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大賢者の秘書官イシュタル ~何者でもない魔女の一生……になるはずだった~  作者: ふるみ あまた
4章 森の錬金術師の章

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92 wash up,please

 

 ウッドデッキには配膳台が出され、そこには酢飯の入ったおひつや巻き寿司のための具材が取り揃えられていた。


 六角形のガーデンテーブルに腰掛けていたのは、三人と一匹。宣言通り、大賢者はトイレに行ったとして、その場にいないソフィーさんの所在が気になった。


「おお!! アクセナぁ!!」

「ピィッ!!」

「ど、どうも……お邪魔します……」


 小柄で威圧感のないアクセナは子供たちからの好感度が高い。彼女の存在に気がついたキラとピィちゃんは、食事を中断してまでこちらに駆け寄ってきた。


 歓迎の挨拶として、キラがアクセナに抱きつこうと、両腕を広げたその時だった。


「ちょっと待った!! 手、洗った!?」


 ホームに帰ってきても油断してはならない。私の目は、キラの指先から伸びる微細な糸を見逃さなかった。


 キラはピタリと動きを止め、後ろからやってきたアシハラに差し出されたおしぼりを黙って受け取った。


「いらっしゃい。どうぞ?」


 ひきわり納豆の匂いが移ったおしぼりを返されたアシハラが、突然の来客に驚くこともなく、アクセナを席へと促す。


「あ……はい。あの……ありがとう、ございます」

「アクセナは初めてだろう!? 初心者はエビ天を巻くといい!! できたら、半分くれ!!」

「ピピィ!」


 気後れするアクセナの手を、キラが強引に引っ張る。姉貴分が無茶をしないよう、ピィちゃんは二人に寄り添って席まで戻っていった。


 私は呆れながらも笑って、その様子を眺めた。隣に立つアシハラもまた、私と同じ気持ちのようだった。


「すみません、突然。ところでソフィーさんは?」

「いやいや、食事は大勢の方が楽しいから。奥様は先につまんで、今は自室に」


 なるほど。どうやらソフィーさんは、大賢者が聞いたら怒り出しそうなほどに、自由な生活を楽しんでいるようだ。


「違う、ゼノ!! 絶対エビ天だって!!」

「ピピピ!」

「魚とか、アクセナが食べるわけないだろ!? メガネかけてるんだから!!」


 そうこうしている間に、テーブル席では論理が意味不明で、本人の意思を無視した不毛な言い争いが勃発していた。困り果てるアクセナの足元では、彼女を守るようにサラマンダー君が座り、争い続けるキラとピィちゃんを見上げていた。


 私はアシハラと目を合わせ、ひとつ頷いてから戦場へと赴いた。





 配膳台には、簡易的な調理テーブルが折りたたまれて収納されている。アシハラは手早くそれを広げ、慣れた手つきで巻き寿司の土台を作っていった。


 窮地を救うため、私はアクセナの隣に腰掛けて、情報を引き出す。


「生魚は大丈夫ですか?」

「嫌いじゃないと、思います。サーモンとか、そういうのなら……」


 すると、会話を聞いていたアシハラが適切な回答を導き出してくれる。


「最初は一応、炙って出しますね? サラマンダー殿ぉ?」

「キュオーン!」


 サラマンダー君はひと鳴きすると、アシハラの腕の中に飛び込んだ。丸太のような太い腕にしっかりと固定されながら、彼は小さく細い炎を出して、網に乗せられたサーモンの切り身の表面を焦がす。


 煙が薄く立ち上ると、辺りには食欲をそそる香ばしい匂いが漂った。


「なんだ、シャケかよぉ……」

「ピピィ!」


 今回の議論はピィちゃんの勝ちだったらしい。単に自分がエビ天巻きを食べたかっただけのキラは、肩を落として悔しがった。


「はい、二人にはエビ天巻き。こっちのサーモンロールは、アクセナ殿に持ってってあげて?」

「よっしゃ!!」

「ピィッ!」


 瞬く間に二品を完成させたアシハラが、キラの精神を回復させた。二人はほとんど同時に立ち上がり、言われた通りに配膳のお手伝いをこなす。


「ほら、アクセナ! シャケだ!」


 色から判断して醤油ではなく、バジルソースだろう。キラによって豪快にテーブルに叩きつけられた小皿の中身が左右に揺れた。


 表面には白ゴマがふりかけられている。具材は炙りサーモンとアボカド、そしてクリームチーズ。海苔は中に入れられ、伝統よりも食べやすさが重視された巻き寿司だ。アシハラは、ここでも提供する相手への思いやりを忘れていなかった。


「いやぁ……美味しそう……なんか、食べるのがもったいないくらい、綺麗……」


 目の前の料理を見たアクセナは、年齢相応の、あるいはそれよりも若々しい歓喜の声を漏らした。


「食べないのか?」


 ピィちゃんと半分ずつしたエビ天巻きを頬張りながら、キラがアクセナの巻き寿司に手を伸ばそうとした。


「ダメ!」


 もちろん、私がそれをぴしゃりと跳ね返す。顔のしわの増加速度の限界にいる私は笑顔に変え、アクセナに食事を促した。彼女は遠慮がちに箸を手に取ると、調理人のアシハラに軽く会釈をした。


「いただきます……」


 食べやすく切られたサーモンロールがアクセナの口に入ってゆく。何度見ても、この瞬間は緊張する。アシハラが作ったものだ。美味しいのはわかっている。しかし、第三者の舌に受け入れられるかどうかとなると、やはり気になる。私だけでなく、さきほどまで喧しく言い争っていたキラとピィちゃんも、固唾を飲んでその動向に注目した。


「おいし……」

「ヘイ大将! 俺はねぇ、ステーキ巻き!」


 私の隣にどっかりと座り込んで、風変わりなメニューをオーダーしたのは、トイレ帰りの大賢者だった。彼は一切の生魚を許容できない、ファミリーでもダントツのお子様舌の持ち主でもある。


「……手、洗いました?」

「あとトンカツとグリルチキン、それからスリミもいいなぁ……もちろんツナは忘れるなよ?」


 私の注意を受けた食欲の魔人は、ゆっくりと立ち上がりながら注文を済ませると、堂々と食卓を退場していった。


「失礼いたしました。お口に合えば、お味噌汁もどうぞ? ダメだったら、無理して飲まなくて大丈夫なので」


 私のネギトロ巻きと一緒に、アシハラの野太い腕によって運ばれてきたのは、マグに入ったカブの味噌汁だった。よく見ると、中にはレモンスライスが一枚だけ乗せられていた。


 アクセナは迷いなくマグを掴むと、確かめるように湯気を嗅いでから、ひと口啜った。


「あぁ……」


 両目を閉じたまま、脱力したように天を仰ぐアクセナ。その様子を見ただけで、自分でも味を確かめたくなった。


「なんだ、それ!? いつもと全然違う! 私にもくれ!」

「はいはい……イシュタル殿もいる?」

「お願いします」


 ほどなくして、私のところにも味噌汁が運ばれてきた。少しだけ酸味の効いた、変わり種のその味噌汁は、口の中に残ったものをさっぱりと洗い流してくれた。

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