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大賢者の秘書官イシュタル ~何者でもない魔女の一生……になるはずだった~  作者: ふるみ あまた
4章 森の錬金術師の章

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87 循環

 

 ガレージをぐるりと回った南西側、すぐそばで樹木が生い茂るその場所に作られたのは、小上がりになった広い床だった。


 森から引き寄せられた木々でできたその床は、よく見ると微細な格子状に組まれていた。


「どうして、こんな形なんですか?」

「ウンチの下にも、風を通さないとならんからな。はい、おいでー」


 大賢者によって操られた堆肥のゴーレムは、三方向を仕切る壁の中央で立ち止まると、自然事象のように崩れていった。


 水はけ対策だろうか。よく見ると、樹木のある西側以外の壁の下側には、柵のような隙間が作られていた。


「まだ保護魔法は解かないでおいてくれるか?」

「はい」


 待機命令を出した大賢者は、次に、ここまでの道のりで堆肥に混ざり込んだ枝葉を魔法で瞬時に取り除いた。


「結構入ってたんだな……屋根にでも使うか」


 言っている間に、隙間なく組まれた枝葉が最後の一面を塞ぎ、しっかりとした屋根まで被せられた。


 大賢者に目配せされ、私は堆肥にかけていた防水・防臭魔法を解除した。瞬く間に堆肥から真っ白な湯気が立ち昇り、 独特の臭気と発酵熱が小屋を包む。


 しかし、隙間から入り込んだ凍てつくような北風が、 それらを一気に外へと連れ去っていった。


「……これでよし。ま、しばらくコイツの出番はお預けだな」


 枝葉の隙間から漏れる熱を背に、私たちは小屋を出た。


 雨は氷を孕んだ本降りとなっていた。背後で扉が閉まる重い音と、完成したばかりの屋根を激しく叩く雨音が響いた。


 半球状の見えない大きな雨傘の下。建築、召喚、そして見事な防雨・防風の魔法まで使いこなしてみせた大賢者が、私の隣に立った。


「手は大丈夫か?」


 湿気と腐葉土の匂いを含んだ冷たい空気の中、私は熱を持ったままの右の拳をさすった。


「少しすれば、引きますから」

「新しく覚えた魔法は、ガンガン使ってくといいぞ? 『子供時代の十万回』と同じで、大人になっても反復は強ぇから……と言っても、旧式の場合はやめといた方がいいわな。副作用があるから」


 私は弾くように手を離した。見上げると、大賢者はくすりと笑っていた。


「……副作用っていうのは?」


 半年前のことだ。大賢者が同じ話をしてくれていたことを思い出した。その頃の私は回復魔法について何も知らなかったため、詳細な説明をされないまま終わってしまっていた。多少なりとも知識のついた今なら、大賢者もその深い知識の先端を見せてくれるかもしれない。


 私は期待を込めて大賢者の瞳を捉えた。彼は何とも言えない、見知らぬ子供をあやすときのような笑顔を浮かべて口を開いた。


「老化が進む」

「ええぇぇぇ!?」


 衝撃の事実だった。実践訓練で体を張って付き合ってくれたアシハラの寿命のことを、最初に心配した。


「本当なんですか、それ!?」

「マジだよ?」

「あ、あ、アシハラさんが……その……」

「ハハハ。それだけの価値があると思って、やったってことだろ」

「そんな……そんな……」


 激しさを増す雨音が、私の鼓膜を容赦なく震わせていった。だが、大賢者はのどかな口調で続けた。


「そこまで責任感じる必要もねぇぞ? 人間の再生能力っていうのは限界があるっていう話で、寿命がすり減るまで回復魔法をかけられるなんていうのは、十万回じゃ済まん規模の話になってくる」

「それって……」

「その通り。直ちに命に関わるわけではない、ってやつだ」

「いや、そうじゃなくて……あの、実害が出る、具体的な数値を教えてもらえます?」

「えぇ? 忘れちまったよ、そんなの。骨折レベルの強制治癒を八百万回とか……そんなんだった気がする。気になるんだったら、ユリエルから論文を送ってもらえば?」

「……本当なんですね?」

「マジだよ。なんでそんなに信用しないの? 大賢者だよ? 俺は」


 大賢者は信用できるが、レオナルドという一人の人物になると別の話になってくる。私は彼の説明を話半分に聞いておくことにした。


「俺が治してやろうか? 最先端医療魔術で」

「キラが待っています。ガレージに急ぎましょう」


 泥水から衣服を守る魔法を施して、私は先陣を切った。頭上に広がる雨傘と共に、背後からは紙巻きタバコの煙が追いかけてきた。

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