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夜鴉は帳簿を閉じる

 夜鴉商会ルネリア支部は、朝から閉ざされていた。


 いつもなら、荷馬車が出入りする裏門が開き、帳簿を抱えた職員が走り、金の匂いと埃の匂いが混じった商会特有のざわめきがある。


 だが、その日は違った。


 表の扉には、衛兵隊の封印紐がかけられている。

 裏口には槍を持った衛兵が二人。

 通りの向こうでは、露店主や荷運び人が遠巻きにこちらを見ていた。


 誰も近づかない。


 夜鴉商会は、街の隙間に入り込む商会だ。

 運送。金融。倉庫。依頼仲介。

 表の道では少し頼りになり、裏の道では少し恐れられている。


 その看板が、今日は封じられていた。


「物々しいですね」


 リオは書類束を抱えながら、小さく呟いた。


 隣に立つマーレが、支部の扉から目を離さずに答える。


「物々しくしなければ、逃げる者が出る」


「もう逃げた人もいそうですけど」


「だから急いでいる」


 マーレの声は低い。


 昨日、匿名の帳簿と通報紙片をもとに、ギルドと衛兵は夜鴉支部への査察を決めた。

 表向きは帳簿確認。

 実態は、支部の摘発に近い。


 リオは、抱えた書類の重みを感じていた。


 夜間倉庫の使用記録。

 行方不明者の相談記録。

 未払い依頼の苦情。

 支部経由の荷物照会。

 そして、黒蝶が夜に持ち出した帳簿の写し。


 黒蝶が夜に拾ったものを、リオが昼に持っている。


 それだけで、胃のあたりが重い。


「顔色が悪いぞ」


「昨日からずっとです」


「今日はさらに悪い」


「仕事熱心なので」


「嘘をつくな」


 マーレが短く返す。


 リオは苦笑しかけて、やめた。


 支部の扉の前で、衛兵隊長が声を張った。


「衛兵隊だ。夜鴉商会ルネリア支部長、セヴラン・グリスに確認したいことがある。扉を開けろ」


 中で、慌ただしい足音がした。


 少しして、扉が開く。


 顔色の悪い支部職員が、ぎこちない笑みを浮かべていた。


「こ、これは衛兵隊長殿。朝から何のご用でしょうか」


「帳簿確認だ。通達は済ませてある」


「支部長は、その、体調が優れず……」


「なら寝台ごと確認する」


 支部職員の口が閉じた。


 衛兵たちが中へ入る。

 マーレとリオも、ギルド側の立会人として続いた。


 支部の中は、一見すると整えられていた。


 受付台には通常の伝票。

 帳簿棚には古びた革表紙の帳簿。

 床は掃かれ、倒れていた椅子も戻されている。


 だが、リオには見えた。


 壁の下に残った薄い黒い粉。

 階段横の柱にこびりついた粘糸樹脂の跡。

 張り替えたばかりの床板。

 不自然に空いた棚。


 昨夜、黒蝶が残した痕跡。


 取り繕っている。

 けれど、取り繕うには遅すぎた。


 奥の扉が開く。


 セヴラン・グリスが出てきた。


 銀の指輪はない。

 黒い革手袋もない。

 代わりに薄い手袋をはめ、服装だけは昨日と変わらず整っている。


 顔色は悪い。


 それでも、口元には笑みを作っていた。


「これはこれは。朝からずいぶん物々しいことですな」


 セヴランは柔らかい声で言った。


「何か誤解があるようでしたら、応接室でお話ししましょう。商会としても、不要な混乱は避けたい」


「応接室ではなく、地下倉庫を見せてもらう」


 衛兵隊長が言う。


 セヴランの笑みが、わずかに固まった。


「地下倉庫? あそこは通常の保管品しかございません。荷主の秘密もありますので、むやみに――」


「令状はある」


 衛兵隊長が一枚の紙を出した。


 セヴランの目が、その紙に落ちる。


 笑みがさらに薄くなった。


「……ずいぶんと手回しがよろしい」


「よろしいのは、こちらではない」


 マーレが静かに言った。


「セヴラン支部長。昨夜、あなたの支部に関する帳簿の一部が見つかりました」


「帳簿?」


「夜間倉庫の使用記録、依頼仲介記録、行方不明者の相談記録との一致があります」


「馬鹿な」


 セヴランの声が、わずかに崩れた。


