67 雨のギリシャ、怒りのカジノ
「あなたが本物の大賢者様というのならば、どうか私に教えてください。愛する妻に先立たれ、希望を失った私の生きる意味を!」
「知らないねぇ。いきなり聞いてくるなよぉ、そんな難しいこと。生きる意味ぃ? そうねぇ……答えは『存在しない』だな。残念なことに、おたくのカミさんはもう戻ってこないよ。だが、希望を失っちゃうほど愛したというのは確かなんだろう? それなら、その女と一緒に過ごした時間はいつでも思い出せるはずだ。だったら、それにすがって暗く寂しく、時には思い出し笑いなんかしちゃったりして、余生を過ごすのも正解のひとつなんじゃない?」
魔法界に生きる人々に『大賢者』と呼ばれ、賛否両論真っ二つに分かれるその男は、また一人の悩める魔法族を救った。相談者の男はその場で崩れ落ち、降りしきる雨よりも大粒の涙を流しながら嗚咽を漏らした。
小さな通りではあったが、それなりに人通りの多い、ギリシャのとある港町での出来事だった。それにもかかわらず、周囲の視線は一切集まらない。その魔法の発信源はもちろん、我らが大賢者様だ。彼は何も言わず、男が落ち着くまでその場で待っていた。
ゆっくりではあったが、男は自らの力で立ち上がることができた。瞳に宿していた絶望の色は薄くなっていた。それを見た大賢者は満足したように何度か頷いて、男を見つめた。
「……ところで俺たち、これから一杯やりに行こうと思ってるんだけど、良かったら一緒に来る?」
私たちにそんな予定はなかった。しかし答えがわかっていたからだろう。大賢者は男を誘った。
「……いえ。他に、行かなければならない所ができました。妻との思い出が、たくさんある店に」
「そっか。雨だからな。保護魔法を怠るなよ? 気をつけて行け」
「ありがとうございます」
男は涙を拭い、静かに頭を下げると、港町の人混みの中に消えていった。
「いきなり人生相談とは……ギリシャだねぇ。それとも病みの時代なのかねぇ。どいつもこいつも、何を小難しいこと考えて生きてるんだか。食って寝て打って。生きる意味なんて、そんなもんでいいと思わないか?」
さっきまでの哲学者はどこへやら。ただ、そんな俗っぽい言葉にさえ真理が宿ってしまうのが、この男の底知れないところだった。私は自分が小さく笑っていたことに気づき、表情を作り直してから口を開いた。
「もし、あなたのような人たちだけで世界が構成されたら、そこにある時代は病みというよりは闇でしょうけどね」
「フハハハハ!! そうだけど、そうじゃなくてさぁ……いつの間に、こんな繊細な世の中になっちゃったのかって話をしたかったんだ、俺は!! バカタレぇい!!」
大賢者レオナルド・セプティム・アレキサンダーは、自分の悪口を喜んでから言葉の意図が伝わらなくてイライラするという高度な感情の変遷を見せた。彼は絶好調で、私の口元に再び微かな笑みが宿ったが、目的の錬金術師探しについてはさっぱりなまま、私たちは拠点へと戻ることを余儀なくされた。
観光地を回ってしまったというのが、今回の敗因である。昼は一家総出での観光を楽しめたが、夜は私と大賢者だけで本格的な聞き込み調査をする予定であった。先ほどは悩める一般の方にすごくいい言葉をかけて、私も騙された形にはなったが、ギリシャにはカジノがある。その賭博場で、我が君は少々やりすぎた。
「ラッキー。これで三連続じゃん? 大まくりだぜ」
三十八分の一の確率を三連続。天文学的数値を突破したのに、大して興奮した様子もなく、大賢者は事も無げに私の顔を見てきた。真っ青な顔をさせてすっ飛んできたのは、オーナーと支配人だった。身内の私でさえ一瞬、不正を疑ったほどだ。彼らにしてみれば当然の反応といえた。
顔パスでハイローラーとして歓迎された大賢者だったが、VIPルームは大騒ぎ。監視カメラの映像をもとに不正が審査され、大賢者が魔法を使ったという判断をカジノ側が突き付けてきた。もちろん私は、この映像が加工されたものであることを即座に見抜いた。この男の使う魔法が最先端の高性能カメラなんぞに映るわけがないのだ。
「この人の魔力の色、ご存知ないみたいですね?」
大賢者は不可視の魔法が使えるが、それとは別に彼のスタンダードな魔力の色というものがあった。ほとんどの人間には宿ることのない、その色を私は知っていた。カジノ側が捏造した色は、よりにもよってブルー。トップ層の魔法族ならではの色味ではあったが、主君をナメられたと感じた私は怒りを押し殺し、静かに前へと踏み出した。
「よせって、タル」
腕を掴んで制止した大賢者は、あやすような手つきで私の手首を取ると時計を覗き込んだ。
「やっべ。もうこんな時間だ。今日はここまでにして、最後にみんなで写真撮って終わりにしようや」
ドタバタ劇は一言で強制終了。その場にいた全員を含めた集合写真が撮られた。端に映ったオーナーと支配人の笑顔は引きつり、中央で満面の笑みを浮かべる大賢者の隣には、全身から白いオーラを滲ませた私の姿があった。




