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大賢者の秘書官イシュタル ~何者でもない魔女の一生……になるはずだった~  作者: ふるみ あまた
4章 森の錬金術師の章

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69 先の先の……

 

 対象の自然回復力をブーストさせる。これが、私の勉強している理論値50の回復魔法だ。100ともなると、自分の魔力を対象の魔力へと変換し、それを分け与えることによって即時に治療することができる。両者を比べてみると、エネルギー効率や即効性において大きく劣る『旧式』だが、拒絶反応などの事故を考えるとリスクは低い。


「それじゃあ、今日もやってみましょうか」


 アシハラの方法は荒っぽかった。来る日も来る日も、彼は自らの腕に切り傷をつけて、私に実践を行わせた。


 私は割れた傷口に意識を集中させ、白い魔力を回復魔法へと昇華させた。


「……ど、どうですか?」


 アシハラは手を握ったり開いたりして、効果のほどを確かめるように腕を見た。そこにはうっすらと、赤い筋が残っていた。


「うん……いいんじゃないかな」


 アシハラはいつでも褒めてくれるが、私はそうは思わなかった。


 練習相手の生命力が強すぎて、効果が出ているのかよくわからない。彼の自然治癒力の誤差の範囲ではないか。あるいは、ただ足踏みをしているだけなのではないか。


 そういった不安な思いに揺さぶられ、日々を過ごしていた。


「おい、寒いぞ。もう帰ろう」


 私たちのすぐそばでは、キラがサラマンダー君の焚き火にあたって暖を取っていた。


 二月に入っても、トレーニングルーム内は雪に包まれていた。生傷をつけるということで、できるだけ低温で空気が綺麗な場所。それがこの場所だった。


「ごめん。もう行こうか」


 朝の精神鍛錬の時間の延長で、キラとサラマンダー君は練習に付き添ってくれていた。私は申し訳なく思って、彼女の提案に従った。





 トレーニングルームから出て廊下を歩いているときも、アシハラはまだ腕の傷跡を指でなぞっていた。


「上手だねぇ、やっぱ。たったひと月で、ここまでできるようになるなんて……」

「褒めすぎですよ。私なんて、まだまだですから」


 日本を出発してからひと月。途中で私の実家に無理矢理滞在させられるというアクシデントもあったが、そのおかげで座学は捗った。自分がどこまで達したかは試験を受けたわけではないので詳しくはわからないが、自己採点で30から40といったところだろうか。


 新しい知識は詰め込めば詰め込むほど横の広がりを見せた。先の先まで見据えると『魔法学』という、この世で一番恐ろしい学科の知識まで必要になってくる。


「よう!」


 後ろから、誰を呼んでいるのかわからない声がして全員が振り返ることになった。そこにはギリシャの英雄像のような、洗練された体の大賢者が立っていた。


「やってるねぇ。回復魔法、もう覚えちゃったの?」

「なんで裸なんですか?」


 強者の余裕か、態度のわりには控えめなモノを恥ずかしげもなくぷらっとさせていた。それを見て笑い声を上げたのはキラだけ。私は毅然とした態度で湯気を背負った主君に接した。


「温泉入ったからに決まってるだろう?」

「そうじゃなくて……」


 何か着ろよ。


 朝からそんな当たり前のことも言いたくない私は、額に手を当ててなんとか疲労感を逃そうとした。


「触らない!」


 私は鋭く一喝し、嬉々として手を伸ばしていたキラを止めた。


「朝からそんな怒らなくても、お前……別に汚くねぇよ? 洗いたてなんだから」


 触られたいのか?

 何なんだ、その理論は。


 人が真面目に魔法の習得をしているところなのに……。

 大賢者も、キラも……。


 私の頭の中は、どこから手をつければいいのかわからない困惑で渦巻いた。





 本日のお品書き。昨日のバーベキューで余ったフェタチーズが入ったパイ。ベーコンエッグ。トマトやキュウリなど、色とりどりの野菜がふんだんに使われたフレッシュサラダ。ハチミツとクルミがトッピングされたギリシャヨーグルト。イチジクとブドウ。


「納豆はどこだぁぁぁ!?」

「ピィィ!?」


 朝はご飯派の子供たちの大ブーイングから始まった朝食だったが、私は構わず箸を進めた。


 朝からパイなんて豪勢だ。サクサクの生地にしっとりとした塩気のあるチーズが、喧しい一日を乗り切るためのエネルギーを与えてくれた。黒コショウがたっぷり振りかけられたベーコンエッグの焼き加減も素晴らしい。崩した黄身にパイを染み込ませたっていい。口をさっぱりさせたくなったら、ビネガーの効いたシャキシャキのサラダだってある。優雅な味の往復を楽しんだ後は、ヨーグルトとフルーツで締める。特にイチジクなんてものは、久しぶりに口にすることができた。


 こういった朝食も楽しい。というか、アシハラが凄すぎる。毎日毎日、こんなカオスな状況下で、ご当地のものを使って、これだけの豪華な献立を提供できるのだから。


「食った!! ごちそうさま!!」

「ピィッ!!」


 先の先の、そのまた先まで読んでいるアシハラに、抜かりがあるはずもなかった。彼はキラとピィちゃんが満足するように、納豆巻きとたらこおにぎりを、それぞれのために用意していた。


 結局、用意された朝食に文句を言わなかったのは、ソフィーさんと私だけだった。


「ごちそうさまでしたっ!!」


 偏食王の大賢者は、当然のように用意されていた分厚いベーコンステーキを平らげて満足気に言い放つと、私に顔を向けてきた。


「よし……じゃあ、もう行こうか?」

「どちらへ?」


 早いんだよ。少しは食休みをさせてくれ。


 願いも虚しく問答は続いた。


「今日は内陸だな。他に誰か、行きたい人?」


 ピクリと動いたのは後片付けをしているアシハラぐらいで、他には誰も興味を示さなかった。そもそも聞き込み調査に頭数は必要ない。それどころか、多ければ多いほどかえって邪魔になるため、その方が都合がよかった。


「そっか。じゃあ、今日もタルと二人で行ってくるから、お前らは畑仕事を頑張れ」


 日本を出発したその日から、拠点には新たな扉が追加されていた。その扉はトレーニングルームに存在し、いつでもアシハラの生家へと行くことができる。もちろん、そこにはあのポコ蔵だっている。


 朝の廊下で全裸でいた大賢者は日本の畑に行って、土作りの作業をして帰ってきた上で温泉に入ったとのことだった。


「よし、ポコ吉に会ってくるか」

「あのたぬ吉、寝てばっかいやがる。起きたら起きたで、食い物の話しかしやがらねぇ。まったく、笑えるよな」


 キラにも大賢者にも一生名前を覚えてもらえない憐れな化け狸は、相変わらずのようだった。

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