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大賢者の秘書官イシュタル ~何者でもない魔女の一生……になるはずだった~  作者: ふるみ あまた
5章 ゲームの章

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100 気まぐれな女神の加護

 

 ――魔法が使えない。


 その事実に私だけが混乱したまま、次は物価の調査へと赴くことになった。


 訪れたのは港にほど近い市場。そこで取り扱われていた食糧や生活用品、その他雑貨など、ゲームの攻略とは直接関係なさそうなアイテムの値段は、すべて一リーブで統一されていた。


 顧みれば、大賢者が薬屋で購入したタバコだけが三カートンで一リーブだった。これは明らかに安すぎる。あまりにも都合の良すぎる物価の歪みには、開発者特権というものをまざまざと感じさせられた。


 市場では美しい海を背景にした、フィドルやティン・ホイッスルを使った楽団による演奏までが行われていた。私は足を止め、情熱的であり、どこか哀愁漂うその旋律に耳を傾けた。


 暖炉にベッド、アイリッシュ音楽に紙巻きタバコ。時代考証はめちゃくちゃだが――。


「どう? この世界は?」


 ソフィーさんが無邪気に顔を輝かせ、私の顔を覗き込んでくる。


「すごく……素晴らしいと思います。なんというか、どれもこれも現実世界にあって当たり前のものなんですけど、このイルハレバナの町だけでも、たくさんの息吹が感じられて、すごく楽しいです」


 機嫌を損ねない方がいい。何しろ彼女はこの世界の神様なのだから。そんな打算的な考えがなかったとは言わない。しかし私は正直な気持ちをそのまま彼女に打ち明けた。


 その証拠に、私の中に落ちていた絶望の色は、嘘のように穏やかな色に染め直されていた。


 町を行きかう人々を眺めているだけで、不思議な満足感で満たされていく。


 ここはソフィーさんが作った世界で、私たちはテストプレイヤー。けれど、ここで暮らす人たちは今確かに目の前に存在していて、生きている。


「タバコ吸いてぇな。そろそろ、休憩にするか」


 こんなに素晴らしい世界でも、相変わらずの大賢者は誰よりも力強く生きている。紛れもなく、私たちと共に。





 波止場に座り込んで休憩を取ると、言い出しっぺである大賢者は「仕事を探してくる」と言って、町の喧騒に消えていった。


 果てしなく広がる水平線を眺めながら、ようやくのことで一息つく。騒がしい男がいなくなって、清々しい気分に浸れるはずだった。それなのに、言い知れない不安が押し寄せた。


「何か、ご質問は?」

「たくさんあって、何から話せばいいのか」


 隣に座るソフィーさんは優雅にタバコを嗜みながら、次の言葉を待ってくれた。


 魔法が使えない。

 女神の加護とは何か。

 火打ち石とオイルのセットだけ高価だった理由はあるのか。

 そもそも、どうやって私たちはこの世界に来たのか。

 万が一、この世界で死んだらどうなる。

 このゲームは何をすればクリアになるのか。


 浮ついた心が落ち着いてくると、聞きたいことは山ほど出てきた。


「……どうして、このゲームを作ったんですか?」


 変えられたのか、変わったのかはわからない。私が口にした問いは、頭の中でリストアップしたどの項目よりも無駄で合理性のない、とりとめのないものだった。


 エルフの里を再訪して、キラを知った。

 日本で年末を過ごして、アシハラを知った。

 ならば、次は彼女だ。


 自分の生存など、二の次になっていた。同じ屋根の下で過ごす、家族のことをもっと知りたい。私の心は、そのことでいっぱいだった。


 私は変わった。大賢者に首根っこを突っ込まれて、広大な世界へと飛び出したあの日から。いや、もっと遡って、彼に関わったあの日から、徐々にそれは始まっていたのだろう。


「知りたがり、ね?」


 ソフィーさんは、空を指すように人差し指を立てて笑った。つられて私も笑みをこぼした。


「……ん?」


 笑っていられたのも束の間。私は彼女の指先が不自然に白く輝いていることに気がつく。


「ふふふ」


 ソフィーさんはニコニコ笑いながら、光る指先を私の額へと押し付けてきた。


「どーん」


 じんわりとした温かさが体中に広がる。それは完全なる心地よさではなく、現実の気だるさに近い、体の重さまでが伴っているようだった。


「な、な、なにをしたんですか?」

「これが女神の加護。最初は絶対タルちゃんにあげようって、決めてたの」

「え?」

「加護は全部で六つあるわ。他のはちゃんとしたイベントを用意したから、頑張って集めてね?」


 いきなりのネタバレ。しかも、こちらの質問にはまるで答えてくれない。


 ゲームの開発が抜群に上手いソフィーさんは、ゲームマスターがあまりにも下手だった。


「……善処します」


 上等だ。相手は腐っても大賢者の妻。いつだって味方でいてくれるわけじゃない。積もりに積もった謎は、自分の力で解き明かしてみせる。


「見つけたぞ! 海賊退治の仕事! なんと千六百リーブも貰えるってよ! 俺は行くけど、どうする?」


 ちょうど大賢者が戻ってきたが、ここで簡単にその流れに乗るような私ではない。まずは安全確認からだ。


「それって、一番高い報奨金だったんですよね?」


 どこで見つけてきたのかは定かではないが、彼が握りしめていた紙切れを見て、私は賞金首が貼り出されている掲示板のようなものを想像した。


「当たり前だろ?」


 予想通りの返事だ。それが伝説の賞金稼ぎとして、十代で魔法界を席巻したこの男のやり口なのだから。


「それって、最初の町での難易度に見合わないってことですからね? それと、戦闘では出来れば死亡していただけると助かります」


 そうすることにより、どうなるかがわかる。特に根拠はないが、大賢者ならば並大抵の死ならば乗り越えられそうな気がするのも、私の計画を後押ししていた。


「脂肪? 最近、またついてきたもんな?」


 デリカシーのない、わざとらしくて面白くもない聞き間違いに、腹が立つ。とりあえずは思い切り、大賢者の頬を引っ叩いた。


「痛み、よし。つまり、死ぬときは死ぬってことだな?」

「ちなみに死んでも大丈夫よ? 最後にチェックインした宿に戻されるだけだから」


 いつもの無駄なやり取りは、話が進まないようで進む。おかげで世界の謎がひとつ解けた。


 だが、この世界には『痛み』が存在する。宿に戻ればリセットされるという言葉は、裏を返せば、そこに至るまでの凄惨なプロセスを、すべて味わわなければならないということだ。そのような事態にならないよう、慎重に行動することが望ましい。


「私たちは宿に戻ります。海賊退治は、どうぞ、お一人でお楽しみください」


 生存戦略の基本。少しでも危うさを感じたものには近づかない。


 私はソフィーさんと連れ立って、波止場を離れることにした。


「あっそ。じゃあ終わったら、酒でも買って帰るわ」


 大賢者の言葉を背中で受けて、はたと立ち止まって振り返った。


「……そういえば、味ってどうなんですか? 飴とか、タバコとか」

「あるのは痛覚だけじゃない。薬屋での匂いに、さっきの音楽だって、随分楽しそうに聴いていたな?」


 人差し指を立て、大賢者は得意げな顔を見せてきた。私は頷き、その帰りに心を弾ませながら、頼もしい主君を路銀稼ぎへと送り出した。

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