 彼はリオが抱えている書類束を見る。


 その目に、一瞬だけ怒りが浮かんだ。


 リオは、見習い職員らしく視線を下げた。


 何も知らない顔。


 それもまた、仕事だった。


「それは偽物でしょう」


 セヴランは言った。


「近頃は黒蝶などという仮面の輩が街を騒がせている。あの者が我々を陥れようとしている可能性もあります」


 黒蝶。


 その名が出た瞬間、支部職員の何人かが目を泳がせた。


 衛兵隊長は表情を変えなかった。


「それを確認するために、地下を見る」


「荷主の許可が――」


「開けろ」


 それ以上の言い訳は通らなかった。


 地下倉庫の扉が開く。


 冷えた空気が、階段の下から上がってきた。


     *


 地下倉庫は、夜の顔をまだ隠しきれていなかった。


 松明の明かりに、壁の傷が浮かぶ。

 床には薄く白い樹脂の膜が残り、棚の一部は不自然に空いている。

 奥の柱には、何かを縫い止めたような跡。


 衛兵たちは黙って周囲を確認した。


 最初の木箱が開けられる。


 中から出てきたのは、黒い腕輪状の魔道具だった。


 次の箱には、子どもの名前が記された紙片。

 さらに別の箱には、粗悪な防毒面と、黒蝶の眠り銃を真似たような射出具。

 奥の棚には、乾燥させた黒煙茸、眠蝶粉に似た粉末、粘糸虫の樹脂。


 セヴランの顔から、作った笑みが消えた。


「これは……」


 衛兵隊長が低く言う。


「説明してもらおう」


「違う」


 セヴランは即座に言った。


「これは私のものではない。何者かが、昨夜の混乱に乗じて――」


「昨夜の混乱?」


 マーレが問う。


 セヴランは口を閉じた。


 言い損ねたことに気づいた顔だった。


 リオはその言葉を記録した。


 昨夜の混乱。


 それだけで、十分だった。


 衛兵たちは次々と木箱を開けていく。


 模造品。

 名簿。

 薬品。

 未記入の契約書。

 隠し金。

 違法魔道具の部品。


 出てくる。

 出てくる。

 出てきすぎる。


 リオは、地下倉庫の奥に置かれた箱の一つを見た。


 昨夜、あの位置にあの箱はなかった。


 少なくとも、黒蝶が見た時には。


 誰かが置いた。


 黒蝶が去った後。

 衛兵が入る前。

 夜明けまでのわずかな間に。


 リオの背筋に冷たいものが走る。


 夜鴉本部は早い。


 支部を救うためではない。


 支部長を、完全に切り捨てるために。


「セヴラン支部長」


 衛兵隊長が言った。


「同行してもらう」


 セヴランは、しばらく答えなかった。


 それから、喉の奥で笑った。


「……なるほど」


 その笑いは、黒蝶に追い詰められた時のものとは違っていた。


 怒りでも、虚勢でもない。


 理解してしまった者の笑いだった。


「そういうことか」


「何がだ」


 衛兵隊長が問う。


 セヴランは答えない。


 ただ、地下倉庫の暗がりを見た。


 そこにもういない老人を、探すように。


     *


 セヴランの自宅からは、さらに多くのものが見つかった。


 昼過ぎ、衛兵隊が支部長宅を捜索した時、リオはギルド側の記録補助として立ち会っていた。


 セヴランの家は、支部から少し離れた通りにある小綺麗な二階建てだった。


 派手ではない。

 しかし家具は上等で、調度品も控えめながら高価なものが多い。


 寝室の床下から、金貨が出た。


 隠し棚から、黒い腕輪の試作品が出た。

 書斎の壁裏から、子どもの名簿と契約書が出た。

 暖炉の奥から、焼き損ねた手紙が出た。


 そして机の引き出しから、セヴランの筆跡によく似た覚え書きが見つかった。


 内容は単純だった。


 黒蝶装備の模倣。

 子どもの移送。

 夜間倉庫の利用。

 本部には伏せること。

 利益は支部長管理とすること。


 セヴラン単独犯。


 そう読めるように、すべてが整っていた。


 衛兵の一人が呟く。


「決まりだな」


 リオは何も言わなかった。


 決まり。


 そう言えるほど、証拠は揃っている。


 だが、揃いすぎている。


