第5話 解放
扉の向こうには、まだ3人が待っている。
リゼットが、すき間から外を確かめた。
「周囲に異常はありません。3人とも、持ち場についています」
「No.41を先に呼ぶ。残る2人の警戒は、そのまま続けさせる」
「はい」
彼女は黒布を直し、任務中の落ち着いた表情を作った。まだ洗脳されたままの3人に、変化を悟らせるわけにはいかない。
呼ばれて入ってきたNo.41は、俺の前で足を止めた。
「食料の配分は済んでいます」
「分かった。今からスキルで確認する。片方の手袋を外して、手を出してくれ」
「はい」
彼女はうなずき、手袋を外した。フードの端から、赤い髪が少しのぞく。
「そのまま待っていてくれ」
差し出された手を取り、《解放》へ意識を向ける。入口の警戒はリゼットに任せ、触れた手を離さずに集中した。
数呼吸の後、洗脳が解けた。
彼女の指が震え、ひざが折れた。
リゼットが横から支える。No.41は息を吸いかけ、うまく吸えないまま胸元をつかんだ。
「ここは……」
「休息に入った小屋だ。覚えているか? 今、お前の洗脳を解いた」
俺は身を引き、声を落とした。
「俺もNo.26も、もう帝国には従っていない。ここに、あの連中はいない」
No.41は俺とリゼットを何度も見た。その目が、自分の両手へ落ちる。
「わたし……治して……」
途切れた声が、喉から漏れた。
「治して、また、あの部屋に……」
俺にも記憶があった。
拷問で倒れた者を治療室へ運ぶ。動けるまで治す。そして、また連れていく。
助かったと思った相手が、扉の前で暴れ出すこともあった。
彼女の《再生》は、苦痛を長引かせるためにも使われていた。
治したことまで、彼女を苦しめるのか。
どこまで奪えば気が済むんだ。慰めの言葉を探しても、先に出てくるのは帝国への悪態ばかりだった。今、彼女が欲しいのはそれじゃない。
「治した相手が、また拷問にかけられていたんだな」
No.41は答えられず、自分の指を握り込んだ。
リゼットが、その手に自分の手を重ねる。
「私たちも、命令のまま人を傷つけてきました。逆らうことさえ、考えられなかったのです」
しばらくして、No.41が細く息を吐いた。
安心したというには、あまりに苦しそうな顔だった。それでも、自分で呼吸を整えようとしている。
俺は水袋を渡した。
「今は、無理に話さなくていい。少し休んでくれ」
◇
残る2人も、順番に小屋へ呼んだ。
椅子へ座らせ、1人ずつ手を取る。そのたびに数呼吸、手を離さず集中した。入口ではリゼットが見張りを続けている。
No.37は、洗脳が解けた途端、布越しに口を押さえた。
「うそ……こんなの……」
ピンク色の髪を揺らして首を振り、何度も自分の顔に触れる。俺が事情を話しても、しばらく返事はなかった。
No.41が水袋を差し出す。受け取る手も、渡す手も震えていた。
最後のNo.52は、椅子に座ったまま動かなくなった。
金色の髪の下で、目だけが俺を追う。
「帝国から、逃げるのですか」
「ああ」
「わたくしたち全員で?」
「そのつもりだ」
彼女は長く目を閉じた。再び開いた時には、槍の柄を握る手から少し力が抜けていた。
誰も、帝国へ報告しようとはしなかった。
だが、自由になったからといって、すぐに笑えるわけでもない。
No.37は戸外の音に何度も振り向き、No.41は自分の手を見つめていた。No.52も、俺が立つたびに体を固くする。
やがて、水を飲んだNo.52がつぶやいた。
「さっきまでは……皇帝陛下のためなら、死んでもよいと思っていたのに」
俺も同じだった。仲間と話し、腹を立て、時には笑っていても、皇帝への忠誠だけは揺らがなかった。
今は、あの男のために命を捨てたくない。その当たり前の気持ちが、ようやく俺たちのものになった。
「お前たちも、捕まる前のことを思い出していると思う。俺もそうだった」
入口で見張るリゼットへ目をやってから、俺は3人に告げた。
「俺の名前は、アルヴィン・リュゼリアだ」
金色の髪のNo.52が、はっと顔を上げた。
「リュゼリア……滅ぼされた王国の」
「そこの第1王子だった。帝国は俺の《配下》を使うために生かした。No.26の本名はリゼット。俺付きの侍女兼護衛だった」
「No.26が……」
No.37が、小さくつぶやいた。
リゼットは外へ注意を向けたまま、静かにうなずく。
No.52は、槍を握ったまま俺を見つめていた。
「わたくしは……」
かすかな声に目を向けると、彼女は唇を閉じた。何かをためらうように視線を落とし、槍の柄を握り直す。
「……いえ。お話を、続けてください」
入口のリゼットが、彼女へちらりと目を向けた。一瞬だけ視線を留めたが、何も言わずに外へ向き直る。
洗脳が解けたばかりだ。まだ、うまく話せないこともあるだろう。
俺はうなずき、話を続けた。
「昨日、施設で俺の洗脳が解けた。自分のことも、国を奪われた時のことも思い出した。それで、今回の任務中に皆を解放して逃げようと決めたんだ」
