99 薄荷と生姜と衝撃の事実
温暖湿潤な港町イルハレバナ。宿を定め、ひとまずの拠点を設けた私たちが次に向かった先は、気だるげな貴婦人が店主を務める、薬屋のような店だった。
日差しが遮断された薄暗い店内は、鼻をつくような苦い薬草の匂いと、少し甘ったるい香油の香りが混ざり合っている。パッと流して見ただけでも、乾燥させたハーブ類からポーションの小瓶、干からびたトカゲを思わせる煤けた物体などが無造作に積み上げられ、エキゾチックな情緒と未知の怪しさが渦巻いていた。
「……いらっしゃい」
店主はそう短く告げると、手にしていた真っ黒な煙管を口元に運び、ゆっくりと煙をくゆらせて私たちを迎え入れた。
「いい女だな」
大賢者は隠そうともせず、店主の豊かな胸へと露骨な視線を飛ばした。それもそのはず。この店主の佇まいは、彼の好みをこれでもかと凝縮したようなものだった。高身長の美人で抜群のプロポーション。大きく胸元の開いたローブに、妖艶な目元、何よりも、紫煙を纏う煙管。要するに、ソフィーさんにそっくりだったのだ。
大賢者の態度に関しては、今さら溜め息すら出ない。問題は、さきほどからずっしりとした重みのあるバストを私の肩に預けて休憩しているソフィーさんの方にあった。
なぜこうも自分に似せたキャラクターを作ったのか。私はこのゲームの開発者であるソフィーさんへと視線を投げかけた。
「初めに作った町だから。まだ、モデリングに慣れてなくて」
言葉にせずとも、彼女は答えてくれた。ただし、その言動には、どこか私をあやすようなニュアンスが含まれていた。
母なる抱擁と呼ぶには少々強すぎる拘束力に身を任せたまま私は頷き、今度は大賢者に尋ねた。
「酔い止めの薬を探しに来たんですよね?」
「キャンディがあるな!」
話を聞かないクソ野郎は、店主の前に並ぶ様々な瓶へとおもむろに近づいた。
本来なら引っ叩いてやりたいところだが、今はおいそれと動けない状態にある。慣れない外歩きで疲れを見せているソフィーさんに、体の自由を奪われている。私は文句を言う代わりに、彼女の重みを肩に預けたまま、大賢者の様子を突っ立って眺めることしかできなかった。
そんな私の目の前に、もう一人の傍観者がいる。薬屋の店主だ。やはり血の通っていない、創造されたオブジェクトだからなのか。上半身裸の男がすぐ目の前に迫ってきても、彼女は淡々と煙管をくゆらせるだけだった。その異様な光景も含めて、私は注意深く大賢者の動向を観察することにした。
「試食してみても、いいかな?」
「……ご自由にどうぞ」
店主は顔色一つ変えず、大賢者の前に小さなすり鉢と乳棒を滑らせた。そのままでは舐めきるのに時間がかかるから、それを使って飴を砕いてから少しだけ口に含め、ということなのだろう。
血の通った大賢者は、生成されたキャラクターのその細やかな心遣いを、もちろん無下にした。
「うむ。これは薄荷に似てるなぁ……」
大賢者が瓶からつまみ出したのは白濁色の飴だった。店主に差し出された道具一式を完全にスルーした彼は、ゴリゴリと豪快な音を立てて飴をかみ砕き始めた。一緒にいて、ここまで恥ずかしい行動をしてくれる男も他にいない。ゲームの世界でも、私は頭を抱えた。私を包み込むソフィーさんも、呆れたようにため息をついた。
「清涼感は素晴らしいが、キラはこういうのダメなんだよなぁ……だが、ゼノなら喜びそうな味だ。これはこれで、買っていくか」
当然のように発揮される家族志向。私が試食していても、同じようなことを言っていただろう。
「もっとアイツの好きそうな……梅干しキャンディは、さすがに無いか。生姜を使ったものなんかは、ないかな?」
「……こちらをどうぞ」
店主は琥珀色の飴が入った瓶を手に取り、大賢者へと勧めた。
「サンキュー」
大賢者はお礼だけはスマートに述べると、ガサツに瓶の中へと手を突っ込んだ。そのまま流れるように飴を口の中へと放り込んだ彼は、元々明るかった表情をさらに明るくさせて、指まで立てて『これだ』、と私たちにもわかるように伝えてきた。
「蜂蜜と樹液の中間くらいの、いい甘さだ。生姜も効いている。これもくれ」
「……お買い上げ、ありがとうございます」
大賢者は最後の一片を喉に流し込むと、バキバキと音を立てていた顎を止めて私たちに振り返った。
「飴が酔い止めになるんですか?」
「なるさ。それに、あんなお子様舌に、そのまま生姜をかじらせるわけにもいかんだろう?」
お子様舌については、その界隈の筆頭でもあるお前が言うなとは思った。しかし、旅慣れていて魔法薬の知識もある彼がそう言うのであれば、キラの酔い止めに関してはそれでいいのだろう。
「あれ? タバコまで置いてあるのか!? 買っていこう!!」
一定以上その方向には首を回せないので、大賢者が何を発見したのか正確にはわからない。ただ、我が家に三人もいる喫煙者には必須のアイテムが、私の後方上部にある棚に置かれていたらしい。
「アシハラも、そろそろヤバい頃だろうし、俺も吸いたくなってきた。あるだけ買っていこう。いくらなんだ?」
「……三カートン、一リーブです」
店主の口から、高いのか安いのかわからない値段が告げられる。この世界の物価に親しむには、もう少しだけ時間と機会が必要だなと感じさせられた。
「着火用アイテムとかも置いてあるのか? どうせ、この世界では魔法が使えないんだろ?」
「えぇ!? そうなんですか!?」
さらりと、とんでもない制約が明かされた。余裕を失った私はそこで置き去りにされた。
「女神の加護を手に入れれば、少しは使えるようになるけどね?」
「……火打石とオイルは、セットで二十五リーブです」
「たっけぇ!! じゃあ、いらねぇわ!! サラマンダー君の火、使おう!!」
「ちょちょちょ、待ってくださいよ! 魔法が使えないって、本当なんですか!?」
「タル。店の中で、そんな騒ぐなって。恥ずかしいだろ? ソフィー、会計を頼む」
「はいはい」
迫真の叫びはまったく届かなかった。重圧と体温からようやく解放された私の体に、店頭のドアから吹き込んだ潮風が吹きつける。海鳥の鳴き声も加わり、解放感と爽快感が同時に押し寄せた。だが、心まではそうはいかなかった。
「……全部で八リーブになります」
色彩が違うだけの、鏡合わせのような二人が立つ光景は奇妙というより他ない。ソフィーさんは袋から金貨を一枚ずつ取り出して、それらをそっとテーブルの上に並べた。
「……ありがとうございました」
感情の読めない瞳で金貨を受け取った店主は、まるで私たちを追いやるように細長い紫煙を吐き出していた。
大賢者とソフィーさん、それぞれに肩を掴まれた私は、引きずられるように店を後にした。そのとき町に響いていた潮の満ち引きは、どこか他人事のようにも感じられた。




