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大賢者の秘書官イシュタル ~何者でもない魔女の一生……になるはずだった~  作者: ふるみ あまた
4章 森の錬金術師の章

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73 【キラ、大奮闘】

 

 落ち着いた深緑色のローブの上からは、ポーチとカメラがかけられていた。エルフの少女は、サラサラと風にたなびく長い金髪を何度もかき分けながら、隣に立つ幼子に話しかけた。


「見ろ、ゼノ。ヒツジがいるぞ?」


 彼女はキラ。外見年齢、十二歳。今日も幼子に姉貴肌をきかせ、偉大な父親の背中を追って彼女なりに奮闘していた。


「ピィ!」


 第七魔王ゼノ。人型軟体生物である。齢二百を超えたその存在を『ピィちゃん』と呼ぶ猛者もいる。彼にとっては因縁があるはずのアレキサンダー家であるが、次期当主のレオナルド・セプティム・アレキサンダーらとの隠居生活は、そういったものを忘れさせてしまうらしい。最近はドラゴンの刺繍が入った子供用パーカーを着こなし、五歳児として生を謳歌している。


「バー……」


 ヤギ。フェヴロティア原産。七歳。柵の向こう側にいるエルフに、あろうことかヒツジなんぞと間違えられた彼であったが、今は正気を取り戻したかのようにモシャモシャと、足元の草を食べることだけに精を出している。


「ゼノ、ちょっと角を押さえといてくれ。コイツの写真も、動物のタマ図鑑に加えたい」

「ピィッ!?」


 誰が見るのかタマ図鑑。忘れ去った使命感。人畜の境界線をまたごうと、キラは大きく前に足を動かした。


「……って、ウンチだらけじゃねぇか!!」

「ピィ!?」


 環境をナメていたキラはたまらず足を引っ込めた。





 ひとつも身にならない牧場体験を終えた二人が、次に向かったのは食料品店だった。するべきこともせず、なぜそこに向かったのかは、残念ながらキラにしかわからない。


「見ろ、ゼノ!! 肉だ!! うまそうだなぁ!?」


 一面の赤に染められた精肉コーナーは、彼女にとってのテーマパーク。スーパースターたちに囲まれながら両手を広げ、全身で悦びを表現しながらも、彼女はゼノに姉貴肌をきかせるのだけは忘れなかった。


「ピィ……」


 対してゼノは魚派。彼はこの場所を、お気に召していなかった。背中のドラゴンも、どこかしょんぼりとした顔に見えた。


「な、なにやってんの?」


 イシュタル・ラヒミ。魔女。三十一歳独身。かつては魔法界の秩序を保つために奮闘していた彼女だったが、今はその輝かしい経歴をドブに捨て、大賢者レオナルドという名の『無秩序野郎』の秘書官として絶賛活躍中である。


 そんなイシュタルの本日の任務は、炊き出しのサポートである。キラと違い、現場を取り仕切る料理長の指示という正当な理由を背負った彼女は、ここへやってきたところだった。


「……ゼノが見たいっていうから」

「ピィッ!?」


 イシュタル・ラヒミ。魔女。三十一歳独身。かつての同僚たちに『鉄仮面』と評されていた彼女は、大賢者レオナルドの養子であるキラの指導役も兼ねていた。


「……キラ?」


 苦難の多い人生を歩んできた彼女に、粗末な嘘は通じない。だからこそ彼女の人生は険しいのかもしれない。また、目が大きく美人な彼女はそれ以上のことを言わずとも、魔力で上回るエルフの少女を委縮させることができた。


「……ごめんなさい」


 謝罪は直立不動で小さく早く。それがキラの学んだ処世術だった。イシュタルは呆れたように笑うと、キラの隣にちょこんと立っていたゼノへと視線を移した。


「ピィちゃん、お願いね?」

「ピィッ!」


 イシュタルは多くを語らず、売り場にあるすべてのラム肉をカートに積むとクールに去っていた。


 嫉妬と憧れ、そして好物が食べられそうだという希望までが渦巻いたキラは、そんな彼女の後ろ姿、もっと言えばそのお尻にフォーカスを絞ってシャッターを切った。これでもう、イシュタルのお尻写真集の三巻目が完成しそうな量になった。


「ピピィ……」

「ちがう。盗撮じゃない。やるぞ、ゼノ。その前に、ちょっとこれを持ってろ」


 ――ゼノばっかりずるい。私もタルに頼られたい。お肉も食べたい。


 よみがえったのは使命感。押し付けたのはカメラ。


 キラはゼノの手に預けた宝物をポーチへとしまい込むと、入れ替わりに愛用の杖を引き抜いた。





 宙に舞うは成人の姿へと変貌したエルフ。これに伴うは、身の丈二メートルを超える屈強なイカ人間。恐るべき潜在能力を秘めたキラと、かつて孤独に嘆いた第七魔王ゼノが真の力を示すときがきた。