前世のことまでは話さなかった。今、伝えるべきなのはこれからのことだ。
「俺は皇帝と上層部を殺す。国を奪い、俺たちをこうした連中を、生かしておくつもりはない」
3人が俺を見ていた。
「復讐はする。だが、まずは全員でここを出る。その後も一緒に来るかは、お前たちが決めてくれ」
No.37が口元の布を握った。
「……復讐についていかなくても、逃がしてくれるんですか」
「もちろんだ。帝国を出るまでは一緒に行こう。その先は、自由に選んでいい」
彼女は口元の布を握り直した。
「まだ、先のことは分かりません。でも、あそこには戻りたくないです」
「わたしも……戻りたくありません」
No.41の声に、No.52もうなずいた。
今は、それで十分だった。
戻りたくないと言ってくれた。その答えを聞けただけで、張りつめていた胸がほどける。
俺と同じだ。4人とも、あの場所へ置いていかなくていい。
「分かった。誰も置いていかない」
◇
「出発する前に、皆の古い傷を治そうと思う。俺自身の分もだ」
No.41が顔を上げた。
「古い傷……顔も、ですか?」
「ああ。顔も体も、失った味覚も。もう、帝国の命令で残しておく必要はない」
3人が動きを止める。
リゼットまで、入口から振り返った。
「……治して、よいのですか」
No.41の口から出た言葉に、胸が痛んだ。
「ああ。治していい。……お前自身は、どうしたい?」
問い返すと、彼女はゆっくり自分のほおに触れた。
「治したい、です」
震える声だった。
「ずっと……こんな顔だったから。わたし、もう……」
「治せる。お前の《再生》なら」
俺たちには、初めから治す力があった。
帝国が、それを使わせなかっただけだ。
「まず俺がやる。見ていてくれ」
黒布を下ろし、自分の顔に触れる。
No.37が息をのんだ。その目が、焼けただれた跡に止まる。
昨日まで、この傷を残すことに疑問さえ持たなかった。
目を閉じ、《配下》を通して共有している《再生》を使う。
命令に従い、いつも避けていた古い傷へ。
温かさが顔から首へ広がった。ほおを引っ張っていた感覚が緩み、口元が動く。右と左で違っていたまぶたの重さも消えていった。
そのまま、全身の傷へ《再生》を働かせる。
服の下で固くなっていた皮膚が、柔らかさを取り戻した。
最後に、舌と口の中。
スキルの使用を止め、ゆっくり息を吐く。
「殿下……」
リゼットが俺を見つめていた。
自分の手の甲を見る。何本も重なっていた傷跡が消えていた。手首を動かしても、皮膚が引きつらない。
水を少し飲んだ。
これだけでは、味覚まで戻ったのかは分からない。それでも、ほおの内側に残っていた傷はもうなかった。
「次は、リゼット」
呼ぶと、彼女は近づきかけて足を止めた。
「警戒はわたくしが」
No.52が立った。
「周囲は見ておきます。治療を受けてください」
「頼む。何かあれば知らせてくれ」
リゼットは彼女と場所を替え、俺の前に座った。
「顔を見せてもらっていいか」
指が黒布の端にかかった。
すぐには下ろせなかった。
クロイツに命じられた時は、ためらいもしなかったのに。
俺は待った。
やがて彼女は、傷跡に覆われた顔を見せた。
「……お願いします」
手首に触れ、《再生》を使う。
痛みがないか確かめながら、顔と全身に残る傷、失われた味覚を治していく。
引きつっていたほおが緩み、傷にゆがめられていた顔が、本来の形を取り戻していく。
思い出の中の15歳の少女が、そのまま戻ったわけではない。
そこにいたのは、23歳になったリゼットだった。
すっと通った鼻筋と、意志の強い目元。紫の髪に囲まれた顔には、昔の面影があった。まっすぐな姿勢も変わらない。ただ、記憶の中の彼女より大人びて、美しかった。
俺と目が合うと、その表情が柔らかくなった。
綺麗だ、と思った。治療の結果を確かめていたはずなのに、その目に見返されると、一瞬だけ言葉を失いそうになる。俺は手を離し、傷の残っていないことをもう1度確かめた。
見えなかった8年分の時間が、ようやく現れた気がした。
こんなふうに、大人になっていたのか。
嬉しいのに、知らない時間の長さが寂しい。それでも、これから知ればいい。そう思えることが、今はたまらなくありがたかった。
彼女は指先でほおをなぞり、何度も同じ場所を確かめた。
「傷が……」
「もうない」
「本当に……?」
「ああ。映してみようか」
小屋に鏡はなかった。俺は備えつけの洗い鉢に水を張り、彼女の前へ置いた。
水面が静まるのを待って、リゼットがのぞき込む。
長い間、顔を上げなかった。
水面に、小さな輪が広がった。
「……申し訳、ありません」
「泣いていい。謝らなくていいんだ」
彼女は小さくうなずいた。何かを言おうとしても声にならず、そのまま両手で顔を覆った。
俺はその肩に手を置き、呼吸が落ち着くまで待った。




