77 天使の梯子
「……で、この装置は一体何なんです?」
私は、もぎ取られたレバーの断面に指先で触れながら大賢者に尋ねた。
「夢の宝石製造機……人工魂石って言った方が、わかりやすいか?」
魔力の置換装置。はっきり言ってしまえば、凄まじい発明だ。軍事に転用すれば無尽蔵のエネルギー源を伴う兵器となり、もし小型化に成功すれば、敵対組織に忍ばせるだけで音もなく干上がらせる「沈黙の武器」にすらなり得る。
「あの若さで……そんな……」
「いいか、タル? これは善意から生まれた錬金装置だ。あまり突っ込んだことは、してくれるなよ?」
機械に触れた大賢者は、続けざまに私の手を握り、転移の準備を始めた。
「え? え? どこへ? というか、この人たちは、そのままでも?」
わざわざ手を握ってくるということは、行き先は私の知らない場所であること。そして大賢者の魔法が効きすぎているのか、足元で意識を失っている二人組を放っておくという判断に私はうろたえたが、それらは無視されて転移は発動された。
足が地に着くよりも早く、耳元で「パンッ!」と乾いた音が弾けた。
襲撃か――。
音が連続する中、身構えた私の鼻先を、ひらひらと場違いな銀テープがかすめていった。
「慌てんなって」
大賢者が手を伸ばし、私の身を起こした。
木とオイル、そして金属の匂いに包まれた、古いビルトインガレージ。吹き抜けになった天井からは、くす玉がぶら下がっていた。周囲へ視線を走らせると作業台だけでなく、ソファやテーブル、流し台から冷蔵庫までが揃っている。整理整頓とは無縁な、生活感あふれるその場所は、私がアクセナの治療をしたときに垣間見た映像、そのものだった。
「ここが……彼女の?」
私の問いかけに、大賢者は得意げに微笑みながら頷いた。魔力の置換装置を制作者の工房に返した彼は、続けざまにくす玉へと近づいていくと、迷うことなく紐を引いた。
【祝☆無罪確定】
「……えーっと」
「保身の前に、ここに謝りに来る気配があったら許してやろうとは思っていた……」
その言葉で、私はようやく一連の流れを理解できた。耳をつんざく破裂音の正体であるクラッカー。用意されていたくす玉。どちらのパーティーグッズも、大賢者が仕掛けていたものだ。
『……立ち上がったら、よく考えて行動しろよ? ひとつでも間違えれば、正義の味方がぶっ飛ばしに行くから』
あの言葉は脅しではなく、真実であった。初めから彼は、赦しのルートを用意していたのだ。
「まったく……なんか、酒でも飲みたくなる気分だけど、まだ昼間だしなぁ」
そう言って、大賢者はそれまで私を見ていた視線をテーブルの方へと動かした。つられてそちらを見ると、先ほどまで無かった二本のチェリーコークの缶が、卓上に並べられていた。
ツカツカと、自分の家のようにソファに歩み寄ってそこへ腰掛けると、大賢者は缶を煽り、タバコまで嗜み始めた。
ならず者の打ち上げに参加しようと、私は歩を進めようとした。しかし、すぐ近くにあった作業台に目が留まった。
「……あれ?」
飛び込んできたのは一冊の雑誌だった。表紙を飾っている男の顔には激しく見覚えがある。雑誌の名称は「月刊錬金術師」。表紙の男もまた、錬金術師ということだ……。
湧いたのは脱力と怒りだった。私はその雑誌を丸めて手に取り、標的に向かって一直線に突き進んだ。
「コラぁ!! なんということを!! なんということを!!」
「どした、どしたぁ!? 急にぃ!?」
最初の襲撃は失敗した。勘の良い大賢者は、背後からの私の攻撃を避けた。私は手を休ませず、主君に迫った。縦だろうが横だろうが斜めだろうが、我が君は襟付きローブの裾をひるがえし、ひとつも攻撃を当てさせてくれない。だが、避けられるたびに、私の握力は増していった。
「とぼけないでください!! 何ですか、これ!! あなたのお父様が表紙に載ってますけど!?」
魂の一撃が空を切る。すれすれで躱した大賢者はそれを目で追って、雑誌の表面から情報を読み取った。
「そりゃ載るだろうよ!! 発明王だぞ!?」
「だったら最初から世界なんて回る必要なかったでしょう!? お父様に宝石を作ってもらえればよかったじゃないですか!!」
――パコン。
乾いた音が響く。体を硬直させ、隙を見せた大賢者の眉間に、ついに私の情熱が届いた。
「……なるほどな。その発想は、まったくなかった」
「おかしいと思ったんですよ、最初から!! あなたのお母様のリアクションからして!! 正気を疑う目をしてましたからね!!」
あれから三か月。エジプトに、日本に、それから私の実家に、今はギリシャ。大賢者による壮大な時間の無駄遣いに、気持ちが収まらなかった私はもう一度、大きく振りかぶった。
「……回復魔法、覚えられたじゃん?」
「関係ないでしょう、そのことは!! そもそも、なんであなたは、一切魔法を教えてくれないんですか!?」
「ハハハハハ、まぁまぁまぁ」
言葉でもいなされ、私がヘトヘトになるまでガレージでの追いかけっこは続いた。有効打はその一撃が最後だった。
日も西に傾き、空には分厚い雲が差し掛かっていた。戦いの終焉はガレージの外で訪れた。私だけが肩で息をしている地上には、雲の切れ間から太陽の光が放射状に降り注いでいた。
「……一度、拠点に戻ろう。そろそろ、錬金術師も目を覚ます頃だろう」
「……はい」
一時停戦という平和的な形で条約は結ばれた。次に目指すは雲の上。今度は、それぞれが単独で転移を行った。




