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大賢者の秘書官イシュタル ~何者でもない魔女の一生……になるはずだった~  作者: ふるみ あまた
4章 森の錬金術師の章

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68 雨雲の上のバーベキュー

 

 晴れていれば夜の地中海がよく見えたはずのウッドデッキでは、大賢者がバーベキューの準備をしていた。機嫌よく鼻歌まじりにコンロをセットした彼が、尻尾を振って応援していたサラマンダー君の頭をひと撫でしたところで私は尋ねた。


「どうして、許したりしたんですか?」

「ん~?」


 いつものごとく、すっとぼけた返事をしてきた大賢者に対し、私も例のごとく詰め寄った。


「カジノの件ですよ」


 サラマンダー君に炭を炙ってもらうと、大賢者はその熱を借りて(くわ)えたタバコに火を点けた。煙を吐きながら彼は得意げに笑いかけてくると、私の隣に腰掛けた。


「まずは……そうね。お前が怒ってくれたのは嬉しかった。俺のこと、好きだもんな?」


 イラッとした私をリラックスさせてくれたのはサラマンダー君だった。彼は私の膝の上に頭を乗せて、鳴き声ともつかない音波のような高音を出して甘えてきた。私は大賢者によく聞こえるよう、大きくため息をついてからサラマンダー君を撫でた。


「そう怒るな。今日はいろいろ回ってさ、カジノでも楽しい時間が過ごせたことだし、揉めごとは起こさない方がいいと判断したわけよ」

「本当は?」


 大賢者の言葉は嘘ではないが、真実のすべてでもない。この男と生活を共にしてきて、無駄に嗅覚が発達してしまった私にはそのことがよく分かってしまった。


 私の追及など織り込み済みだったのだろう。大賢者は嬉しそうに眉を上げて言葉を続けた。


「顔と名前がなかなか入らない俺だ。こういうことが、のちに思ってもいないような事態の好転を生み出すこともある。まぁ、処世術ってやつだな」


 釈然とはしなかったが、二十代のうちから数々の修羅場をくぐってきた強者ならではの発想だと思って、私はそこそこに納得した。


「とはいえ、都合よく、すぐにその効果が表れるとは言ってないぞ?」

「わかってますって」

「ほあぁぁぁ!!!!」


 ドシンと、テーブルに大皿を叩きつけたのはキラだった。皿の上には、鉄串に彼女の好きなラム肉を刺したものが大量に乗せられていた。


「ピピィ!」


 ピィちゃんもやってきた。その手にはもちろん、ギリシャの海産物がたっぷり積まれた大皿があった。


「ギリシャフェア!!」


 アシハラまでがこのノリに付き合っていた。豚串に鶏串に、おまけに牛串まで。ギリシャ名物のスブラキをはじめとした料理の数々が、次々とガーデンテーブルに並べられていった。


「ソフィーさんは?」

「それがねぇ……まだ部屋でゲームやってるみたい」


 言いづらそうに答えたのはアシハラだった。私がプレゼントしたゲームがたたって、このところの彼女は引きこもりがちな生活に逆戻りしてしまっていた。


「まったく、しょうがねぇなぁ……俺が呼んでくるわ」


 いつの間にか吸い終わっていたタバコの代わりに、今度はピタパンを手に持っていた大賢者が玄関へと向かっていった。


「おーい、メシだぞぉ!!」


 入り口に顔を突っ込んだ大賢者の叫び声は、こちらにまでよく響いた。


 新しい年を迎えてから、拠点の外装は新しく変わった。というよりは、大賢者によって変えられていた。広々としたウッドデッキにポツンと建てられていたテントはなくなり、間取りがきちんと反映された山小屋風のかわいい建物になった。


 少し間を空けてから、ソフィーさんはやってきた。テーブルについたときの彼女の顔は、好きなことをやっているときに中断を強制された思春期の魔女のような表情だった。


「ソフィーよし! コンロもよし! キラ、ゼノ! もう始めていいぞ!」

「よっしゃぁぁぁ!!」

「ピュピィ!!」


 大賢者からのゴーサインが出ると、子供たちの手によって海老とラム串だけが網の上に隙間なく乗せられていった。





 各々のコップに飲み物が行き渡り、大賢者の「いただきます」の号令で夕食は始まった。少しだけ癖のあるラム串には、シャキシャキとしたキュウリの歯ごたえとニンニクが効いたヨーグルトソースがよく合った。ディルの爽やかな香りにレモン汁を加えて、自分好みのソースに仕上げるのもまた楽しい。


 ピィちゃんが焼いてくれた海老は最高だった。炭火で炙った香ばしさと旨味が凝縮された身に少しだけ塩を振って口に運び、間髪入れずにウイスキーアンドソーダを流し込む。これだけでギリシャに来てよかったと思った。


 不機嫌そうに座っていたソフィーさんも、キラが焼いた串の山へと手を伸ばした。一口食べた途端、彼女に笑顔が戻った。


「臭くてうまい!! ヒツジ最高!!」


 どうやって食べたらそんなところに付いてしまうのか、キラの目の横にはヨーグルトソースが白く飛んでいた。見慣れているアシハラは黙ってそれを指で拭ってやった。立て続けに彼は専用のケースから冷たいおしぼりを二本取り出した。それは自分の指に付いたソースを拭くためのものと、コンロの熱で両手をやられていたピィちゃんに渡すためのものだった。


「ピィ……」


 お礼を言ったピィちゃんはおしぼりで手を冷やしながら夜空を見上げ、次に控える貝との戦いに備えた。


「それ、割りばしか? だったらよし!」

「キュオーン!」


 大賢者はキラが落とした割りばしを、スナック感覚でサラマンダー君に食べさせていた。おかげで普通のものが食べられないサラマンダー君でも、団らんの場に加わることができた。


「……不思議なものね?」

「え?」


 それまで何も言わずに隣で食べ進めていたソフィーさんが話しかけてきた。


「さっきまで、食欲なんて無かったのに。こうしてみんなで食べると、嘘みたいにお腹が空いちゃって……」


 どうやらソフィーさんも私と同じように、一家の動向に目を配らせていたらしい。彼女は愛おしそうに周囲を見回すと、私の目を真っすぐ見つめてきた。


「今日はどうだったの?」

「いろいろありましたけど、結局、錬金術師の情報については何も。明日からは、観光地じゃなくて内陸の方で本格的な聞き込みをする、と思うんですけど……」


 私は何をしでかすかさっぱりわからない大賢者へと視線を向けた。するとソフィーさんが静かに笑った。


「頑張ってね。私はそんなに、宝石のことは気にしてないから」

「はぁ……」


 返事の代わりに出たのはため息だった。デッキの下に広がる雨雲が少しだけ動いたような気がした。

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