ?」
「ぼくも、花ですか?」
「ああ。ユリの花だ」
「……きれいすぎません?」
冗談めかした声だったが、指は落ち着かず、髪の先をいじっていた。
「似合うと思って選んだ」
彼女は髪から手を離した。
「じゃあ、リリーで。後から変えるって言っても、もう返しませんからね」
「返さなくていい。お前の名前だ」
リリーはうつむいた。今度は、口元が少し笑っていた。
「No.41は、ローズ。バラの花だ。No.52は、マリー。マリーゴールドという花から取った」
「ローズ」
赤い髪の彼女は、両手を胸の前で重ねた。
「うふふ、美しい名前で嬉しいです」
「それは良かった」
人の名前を考えるというのもなかなか緊張する。
金色の髪を耳へかけ、No.52がこちらを向く。
「わたくしはマリーですね。覚えました」
「マリーで大丈夫か?」
「もちろんです。皆さんにマリーと呼ばれるのが楽しみです」
「……そうか。よかった」
リリーが、3人の顔を順に見た。
「それにしても、皆ってこんなに美人だったんだね。さっきから、つい見ちゃうんだけど」
「あら、リリー。あなたもすごく可愛いわよ」
ローズがほほ笑むと、リリーは自分を指さした。
「ぼくも?」
「ええ。その笑った顔、とても素敵だもの」
「……そういうの、言われ慣れてないんだけど」
リリーは落ち着かない様子で、ピンクの髪を指に巻いた。それでも、口元はうれしそうに緩んでいる。
俺も、同じことを思っていた。
そろいもそろって、皆きれいだ。アイリスの上品な美しさも、リリーの愛らしい顔立ちも、ローズの大人びた色気も、マリーのすっきりと整った顔も、それぞれに目を引く。
しかも、顔が整っているだけじゃない。アイリスは笑う前に、ほんの少し目元を緩める。リリーは髪をいじりながら、こちらの反応を上目づかいで確かめる。どちらも、もう1度見たくなる仕草だった。
ローズが笑って身を寄せると、柔らかな唇が近くなる。服の上から分かる胸元の線へ、視線が落ちかけた。見るな。顔を見ろ。そう意識した先で、今度はマリーが髪を耳へかける。のぞいた首筋まで綺麗で、そちらにも目が行きそうになる。
落ち着け。名前を決めていただけだろう。
俺は美人に弱い。そこはもう、否定できなかった。触れたら柔らかいのだろうか、などと余計な考えまで浮かぶのだから、平静な顔をしていても中身は大したものじゃない。
息を乱さず、開きかけていた地図へ目を戻した。こんな考えが顔に出ていないことを願うしかない。
「ユグリス様?」
アイリスに呼ばれ、顔を上げる。
「いや。皆の少し晴れた表情が見れて良かったと思っただけだ。俺も4人は綺麗だと思う」
嘘ではない。ただ、どこまで見とれていたかを説明するつもりはなかった。
「ユグリス様も、とても素敵ですよ」
ローズにそう言われ、返す言葉を選んだ。
待て。褒める側でいたはずなのに、どうしてこっちへ戻ってくる。
「ぼくもそう思います。特に、さっきみたいに笑ってる顔がいいです」
「……俺の話は、いいだろ」
「私も、同じ意見です」
アイリスまで、静かにうなずいた。
「幼い頃から、整ったお顔をしていらっしゃいましたよ。笑われると、こちらまでうれしくなったものです」
懐かしむように目を細め、俺を見る。
「今は、すっかり立派になられましたね」
その言葉に、胸の奥が温かくなった。昔の俺を知る彼女に言われると、ただ顔を褒められるのとは少し違う。
「……ありがとう」
短く返すと、リリーが楽しそうに笑った。
「ほら。その顔です」
入口のマリーまで、口元を緩めている。これ以上は落ち着かない。俺は小さく息をつき、覚えたばかりの名前へ意識を戻した。
ユグリス。アイリス。リリー。ローズ。マリー。
早く馴染むように、心の中でもう1度呼んだ。
◇
アイリスが入口の見張りを代わり、マリーが机のそばへ戻った。
「出発までに、もう1つ話しておきたい。俺の《解放》についてだ」
名前を確かめ合っていた3人が顔を上げる。
「洗脳を解くだけじゃない。能力値やスキルの成長の限界も、解放できる」
「成長の、限界?」
リリーが聞き返した。
「力や速度といった能力値と、スキルだ。俺自身は、すでに解放されている」
視界に浮かべた表示を見ながら、分かったことを伝える。
施設では誰にも明かせなかった自分の力を、今は4人に話せる。
「皆にも試したい。これから先、強くなる余地を増やせるはずだ」
「今すぐ力が増すのですか?」
マリーの問いに、首を振る。
「限界がなくなることと、強くなることは別だ。そこまでは、俺たちで積み上げないといけない」
「それでも、行き止まりではなくなるのですね」
「ああ」
ローズが、そっと手袋を外した。
「お願いします」
差し出された手を取り、《解放》へ意識を向ける。
能力値の成長限界。スキルの成長限界。
ローズは手を預け、静かに待ってくれた。俺も口を閉じ、触れた手へ意識を集中させる。
剣を握る手とは思えないほど、指が柔らかい。意識するなという方が無理だった。だが、今することは決まっている。手の感触を追いかけそうになる頭を、解除する制限へ引き戻した。
洗脳を解いた時と同じように、すぐには終わらない。数呼吸かけて1つを解き、それからもう1つへ取りかかった。
「ステータスを確かめてくれ」
ローズが、見慣れたはずの表示へ目を向けた。
「……変わっています。成長限界が、どちらも解放済みに」
もう1度確かめてから、俺を見る。
「《再生》のレベルは同じですね。でも、これからは、今までの限界を越えられる……」
「ああ。そのために鍛えられる」
俺は息を吐いた。洗脳だけでなく、こちらも他人に使える。
続いてリリーとマリーにも、1人ずつ時間をかけて使った。最後は見張りを代わってもらったアイリスの手を取り、解除を終えるまで触れ続けた。
4人とも、同じ表示を確かめてうなずく。
「ぼくも、もっと強くなれるんですね」
リリーが、膝に置いた弓を見た。
「もう無理だって言われても、続けていいんだ」
「そうだ。帝国の連中に、限界を決めさせる必要はない」
彼女は弓を握り直した。さっきよりも、背筋が伸びていた。




