85 反逆の魔女イシュタル
浮遊していた茶褐色の塊は、キラの杖の動きに合わせてしぶしぶと地面に沈んでいった。
「下ろしたぞ」
キラは不満げに、薄く桃色が差した頬を膨らませた。私は彼女の柔らかな頬を指先でさすり、その膨らみをなだめてから前に出た。
「ごめんね? ちょっと待ってて」
私は下ろされた物体を包み込むように、基本的な防水魔法を施した。堆肥の表面に、磨き上げられた革製品のような光沢が浮かび上がっていく。キラが一度持ち上げてくれたおかげで、対象の立体的なイメージをしっかりと頭の中で捉えられ、いつもより精密で練度の高い保護がかけられた。
……だが、まだだ。
強い白色を帯びた堆肥を見て、微調整の必要性を感じた。防水機能とは関係ないが、対象にかけた魔力の純度をできるだけ高めて自分色を消す。こうすることによって、第三者の魔力というノイズを減らし、なおかつキラの魔力の高さを活かせる。
「……よしっ」
一仕事終えた私は、自分で自分を鼓舞した。
「ほお……見事ですな。警備局員の仕事のようだ」
感心したように頷くマノリスに、過去の経歴をピタリと当てられた私は苦笑いを返すしかなかった。
「もう、いいか?」
不貞腐れていたのもどこへやら、うずうずを抑えきれない様子でキラが催促する。私は首を縦に振って、彼女と立ち位置を交換した。
半透明の白で覆われた茶褐色の塊の前で、キラは再度、大きく杖を掲げた。
「……やめた」
キラが発動させたのは魔法ではなく、大賢者譲りの気まぐれだった。慣れている私は、その心をストレートに尋ねる。
「何か、思いついたの?」
背中を向けていたキラが、ぱっと顔を輝かせて振り返ってきた。瞳を爛々とさせた無垢な笑みを浮かべ、彼女は大きく頷いた。
「うん! レオが使ってた、ウンチゴーレム! あれを、私もやってみたい!」
また、とんでもない思いつきを口走る。しかしその発想は、私の心の奥底に潜む、悪戯な魔の部分を刺激してきた。
「ウンチゴーレムに、自分で歩いてもらおう!! そうすればさぁ、私もタルも空を飛んで、楽に帰れる!!」
キラの口から十分な大義名分が語られる。何より、そんなことをして帰れば――。
「レオだって、ウンチゴーレムを見たら、きっと喜ぶぞ!?」
そういうことだ。
私は屋根の隙間から見えるどんよりとした空に視線を固定させながら、つり上がっていく口角を指先で下げた。そうしている間にも、私たちの立つ現場には、湿気を含んだ空気が流れ込み始めていた。
「……考えてごらん? どうしたら、ゴーレムが作れるか」
これからこの子は素晴らしいことをしてくれる。私の内心は荒れ狂う稲光でかき乱されたようになっていた。
キラからすれば、親と同じ境地に達する孝行。私からすれば、強力な主君の足元に喰らいつくことができるという反逆。
そして題材はウンチ。何もかもが最高だった。
「ゴーレムか。それなら、核が必要になってくるなぁ……」
マノリスが口にしたのは、ゴーレム作成の基本であり、今回の作戦において最大の障害だった。だが、私たちは、その気になればいつでも魔法界をひっくり返せる集団――レオナルドファミリーだ。その点については、まったく心配に及ばない。
「こあ? こあって、なんだ?」
歴史ある召喚術の概念すら知らないキラに、私が少し知識を与えるだけで、それはすぐに達成できる。危うい全能感に支配されぬよう、私は必死に堪えながら彼女を導いた。
「よく、思い出してごらん? あの人のゴーレムに、核は……肉体以外のものは、使われていた?」
あれはキラと暮らすようになって、初日の出来事だった。排便中の大賢者を暗殺しようと、キラがトイレに踏み込んだ、その後の悲劇だ。嫌でも焼き付いているはずの記憶を、今一度鮮明に呼び覚まさせる。
キラは口を半開きにさせながら小首を傾げ、斜め上の虚空を仰いで考え込んだ。
「うーん……いや、ウンチだけだった気がするなぁ」
ほぼ正解だが、厳密に言えば『常識外の魔力を帯びていれば核は何でもいい』ということだ。大賢者のようなデタラメな量の魔力を息をするように扱える男は、使用済みのトイレットペーパーであろうが、下らない毛であろうが、ゴーレムを動かすのに十分なエネルギーを持つ核へと変えてしまう。
「髪の毛を一本だけ、使うの」
「髪ぃ!?」
魔力量の問題はキラを変身させることによって片付く。残る課題は、魔力操作の精度である。
魔王技術を扱う大賢者は、その面においても隙が無い。しかし、キラはその分野を不得意としている。そのため、核となる物質は、彼女の肉体の一部が望ましい。そうすることによって、召喚したゴーレムとの意思疎通が簡単になる。
「タルはいろいろ知ってて、すごいなぁ……。教えてくれるか? ウンチゴーレムのつくり方」
今度は無理に表情を取り繕わなかった。
「……もちろん」
私の笑みに当てられたように、キラは我を忘れて指示に従った。老練なマノリスは、ただ黙ってその様子を見守っていた。




