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大賢者の秘書官イシュタル ~何者でもない魔女の一生……になるはずだった~  作者: ふるみ あまた
4章 森の錬金術師の章

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 瞬く間に大賢者は戻ってきた。例のごとく、何の説明もされず、現場に連れてこられたのは、新たな二つの影――。


「キュオーン!」


 時間すら凍りついた空間に残響したのは、サラマンダー君の鳴き声だった。大賢者によって、無理やりこの場へと引っ張り出された被害者である。


「…………」


 そして、第二の被害者ソフィーさん。身長百八十センチメートルの美の塊は、少し不機嫌そうにアクセナを見下ろす。


「…………」


 対してアクセナは、小柄な体を縮ませて、さらに小さくなろうとしていた。


 ドラゴンに睨まれる子猫を見守る心境になった私は、生唾を飲み込んだ。


「……なに?」


 傍らで笑顔を浮かべるばかりの大賢者に、ソフィーさんが迫る。


「なにって、何?」


 こういう空気のとき、この男は必ずすっとぼける。毎回毎回、よく飽きないものだ。


 ソフィーさんも同じことを思ったのだろう。呆れたようにため息をついた彼女は、私の方へ体を向けて声をかけてきた。


「タルちゃん、教えて?」

「えーっと……」


 専門的な話がわからない私は、説明に使えそうな単語をとっさに繋ぎ合わせた。


「この土地で、ほうれん草が育つような黒土を錬成したいとのことです」

「錬成……」


 何か思い当たることがあったのか、ソフィーさんは長い脚を滑らせて移動し、ゆっくりと椅子に腰掛けた。その隣には、お気に入りの忠臣アシハラの姿があった。


「……」


 花束のようないい香りを振りまきながら、手元を動かして何かを考えるソフィーさんに、アシハラが黙って紙巻きタバコを差し出した。彼女はにっこり笑ってから、それを口元に運ぶと、極めて練度の高い熱の魔法を使って煙をくゆらせた。


「……触媒は?」


 吐き出した煙の先を見つめながら、ソフィーさんは誰に対してともいえない質問を投げかけた。すると、大賢者が目配せと笑顔だけでアクセナを促した。


「石灰……です」


 アクセナは喉の奥から、ようやく声を絞り出した。それを聞いたソフィーさんは小さく頷いて、静かに言葉を紡ぎ始めた。


「それなら、落ち葉か……家畜の糞とか、使ったら?」

「ピィ! ピィィッ!!」


 凍った時を溶かすように、ピィちゃんが熱を込めて発言した。彼はそばにいたキラの袖を引いて、彼女に思い出すよう、一生懸命急かしていた。


「ウンチがどうしたんだよ? したいのか?」

「ビビビィ……」


 察しの悪いキラに対し、ピィちゃんは激しく首を横に振ると、キョロキョロと地面を見回した。


「ピッ!」


 Y字になった枝を拾い上げたピィちゃんは、それを額に当て、キラに詰め寄った。


「……あ! ヒツジか!」

「ピ……ピィ?」


 正解がわかっている私は、微妙に答えを外したキラと困惑するピィちゃんのやり取りを見て、助け舟を出した。


「ヤギでしょ?」

「ピィ! ピィ! ピィ!」


 歓喜を爆発させたピィちゃんが、ひんやりとした腕を私の膝に絡ませて甘えてきた。


「決まりだな」


 大賢者の鶴の一声で、今日のスケジュールは変更。中途半端に片付いたビルドインガレージを背に、全員が牧場へと続く道のりを踏み出した。





「バァァァァ」


 到着した牧場では、何十頭ものヤギたちが、冬の湿った風を跳ね返すような野太い合唱で私たちを迎えてくれた。彼らの足元には、目的のブツがそこかしこに転がっていた。


「ほーら、見てみろ! ウンチだらけだ!」


 両腕を広げ、牧場主かのように景色を誇ったのは、柵の前に立つキラだった。


「ピィ……」


 安堵のため息をついたピィちゃんは、私のローブの裾をギュッと握りしめると、いつものように大人しくなった。


「さて、これを使いたいわけだが、勝手に持っていくわけにはいかん。泥棒になっちゃうから」


 ここまで導いておいて、今更そんな基本的な問題を提起してくる。さすがは我が主である。案の定というべきか、私はその先の考えを求めた。


「何か、方法があるんですね?」

「無論。アクセナ君!」


 久しぶりに大賢者がファミリー以外の、第三者の名前を発した。


「は、は、は、はい?」


 アクセナが眼鏡のツルの部分に手をかけながら応答する。自分の価値に気づいていない彼女は、未だに自信なさげに振舞っていた。


「この牧場の所有者は?」

「ス、スキアス家が代々……というか、広い土地であれば、大体……」

「うむ。それならば、問題ない」


 言わずもがな、大賢者の手によって、スキアスは善意の傀儡へと変貌させられたばかりである。こちらが悪意を持って接すれば、簡単に許可は取れるだろう。


「ここで働いている者で、知り合いは?」

「……マノリスさんが、います。セレナの、おじいさんです」


 どこまでがこの男の計算なのだろうか。岩陰に生える青草を貪るヤギを見つめながら、私はとことん条件が整っている現状に絶句するしかなかった。


「それじゃあ、その爺さんのとこに行って、横流しの話を持ち掛けよう。アクセナ君! 案内を」

「は、はい」


 アクセナの案内のもと、私たちはぞろぞろと牧場の敷地内へ立ち入った。昼食のごった煮ラーメンも霞むほどの、他種族他民族で構成されるレオナルドファミリーのオーラに、ヤギたちは圧倒され、一切寄り付かなかった。





「見ろ! ウンチの山だ!」


 しばらく歩くと、ヤギの糞が集められた大きな山が目に入ってきた。発酵させているのか、山からは蒸気が立ち昇っていた。距離を詰めるほど、独特の臭気も強くなっていく。


「勢い余って突っ込むなよ?」

「そんなことするか! 汚い!」


 歩きながら、大賢者がキラに話しかける。ガレージでは、素手でとんでもないものを触っていたくせに、そこは嫌がるキラの衛生観念がわからなかった。


「軽々しく汚いとか言ってんじゃねぇぞ! バカ! いいか? あのウンチの塊は、一次産業を生業とする者にとって、ウンチにあらず。それどころか、金にも等しい存在なんだぞ?」


 正しいことを言っているのだが、こっちはこっちで怒りのポイントがよくわからない。


「……そうなのか?」


 キラは嘘ばかり言う父親の代わりに、アシハラに真偽を求めた。


「ガチです」


 キタカントーの生家に広大な畑を持つ侍の言葉は重く、キラは黙り込んだ。


 緊張感のないやり取りをよそに、私たちを導く小さな背中は目的地である熱を帯びた山へ、一直線に突き進んだ。彼女の視線の先には、見覚えのある初老の男性が鋤を握りしめて立っていた。

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