 逃げるつもりの者が、こんなに分かりやすく証拠を残すだろうか。

 黒蝶に追い詰められた支部長が、自宅に戻って証拠を整理するだろうか。

 本部に秘密にしていたという書類が、なぜ都合よく燃え残っているのか。


 リオは、焼き損ねた手紙を見た。


 焦げた端。

 残った文字。


 本部には知らせず――。


 まるで、そこだけ読ませるために残したようだった。


「リオ」


 マーレが小声で呼んだ。


「はい」


「どう思う」


 リオは少しだけ迷った。


 それから、低く答える。


「証拠としては十分です」


「そうだな」


「でも、十分すぎます」


 マーレは小さく頷いた。


「記録には書くな」


「はい」


「今ここで疑念を口にしても、潰されるだけだ」


「分かっています」


 リオは押収品一覧に文字を記入した。


 金貨。

 契約書。

 名簿。

 試作品。

 覚え書き。


 紙の上では、すべてが整っていく。


 それが、ひどく気持ち悪かった。


     *


 夕刻には、夜鴉商会本部から正式な声明が届いた。


 ルネリア支部における一連の不祥事につきまして、当商会本部といたしましても、極めて遺憾に存じます。


 現時点で確認されている不正行為は、支部長セヴラン・グリスの独断によるものであり、本部の承認を経た取引ではございません。


 当商会は衛兵ならびに冒険者ギルドの調査に全面的に協力し、被害回復に努める所存です。


 丁寧な文面だった。


 余白まで整っている。

 筆跡も美しい。

 言葉も完璧に選ばれている。


 そして、冷たい。


 ギルド奥の小部屋で、マーレはその書面を机に置いた。


「早いな」


「はい」


 リオは頷いた。


「まるで、準備していたみたいです」


「準備していたんだろう」


 マーレは疲れた声で言った。


「支部長の自宅から証拠が見つかった。支部の地下からも出た。本部は関与を否定し、調査協力を申し出た。これで表向きは、セヴラン個人の不正だ」


「本部には届きませんか」


「普通なら届かない」


 普通なら。


 リオはその言葉を胸の中で繰り返した。


 黒蝶は普通ではない。

 だが、夜鴉本部もまた、普通ではない。


 戦って倒せる相手ではない。

 帳簿を奪えば済む相手でもない。

 支部長を倒しただけでは、届かない。


 マーレは声明文を折った。


「セヴランは留置場だ。今夜、取り調べがある」


「話しますか」


「話すだろう。自分が切られたと気づけばな」


「話せれば、ですが」


 部屋の空気が少しだけ冷えた。


 マーレはリオを見た。


「お前もそう思うか」


「はい」


「なら、記録を残しておけ。公式な疑いではなく、ただの備忘として」


「分かりました」


 リオは頷いた。


 備忘。


 それはギルド職員の仕事だ。


 誰かが見落とした違和感を、紙に残す。

 すぐには使えない。

 証拠にもならない。

 だが、後で線になるかもしれない。


 黒蝶が夜に拾ったものを、リオは昼に紙へ戻す。


 その作業が、いまは必要だった。


     *


 セヴラン・グリスは、留置場の中で笑っていた。


 いや、笑おうとしていた。


 衛兵詰所の奥にある留置場は狭く、石造りで、窓が小さい。

 鉄格子の向こうには寝台と水差し、それから粗末な毛布があるだけだった。


 支部長室の革張り椅子とは、比べるべくもない。


 セヴランは、寝台に腰掛けていた。


 服は取り替えられ、指輪も手袋もない。

 懐の針も、薬包も、印章もない。


 何もない。


 だからこそ、口だけが残っていた。


「私は話す」


 セヴランは、格子の向こうに立つ衛兵に言った。


「正式な場を用意しろ。書記を呼べ。ギルドの者も呼ぶといい。君たちは何も分かっていない」


 衛兵はうんざりした顔をした。


「それは取り調べで聞く」


「取り調べ? 違う。これは取引だ。私は情報を持っている。夜鴉商会本部について、老鴉について、三羽ガラスについて――」


「またそれか」


 衛兵はため息をついた。


「支部長殿。自宅から山ほど証拠が出た。もう責任逃れは無理だ」


