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大賢者の秘書官イシュタル ~何者でもない魔女の一生……になるはずだった~  作者: ふるみ あまた
4章 森の錬金術師の章

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91 再生への道

 

 激しいみぞれ混じりの雨も落ち着き、現在は小雨が夜の森を濡らしていた。


 相変わらず、シャッターは開きっぱなしだった。単身地上へと戻った私を歓迎したのは、そこから漏れ出る昼白色の灯かり。中を覗き込むと、大賢者はどうか知らないが、ガレージの中央でしゃがみ込み、彼に指導されながら作業に勤しむアクセナは、こちらに気づく気配すら見せなかった。


 室内に足を向けると、床を一歩も踏み込まないうちに、大賢者がチラリとこちらを見た。壁際でガタガタと揺れ動く『缶パックン』の稼働音だけが、室内に響いていた。


「あぁ、お客さん? 悪いけど、もう営業は終わっちゃったよ?」


 大賢者は、閉店ギリギリに入店した時の飲食店の応対を真似た。私は黙って二人に近づき、そのノリに付き合う。


「テイクアウトで、お願いします」


 作業の手を止めたアクセナは、冷蔵庫と私たちを交互に見て、もてなしのために動くべきか、悩む素振りを見せた。彼女に対し、私は首を横に振ったが、大賢者がそうはさせなかった。


「しょうがないなぁ……今日だけだよ?」


 一体誰が家主なのか、大賢者は『缶パックン』とは反対側の壁に設置された休憩スペースへと歩み始めた。





 大きく足を広げてソファに座った大賢者は、テーブルの上にあったブランデー入りのチョコレートバーを乱暴にひっつかむなり、ひと口で食べ切ってしまった。


「腹減ったな。アクセナ、今日の晩メシはどうする?」


 モゴモゴと口を動かし、芳醇な酒と甘いチョコレートの香りを振りまきながら、この男は早くも次の食に考えを巡らせる。


「そ、そうですね……私は、その……」


 軽快な会話を不得手とする『森の錬金術師』は、口ごもった。


「今は、何を作ってたんですか?」


 生活力のないアクセナが、普段どういった食事を摂っているのかは興味があるが、もっと彼女が話しやすい話題がいい。答えは予測できるが、そう思った私は、話題を変えた。


「第二素材から魔力を抽出するための装置です」


 予想通りスムーズに、アクセナの口から答えが出た。私は周囲を見渡し、人造魂石の入った箱を探した。


「……その感じからすると、もう答えはわかったんだな?」


 チョコの包み紙はどこへやら、その手にはタバコのパッケージが握られていた。卓上に灰皿まで準備していた大賢者は、触れることなく窓をスライドさせると、くわえたタバコに火を点けた。


 窓から、冷たく湿った森の冷気が流れ込む。その風によって大賢者が吐き出した紫煙はぐるりと巻かれ、外の暗がりに吸い込まれるように消えていった。


「例の……石を、使ってみてはどうかと」


 私はアクセナに配慮しながら、本題を切り出した。冷蔵庫前のダイニングテーブル。横目に映った彼女の視線が、答えの場所を示してくれた。


「まぁ、そのあたりが無難だわな。数に限りはあるが、それについては触媒も同様。魂石の大元は、この村の人間の魔力だ。還元してやるというのが、もっとも人道的な使い道になるだろう」


 大賢者は煙を揺らしながら深く背もたれに体を預けた。その視線は、あえてアクセナから外しているようにも見えた。


「具体的に……どのくらい、持つんでしょうか? その……石のエネルギーは」


 私もアクセナの方は見なかった。その代わり、昼間、牧場で見せた彼女の心を信用した。


 天井を見上げると、ファンの止まった照明が眩しく光っていた。しばらくの間、雨音と機械の作動音だけが室内に響いた。


「……錬金術には、四の四乗という法則があります。あの魂石から魔力を効率よく抽出して、それをそのまま使えるエネルギーと仮定すると、二百五十六ヶ月。大体、二十一年と四ヶ月分になります」


 沈黙を破ったのはアクセナだった。マノリスを前にしたときのように、その言葉は決意にみなぎったものだった。


「できるのか? 長いようで短いぞ?」


 大賢者に問われたアクセナは、壁にかけられた雑誌の表紙に目をやった。


「私が……きっと、私以外の誰が解決してもいけないことなんだと思います。それに『できません』なんて言う資格は、私にはありませんから」


 二十一年と四ヶ月。一人の人間が、時間制限付きの命題を打ち立てた瞬間だった。


 大賢者はニヤリと笑うと、灰皿の中でタバコをすり潰しながら勢いよく立ち上がった。


「よしっ! 決まり! とりあえずは魂石を使う! その後はお前次第! 俺は今からウンチ!」


 知らねぇよ、バカが。


 どうしていつもいつも、こういう場面でふざけてしまうのか。私は大賢者を完全に無視して、アクセナを夕食の席に誘うことにした。


「アクセナさん、お寿司は平気ですか? お寿司と言っても、巻き寿司ですけど」

「いや……食べたことはないですけど……食べてみたいです」

「巻き寿司なの!? 今日!? 俺にも、アシハラのツナ巻き食わせろ!!」

「あなたは誘ってませんよ? 早くトイレに行ったらどうですか?」

「うるせぇ!! 秘書官のくせに生意気だ、お前はぁ!!」

「そう言うあなたは、大賢者のくせに無邪気すぎますよ!? もう少し、威厳というものを持ったらどうですか!?」

「威厳!? そんな偽善、俺にはできん!! 早く行くぞぉ!? ウンチしたいんだからぁ!!」


 本当に催していたのだろう。いつものくだりに入る前に、大賢者は一足早くその場から姿を消した。環境の支配者がいなくなると、窓から入り込んだ強い冬の風が開け放たれたままのシャッターまで抜けていった。


 ツンと鼻を刺激する冷気に負けず、私は大きくため息をついた。


「それじゃあ、私たちも行きましょうか」

「あ、はい。よろしくお願い……あ、ちょっと待っててください」


 すべてを支援することだけが優しさではない。私のような人間は、しばしばそんな当たり前のことを忘れてしまう。


 大賢者と私のせめぎ合いを、呆然と眺めることしかできなかったアクセナは自分の力で立ち上がり、戸締りの確認をし始めた。


 私は一番近くにあった窓を閉め、彼女の作業が終わるまで、そこで見守り続けた。

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