83 涙の堆肥
「アクセナ! 大賢者様と、御一行様まで! 今日は一体、どうなっているんだ……」
何かあったのか、再会を喜んだのも束の間、マノリスは顔に当惑の色を浮かべた。
「どうされたんですか?」
私たちをここまで導いたアクセナが尋ねる。
「いやぁ……」
マノリスは誰もいないのに、周囲を警戒するように声をひそめて言葉を続ける。
「今朝から、スキアスたちの様子がおかしいんだ。側近のサプロスと一緒に『何か困っていることはないか?』と言って回って……とにかく、皆、気味悪がってる」
「そ、そうなんですか?」
まずい。あまりに人格が違いすぎて、早くも歪みが生じている。
マノリスとアクセナの怯えようを見て、私は事の発端である隣の男を仰ぎ見た。しかし、当の本人は涼しい顔をして二人の会話に割って入った。
「いや、実はさぁ、昨日の酒盛りで深酒しすぎたみたいでな。二人とも、屋敷で頭打って倒れてたから、俺が『治療』をしてやったんだよ。しかしどうにも、打ち所が悪かったみたいで……。もし、発見が少しでも遅れていたら……まぁ、命が助かっただけ、マシだと思ってくれ」
邪悪を上回る悪には、何と名付ければいいのか。
答えなどない。あるとすれば、人々はそれを『神』や『天災』といった、不可抗力の象徴に当てはめるだけだ。
そんな『人々』の端くれに名を連ねる私もまた、大賢者という『災厄』をただ、諦めている。あの二人に関しては、運がなかった。私から言えるのはそれだけだ。
「あ、頭を……? そ、そうだったんですか。道理で、サプロスの奴、私が断っても無理やり堆肥の山を担いでいこうとするわけだ……。命の恩人の大賢者様に文句は言えませんが、あれじゃあまるで、壊れた人形ですよ」
「はっはっは。上手いこと言うなぁ」
大賢者が笑い飛ばすと、マノリスはどこか申し訳なさそうに、しかし首を横に振りながら、不謹慎な笑いを零した。搾取され続けてきた彼にとって、スキアスたちの変貌は、救いとなったのだろう。
「それで、今日はどうされたのでしょうか?」
「うむ。何を隠そう、このアクセナが、愛する故郷のために一肌脱ぎたいそうだ」
今回の主役はあくまでアクセナだ。 だから肝心の本題は、本人の口から切り出させる。大賢者には、彼女が成功者になるという未来が見えているに違いない。なんだかんだ言って、彼はアクセナの心にある影を取り除いてやりたいのだ。
舞台の中心へと引きずり出されたアクセナは、下を向いたまま、眼鏡を押し上げた。その指先は、微かに震えている。上天から降り注ぐ『災厄』の視線が、彼女の逃げ道を静かに塞いでいた。
ここで臆すれば、アクセナは自縄自縛の呪いに苦しみ続けることになる。
私は黙って、『神』の力による生まれ変わりを信じ、祈りを捧げた。
「……黒土を、作ります」
顔を上げた彼女の声は、もう震えていなかった。
アクセナの決意を受け取ったマノリスは、目を見開くと、微かな笑みを浮かべた。今度の笑みは、慈しみに満ちた温かいものだった。
「ようやっと、言ってくれたか。あの装置……あれは、そういうことだったんだな?」
「はい……今まで黙っていたりして、すみませんでした。私は……その……卑怯でした。マノリスさんや、セレナに、いつも良くしてもらっているのに……何のお返しもできなくて……それで焦ってしまって」
マノリスは少し上を向いて、大きく笑った。
「卑怯なもんか。お返しなら、村の子供たちがもらっているじゃないか。私もたった今、もらえたところだ」
雨は降っていない。それなのに、アクセナの立つ地面のところだけ、ぽたぽたと、数滴の雫が吸い込まれていく。
温かい笑みを浮かべるマノリスは、さらに上を向くと、堆肥の山の方へと体を向けた。次にその口から出た言葉は、少し震えていた。
「錬金術のことは、よくわからない……が、お前が自分の足でここまで来たということは、これが必要なんだろう? 好きなだけ、持っていくといい。スキアスには、私が上手く言っておく」
マノリスは背中を向けたまま、空を見上げ、不器用に目元を拭った。
しんみりとした場の雰囲気にそぐわない、六人と一匹。その中で、キラと私だけが、つられてボロ泣きしていた。
「ううっ、……よくわかんないけど、良かったなぁ……アクセナぁ!」
私は、視界を滲ませながら、隣で騒ぐキラをたしなめた。
「コラ……邪魔、しないの」
感動を分かち合っているのか、ただの貰い泣きなのか。
ともかく、私たちの涙によって、重苦しかった空気は完全に洗い流されたようだった。