「私のものではない!」


 セヴランの声が跳ねた。


「分からないのか? 仕込まれたんだ。あれは本部が置いた。私を切るために!」


「はいはい」


「老鴉を探せ! あの老人だ。支部にいた。見た者もいるはずだ!」


「確認中だ」


「確認では遅い!」


 セヴランは格子を掴んだ。


 指が白くなる。


「三羽ガラスが来る。来る前に私を移せ。いや、違う。ここから出せ。私は本部のことを話せる。私が死ねば、君たちは何も――」


「大声を出すな」


「私は死なないぞ」


 セヴランは、目を血走らせて言った。


「私は自殺などしない。聞いているか? 記録しろ。私は自殺しない。私が死んだら、それは殺されたということだ」


 衛兵は顔をしかめた。


「分かった。記録しておく」


「本当に書け!」


「書くと言った」


 衛兵は面倒そうに記録板へ何かを書いた。


 セヴランはそれを見て、少しだけ息を吐く。


 だが、すぐに不安が戻る。


 足音がするたびに振り返る。

 廊下の奥を見る。

 天井を見る。

 水差しを見る。

 毛布を見る。


 すべてが敵に見えている。


 黒蝶に追い詰められた時よりも、今のセヴランは怯えていた。


 彼は知っている。


 夜鴉商会は、失敗者を救わない。


 帳簿から消す。


     *


 その夜、リオはギルドの仮眠室にいた。


 帰宅は許されたが、支部摘発の処理が終わらず、結局ギルドに残ることになった。


 机の上には、押収品の写し、帳簿の照合表、アッシュの保護記録が並んでいる。


 そして、別の紙。


 備忘。


 リオは筆を取り、今日見た違和感を一つずつ書いていった。


 セヴラン自宅の証拠は揃いすぎている。

 本部声明の発出が早すぎる。

 支部にいた老人は所在不明。

 セヴランは「老鴉」「三羽ガラス」という語を口にした可能性。

 セヴラン本人は自殺を否定しているとの未確認情報。


 そこまで書いて、筆を止めた。


 未確認。


 すべて未確認だ。


 けれど、書かずにはいられなかった。


 殺さなかった相手を、守れるとは限らない。


 そのことを、リオは初めて強く意識していた。


 黒蝶はセヴランを殺さなかった。

 朝を待てと言った。

 表で裁かれろと言った。


 だが、表に出た悪は、表の手続きだけで守られるわけではない。


 リオは顔を上げた。


 窓の外は暗い。


 黒蝶は、今夜は出ない。


 出られない。

 出てはいけない。


 今、黒蝶が動けば、セヴランの件に黒蝶が深く関わっていると自分から示すことになる。


 リオは歯を食いしばった。


 夜に出られない夜がある。


 それもまた、仮面を被るということなのだ。


     *


 翌朝。


 セヴラン・グリスは、留置場で死んでいた。


 公式には、自殺だった。


 寝台の布を裂き、鉄格子にかけて首を吊った。

 遺書があった。

 そこには、すべて自分の独断であり、夜鴉商会本部は関与していないと書かれていた。


 見張りは、誰も入っていないと言った。

 牢の鍵は開いていなかった。

 争った形跡はなかった。

 毒も、すぐに分かるものは検出されなかった。


 だから、自殺。


 そう記録された。


 リオがその報告を聞いたのは、朝の業務が始まる直前だった。


 マーレが、硬い顔で書類を持ってきた。


「セヴランが死んだ」


 リオは、しばらく返事ができなかった。


「……自殺、ですか」


「そういうことになっている」


「本人は、自殺しないと言っていたんですよね」


「留置場の衛兵が記録していた。だが、公式には錯乱状態での発言と扱われる」


 リオは目を閉じた。


 殺さなかった。


 黒蝶はセヴランを殺さなかった。

 朝まで待てと言った。

 表で裁かれろと言った。


 だが、朝を越えられなかった。


 命は取らなかった。

 けれど、生かせなかった。


 その事実が、静かに胸に沈んでいく。


「遺書は」


 リオは問う。


「写しが来ている」


 マーレは紙を差し出した。


 整った文字だった。


 セヴランの筆跡に似ている。

