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大賢者の秘書官イシュタル ~何者でもない魔女の一生……になるはずだった~  作者: ふるみ あまた
4章 森の錬金術師の章

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84 法と秩序と茶褐色の塊

 

 鼻をすする音が止み、ようやく誰もが前を向いたときだった。


 切り替えは一瞬のことだった。大賢者の言葉で、先ほどまでの感動は吹き飛んだ。


「それじゃあ、ウンチ運び。やりたい人?」

「はいはいはいはい!!」


 一体、何が彼女をそこまで突き動かすのだろう。キラはその場でジャンプをしながら、元気いっぱいに手を上げて、その役目を買って出た。


「じゃあオジサンは、畑……というか、改めて村中をまわって、地形を見てこようかな。せっかく作った黒土が、雨で流されないように対策を考えないとね」

「ピピィッ!」

「ピイちゃん殿も行きたいの? いいよ。それじゃあ、一緒に行きましょう」


 アシハラとピィちゃんは、揃って農場を歩き出した。魔力操作に長けるアシハラはあっという間に、異国の牧場という不釣り合いな風景に溶け込んでいった。


「私は帰る。ゲーム作らなきゃいけないから」


 私がプレゼントしたゲームに、まだまだ熱中しているソフィーさんは、いつも通り離脱宣言をした。


「留守をお願いします。完成したら、プレイさせてくださいね?」


 私の見送りの挨拶に、ソフィーさんは微笑みだけを返すと、サラマンダー君と共にその場から消え去った。後に残されたのは、華やかな香りと揺れる草花だけだった。


「おぉ……ほほう」


 嵐のような私たちの切り替えの早さに、マノリスは驚きながらも笑っていた。


「じゃあ、俺たちはガレージの片付けだ。行くぞ、タル」

「は……いや、ちょっと待ってください」

「どうしたんだよ?」

「アクセナさんは?」

「そりゃあ、キラと一緒だろ?」


 不安すぎる。というか、絶対にダメだ。


 私は無意識に思考を走らせ、残り少なくなったパズルのピースを組み替えた。


「アクセナさんは、この人とガレージに戻ってください。私が、キラと一緒に触媒を運びます」


 当然、アクセナからは思った通りの反応が返ってくる。


「えっ!?」


 彼女が嫌がるのはもっともだ。私にはその気持ちがよくわかる。しかし、安全面で考えれば、それがベストな組み合わせだ。


「よろしく」


 肩に手をかけられたアクセナは体をびくつかせて、大賢者を仰ぎ見た。


「あ、あはは……」


 アクセナが硬い笑顔を見せた途端、急造の凸凹コンビは音もなくその場から消えた。


 従業員のマノリス、そして堆肥をガレージまで運搬する班として私とキラが現場に残った。


「久しぶりにタルと二人だな! やったぁ!」


 なんと青空が似合う、美しい少女だろう。全身で喜びを表現した後、キラは何かを取り出そうと愛用のポーチの中に手を突っ込んだ。彼女が取り出したのは、杖ではなく、お気に入りのカメラだった。


「……よし! じいちゃん、ちょっとヒツジのとこまで一緒に行って、角を押さえてくれるか? 動物のタマ図鑑を完成させたいんだ!」


 これで通常通りなのが悲しい、とんでもない発言である。


「……ヒツジでいいのかい? ヤギもいるよ?」


 孫娘を持つ好々爺は、キラの特殊な性質を喜んで受け入れてくれた。





「デッカ!」


 案の定、キラはヒツジとヤギを取り違えて覚えていた。マノリスが最初に案内してくれたのはヒツジの厩舎で、ヒツジたちはお尻をこちらに向けて、モリモリと干し草を()んでいる只中にあった。


「うーわ……スレスレ。地面に付いちゃうじゃん」


 大股でしゃがみ込んで、下から舐めるようにシャッターを切るキラ。その姿だけを切り取って見ると、熟練したカメラマンの動きに見えなくもないのがまた、私に哀愁を感じさせた。


「キッシッシ! すごいなぁ、ブルンブルンだ!」


 ……まぁ、楽しそうだから、よしとしよう。堆肥の移動は、キラの情熱を冷ましてからで構わない。それはそれとして、私は彼女の保護者だ。まずは、マノリスに頭を下げなければならない。


「お忙しい中、すみません」

「いえいえ。こんなにも動物たちに興味を持ってくれるのは、牧場で働く者として嬉しいことですから」


 マノリスの言葉に、私はただ曖昧に頷くしかなかった。本質がどうあれ、受け入れられているのであればこれ以上の弁明は不要だ。私は早々に深い思考を放棄し、次の『被害』に遭うであろうヤギたちの冥福を祈ることにした。




 その後、キラはヤギの群れがいた柵の前に戻っても「形が一緒じゃねえか!」と狂喜乱舞していた。


 結局、彼女の情熱がひと段落し、私たちが堆肥を運び出すという任務に取り掛かるのは、それから一時間も経ってからだった。




「……なんか、天気悪くなってきたな」


 空を見上げたキラが、ぽつりとつぶやいた。見れば、先ほどまで澄み切っていた青空に、分厚い雨雲が差し掛かっていた。


 再び舞い戻った集積所。マノリスは野天に晒していた堆肥を守るため、簡易的な屋根をかける作業に黙々と勤しんでいた。


 冬は半分以上が雨になる。アクセナの証言をもっと重く受け取るべきだったが、どんなに下らないことでもいちいち振り返ってきて私に笑いかけてくるキラがあまりにも愛おしく、ついつい彼女の欲求を優先させてしまった。


 もう少し慎重に立ち回るべきだったか。後悔の念が押し寄せたが、こうなった場合を考えての今回のチーム編成だ。私はキラにひとつの提案をした。


「私が防水魔法をかけるから、キラは運搬をしてくれる?」

「うん!」


 キラは白い歯を見せて快諾。彼女はカメラをポーチにしまい込むと、入れ替えに杖を取り出した。


 キラは手にした大きな木製の杖を掲げると、杖先を高く積まれた堆肥へと向けた。


「……どれぐらい持っていけばいいんだ?」

「はっはっは。譲渡契約もせずに、持っていけるのかい?」


 作業を終えたマノリスが、笑いながら合流してきた。


 譲渡契約。簡単に言えば、盗難防止のためのルールである。それとは別に、共同所有契約というものもある。法と秩序を重んじる私たち人間ならではのルールだが、通常はそれらの契約を結ばないと、他人の所有物を魔法で引き寄せることはできないことになっている。しかし、そんな平和をいともたやすく破壊してしまう理論が存在する。


「ナメるなよ、じいちゃん! オラァァ!!」


 濃い紫色の光を帯び、一山丸々浮かび上がる茶褐色の塊。


 第五魔王理論。圧倒的出力によって、強制的に支配権を奪い取る『力の理論』。ちょうど目の前で、キラがして見せた行為である。


「おお! 素晴らしい魔力量だ! さすがは、大賢者様御一行」

「キラ、一回下ろして?」


 たまげるマノリスを尻目に、私は極めて冷静にキラに指示を出した。


「な、な、な、なんで?」

「防水魔法、まだかけてないから」


 私よりも魔力で上回るキラが先に魔法をかけると、保護魔法が通らなくなるという欠点もある。それが第五魔王理論。使い手の知性が試される、現代魔法界で主流の理論である。

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