 高速で低空飛行する二人は、フェヴロティアの老人やご婦人、そして子供たちを次々と拾い上げてゆく。


「あー……」

「わー……」

「やー……」


「そりゃああぁぁ!!」

「ピッ……ピッ……ピッ……」


 拾い上げた人々はすべて弟分の背中に放り投げるという、変身しても精神性は相変わらずだった。


 飢えに苦しむ人々をかき集め、地面すれすれを飛ぶ二人が目指したのは村の中心にある広場だった。目印は、大きなプラタナスの木の下。そこに立つのは、偉丈夫のくせにやたらエプロンが似合う中年の男……。


「あら、早かったねぇ。さすが」


 ムガ・アシハラ。侍。四十四歳独身。泥水どころか、もっと汚いもの、ときには啜れないものまで啜って生きてきたこの男は、現在はレオナルド家の一員である。最後に塀の中に入れられたのは、立ちションの罰金二千円が払えなかったため、という風の噂もある。十二歳で葦原流を極めた彼は、刀はもちろん、料理の腕も超一流。今日の任務は炊き出しの料理長として、三百人分の食事を用意することだ。


「ピィ」


 ドザドサと、ゼノは村人たちを背中から降ろした。


「きっしっし。そんな褒めるなって」


 キョロキョロと、キラはラム肉の在り処を探った。しかし、アシハラのまわりで煮え立つどの寸胴鍋も豆と野菜で埋め尽くされている。彼女が求める色はどこにもなかった。


「あれ? なんで? なんで無いんだ? 」

「何キョドってんだ、お前?」


 レオナルド・セプティム・アレキサンダー。大賢者。三十歳既婚。累計請求慰謝料総額、不明。若かりし頃は多くの浮名を流した彼も、現在は遥か上空にいる妻やペットを含めた、総勢六人と一匹の大家族を抱えている。彼はこの村に起きていた異変にいち早く気づき、解決のためにいくつかの仕事を終えてきたばかりだった。


「なんだ、レオか。……なんでもない」


 お肉ライバル。


 その名の通り、レオナルドは肉が好きだ。良き父ではあるが、パワーも魔力も圧倒的に格上。競争となると、勝てた試しがない。だからこそ、彼女にとっては良き父なのかもしれない。


「あっそ。それにしても、よくやったなぁ? やればできるじゃねぇか、お前ら」


 父が感心した声を上げたのと同時に、その父と同じくらい好きな人物の声が飛んだ。


「ちょっと、誰か? こっちで手伝ってくれませんか?」


 ――お尻が呼んでいる。


 寸胴鍋が並べられたその場所から少し離れたところにいたイシュタルが呼んでいた。


「ビェッ!?」


 救援を求める声にいち早く反応したゼノのトーガをひっつかみ、父の褒め言葉を無視してまで、キラがその役目を買って出た。彼女の顔は、この日一番の真剣なものだった。




 中腰でタープの下の荷物を漁っていたイシュタルは、珍しく困り果てた顔をしていた。


「キラが来てくれたの? ありがとう。悪いんだけど、ジャガイモを探してくれない? 全部まとめて置いておいたはずなんだけど、どこへ行ったのか分からなくなっちゃって……」

「まかせろ!」


 ――今なら勝てる。


 大人になったキラは、身長体重ともに大きく成長していた。ついでに心まで増長していた彼女は思慮浅く、大好きなイシュタルのお尻へと手を伸ばした。


「さっきはごめんね? 忙しくて、あんまり構ってあげられなくて。皆が見ていなくても、ちゃんと役割を果たせて、えらいじゃない」


 不埒な手がピタリと止まった。何気ない賞賛の言葉が、キラの心から悪の根を取り除いた。


 全身を輝かせて、キラは変身を解いた。子供の姿に戻った彼女は、次に何を言うべきか考え込んでしまった。


「……どうしたの?」


 振り返ったイシュタルの大きな瞳には、天使のような少女の姿が映っていた。


「あ、いや……撫でても、いいぞ?」


 純度の高いキラの前では、鉄仮面も形無しだった。


「おいで」

「ん」


 キラ・アルマ・アレキサンダー。孤児として育った彼女は分離不安を抱えている。彼女の父、レオナルドだけは出会った時点でそのことを見抜いていた。


 彼の命令のもと、イシュタルは今もキラと同じ部屋で過ごしている。叱るときは厳しく、甘やかすときはどこまでも――。その教育方針はレオナルドの指示ではなく、イシュタル自身の考えによるものだった。


 そんな彼女を、キラは心から信頼していた。

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