 似ているが、リオは引っかかった。


 セヴランの署名は、最後の跳ねがいつも強い。

 昨日見た契約書にも、自宅の覚え書きにも、その癖があった。


 だが遺書の署名だけは、最後まで綺麗に整っていた。


 震えがない。


 追い詰められた男の文字ではない。


「……きれいですね」


 リオは言った。


 マーレが頷く。


「ああ。きれいすぎる」


 リオは遺書の最後を見る。


 すべて、私の独断である。

 夜鴉商会本部は、一切関与していない。


 都合のいい言葉。


 都合がよすぎる言葉。


「これで終わり、ですか」


「表向きはな」


 マーレは低く言った。


「ルネリア支部は潰れる。セヴランは死んだ。支部の罪は支部長一人の罪になった。夜鴉商会本部は、調査に協力した被害者面をする」


「本部には届かない」


「今は届かない」


 今は。


 リオはその言葉を胸の中で繰り返した。


 今は、届かない。


 だが、線は残った。


 老鴉。

 三羽ガラス。

 揃いすぎた証拠。

 早すぎる声明。

 自殺しないと言った男の自殺。


 紙に残せるものは少ない。


 でも、覚えている。


 黒蝶も。

 リオも。


     *


 その日の昼、ルネリアの街では、夜鴉商会ルネリア支部の不祥事が噂になった。


 支部長が悪事を働いていたらしい。

 子どもを使っていたらしい。

 黒蝶の道具を真似していたらしい。

 支部長は自殺したらしい。

 夜鴉商会本部は関係ないらしい。


 らしい、らしい、らしい。


 噂は、いつも最後だけ曖昧になる。


 ギルドの受付にも問い合わせが殺到した。


「黒蝶は関係しているのか」


「夜鴉商会の荷を預けていたが大丈夫か」


「支部長が死んだというのは本当か」


「子どもは何人いたんだ」


「灰色の仮面も出たらしいぞ」


「黒蝶はギルドの者なのか」


 マーレは受付で頭を押さえた。


「順番に対応する。怒鳴るな。こちらも分かっていることしか答えられない」


 リオはその横で、黙々と書類を捌いていた。


 問い合わせ記録。

 被害申告。

 荷物預かりの照会。

 支部経由依頼の確認。

 アッシュの保護記録。

 備忘の写し。


 後始末は、終わらない。


 終わらないまま、積み上がる。


 昼過ぎ、アッシュが受付の脇から顔を出した。


「おい」


 リオは顔を上げる。


「どうしたの」


「腹減った」


「食堂に案内するよ」


「金ねぇぞ」


「保護中だから、ギルド持ち」


「……ふん」


 アッシュはそっぽを向いた。


 だが、逃げない。


 リオは立ち上がろうとして、脇腹の痛みに少しだけ顔をしかめた。


 アッシュがそれを見る。


「弱そうなくせに、どっか痛めてんのか」


「書類で」


「書類で怪我すんのかよ」


「心が」


「意味分かんねぇ」


 リオは薄く笑った。


 その会話を聞いていたマーレが、遠くから声をかける。


「リオ。食堂に行くなら、ついでにこれを厨房へ渡してくれ」


「はい」


 紙束が増えた。


 リオは一瞬だけ空を見た。


 夜鴉商会本部。

 老鴉。

 三羽ガラス。

 セヴランの死。


 考えなければならないことは山ほどある。


 だが今は、アッシュに飯を食わせる。

 支部関係の問い合わせを整理する。

 そして、いずれミラ工房へ行く。


 昼の仕事は、そういうものだ。


 夜の黒蝶が届かなかったものを、昼のリオが少しずつ追う。


 リオは書類を抱え直した。


「行こうか」


「遅ぇよ」


「ごめん」


「謝んじゃねぇよ。調子狂うだろ」


 アッシュは不機嫌そうに歩き出す。


 リオはその後を追った。


 支部長は死んだ。

 支部は潰れた。

 夜鴉本部は逃げた。


 そして、壊れたものだけが残っている。


 なら、次にすることは決まっていた。


 壊れたものを、直しに行く。


 それは、黒蝶ではなく。


 ギルド職員リオ・アルヴェルの仕事だった。

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