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大賢者の秘書官イシュタル ~何者でもない魔女の一生……になるはずだった~  作者: ふるみ あまた
4章 森の錬金術師の章

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74 再動のフェヴロティア

 

「せっかく持ってきたのに、どうして使わなかったんですか?」


 タープの下には、拠点から持ってきた昆布や鰹節などが大量に余っていた。ギリシャには出汁の文化があるから、きっと受け入れてくれるはず。そう言って、これらを持ってきたのはアシハラだった。


 三百人分の炊き出しは大変だった。しかし、そのことが理由とは思えなかった私は尋ねた。最初に返ってきた言葉はなんとも彼らしい、わかりづらいものだったが、続きの言葉はもっと彼らしかった。


「うん。思っていたより、お年寄りが多かったからね」

「それって……どういう意味ですか?」

「地元の、慣れ親しんだ味ってあるじゃない。そういうものの方が食べやすいだろうし、体になじむと思って」


 感銘を受けた私は、返す言葉もなかった。


 人に敬意を払える人間は、人から尊敬されるに値する。


 白いんげん豆のスープがたっぷり入っていた寸胴鍋は、すべて空になっていた。そんな当たり前のことを、私は空っぽの鍋底に教わった気がした。


「タル! アクセナがいないって!」


 村の人たちよりもラムアンドポテトを楽しんでいたキラが走ってやってきた。緊急の知らせなのだが、問題は彼女の言う『アクセナ』という人物が、誰なのかさっぱり分からないことだった。


「アクセナ?」

「うん。あっちにいる、じいちゃんの孫が騒いでる」


 その老人の孫の名前か。いや、騒いでいるのだからその子は違う。村の人たちと仲良くなるのは構わないが、情報は正確に伝えてほしいところだった。


「えーっと……あの子じゃない?」


 混乱する私とは対照的に、ピンときたらしいアシハラは空を指した。そこでようやく私もその人物のことを思い出せた。


「キラ、その人がどんな人か、わかる?」


 伝令をやり直させたい気持ちを堪え、私は確認作業に入った。


「でっかい眼鏡かけてる、若いねーちゃんだって」


 広場の方を見ても、似た外見をした人は他に見当たらないし、その風貌であれば、チェリーコークで失神した、あの女性のことで間違いはなさそうだ。


「その人なら私たちが預かっているから大丈夫だって、伝えてきてくれる?」

「おぉ!! あの女か!! わかった!!」


 威勢良く返事をすると、キラは近くに置いてあったレモンが入ったバスケットを掴んで戻っていった。


「おーい! そんな臭い草より、こっちの方が絶対うまいぞぉ!?」


 非常に勢力の強い言葉をかけても村の人たちから受け入れられるのは、彼女の容姿が素晴らしいから、それとも底抜けに明るいからか。心配なのはそこだけではなく、彼女がメッセンジャーという役目をすでに忘れていそうなところにもあった。


「……いってきます」

「はい、お疲れ様です」


 溜め息をつき、アシハラに短く報告を済ませた私は、プラタナスの木の下を出発した。





 結果から言えば、大賢者の計画した炊き出し作戦は大成功した。数少ない村の若者たちに先に補給をさせ、各地に散らばった人たちを救助させる。おかげで迅速に救助網が広がった。


 心配していたキラとピィちゃんのコンビも思わぬ大活躍を見せ、停滞していたフェヴロティアの時は動き出していた。ベンチで老人が腰かけていただけの広場が、今は人でごった返していた。


「強すぎる!! なんだ、この生物は!?」

「ピピィ!!」


 救助活動を終えたピィちゃんは変身した姿のまま、レスリングの真っ最中だった。屈強な若者を三人同時に相手取っても、彼はビクともしていなかった。


「ピィッ!」


 頼もしい彼氏からの呼びかけに笑顔を返したあと、私は表情を引き締め直し、人の網をすり抜けながら目標に近づいた。


「すっぱいからやだ!」

「わがまま言うな!! オラァ!!」


 キラは強引に、村の女の子のお皿にレモンを絞って泣かせていた。私は完全に任務を忘れている彼女の後ろに立った。


「いじめないの」


 慣れきって怒りの感情すら湧いていない私の声に、キラは直立不動の体勢を取った。泣いていた女の子は、祖父と思われる初老の男性に抱かれながら私たちの様子を見て、ますます怖がった。


「こんにちは。うちのキラが申し訳ございません。私はあちらの秘書を務めております、イシュタルと申します」


 私の視線の先にいる大賢者は広場の隅の方で、場違いな正装に身を固めた二人組に笑いかけながらラムアンドポテトを勧めていた。一方で、私の目の前の老人は安堵したように口を開いた。


「いえいえ、子供は泣くのが仕事のようなものですから。それにしても、驚きました。まさか大賢者様御一行が、こんな田舎の村を訪れてくれるとは……ありがとうございます。おかげで助かりました」

「お役に立てて光栄です。ところでアクセナさんの件ですけれど、その人でしたら、私たちがすでに保護しておりますので、目を覚まし次第、こちらへ送り届けます。参考までに、お聞きしたいのですが……」


 私は手のひらにイブを召喚し、アクセナと思われる女性の静止画を宙に映し出させた。


「こちらの方が、アクセナさんで間違いありませんか」

「おぉ……間違いなく、彼女です。こんな魔法があるなんて……ほら、セレナ。アクセナだぞ?」

「アクセナだぁ……」


 二人分の確認が取れた。一人は子供だが、この状況なら信憑性は高い。私はすぐさまイブを霧散させて、老人たちに一礼をした。


 次なる目的地は、二人組の男を相手に馬鹿笑いしている我が主だった。

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