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大賢者の秘書官イシュタル ~何者でもない魔女の一生……になるはずだった~  作者: ふるみ あまた
3章 あやかし大国の章

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64 一年の終わりに

 

 スタイリストとまではいわないが、一家の調髪散髪は私の役目だ。洗浄されて自慢の長い金色の髪がクシャクシャになったキラは、髪を綺麗にするよう私にねだった。今回の場合はブラッシングだけしてやれば、エルフ特有の絹より素晴らしい質感がすぐに戻った。


「すごいなぁ、タルは」


 キラは私を褒めたが、私はキラの膝に目が行っていた。もっとすごいのは大賢者が施した、傷跡すら残さない完璧な治療魔法だからだ。


「どうした?」


 大賢者は観察していた私を観察していた。


「……いえ。ただ、このまま旅を続ける過程で、もう一人ぐらい治療魔法が使える人がいれば、もっと万事に備えられるかな、と思って」

「教えないよ?」


 あっけらかんと、大賢者は突き放してきた。


「どうしてですか?」

「俺がいるんだから、必要ないだろ?」


 お前がいない時に困るんだよ。そう言ってやりたかったが、私は喉元でその言葉を止めて冷静を保った。


「あなたが留守の時とか、そういった場合を想定してのお話をしているんですけど?」


 いつもの流れだと悟ったのか、私たちの周りにいた他の者たちはひとり、またひとりといなくなり、ポコ蔵までが居間へと移動していった。


「俺がいなくたって、家大好きのソフィーがいるじゃん。ポーションでササッと回復してくれるぞ?」


 それっぽいことを言って議論から逃げようとした大賢者だが、問題はそこではない。


「ですから……私が言ってるのは、旅の道中の話であって、グループを分けて行動することもあるじゃないですか。そういった時、もし私に回復魔法が使えたら人員の振り分けもしやすいと思うんですけど?」

「関係ない。どうしても治療が必要な場合はまず、逃げろ。拠点は俺たちしか入れないんだから、転移でパーッと逃げてから俺を呼べばいい」

「だから簡単にあなたが呼べないからでしょうよ!!」


 この男はいつもそうだ。タンザニアでもエジプトでも、フラッフラフラッフラ姿を消すし、緊急連絡手段をよこせと言っても、台所にいつでもいるアシハラを呼ぶ装置を渡してきたり、わけのわからない対応ばかりで、とにかくもう、私の不満は限界に達していた。


「大きな声を出すな!! 大晦日だぞ!?」

「こんな日に大声を出すことになったのはそっちのせいでしょう!?」


 何なんだ、この男は。私が真に迫った感情になっているのに、心底楽しそうに笑っているのが気に入らない。


「笑いごとじゃないと思いますけど!? あなたが愛する人たちに、もし何かあったらとか、そういうこと考えないんですか!?」

「それについては、強くなれって話だ」


 その言葉の重みは、いつものおふざけとはわけが違った。怒りが詰め込まれていたはずの私の頭の中は真っ白になって、何も言い返せなくなってしまった。


「理論値100」

「……え?」

「現代回復魔法の入り口は、そこから始まる」

「でも……旧式は?」

「50もあれば、まあってとこだ。頑張って覚えてみろ。キラ、ゼノ、たぬ吉。山に行くぞ。今日こそ辰喰らいの寝顔を激写してやろうぜ?」

「ポコ蔵です」

「ピッ!」

「カメラ大丈夫かなぁ?」

「大丈夫だよ、キャシオのカメラっつったら世界一なんだから。ほれ」


 税込み79980円。立ち上がりながらメイドインジャパンのカメラを手に取った大賢者は、キラに向けてシャッターを押した。





 子供たちとポコ蔵を引き連れて大賢者が出かけていったあと、私は縁側からどこを見るわけでもなく、一点を見つめていた。


 魔法理論値100。ひとつの科目でこの数値に達した者というのは魔法界では『マスター』と呼ばれ、大学の研究機関や超名門校から教師としてお声がかかる。もっとわかりやすく言えば、一生を捧げて到達できるかどうかの極致。『大魔導士』ユリエルは三十三科目で理論値100という異次元の存在であり、その肩書を持っているだけで人々の畏怖と尊敬の対象となる。大賢者はこれといった称号は所有していないが、そんな『大魔導士』が弟であり、彼に直接その知識を授けた人物でもある。


「……落ち込みなさんな」

「そうよ?」

「クーン」


 思考に集中しすぎて、周りが見えなくなっていた。私を取り囲んでいたのは、アシハラ、ソフィーさん、そしてサラマンダー君だった。


「あ。いや、その……落ち込んでいませんよ。ただ、浸っていたというか、現実を思い出したと言いますか」


 アシハラが差し出した湯呑みで冷えた手を暖めながら、私は香ばしくさっぱりとした味わいの緑茶をすすった。


「オジサンはねぇ、イシュタル殿の性格的に、回復魔法は向いてると思うよ?」

「私も言おうと思った。タルちゃん、優しいから」


 魔法は一日にしてならず。かつては十一科目で理論値50をとったことのある私だが、相手は未知なる学問。またひとつ、来年の大きな目標が増えてしまった。


「ゆっくり、やっていきます」


 凡人には凡人の道がある。まったくの独学というのも、また未知の領域ではあるが私の心は不思議と晴れやかだった。


「相談だったら、いつでも乗りますよ。来年もね、どうぞよろしくお願いします」

「旧式って言っても、私の世界では主流だし、私もその方法でいいと思う」

「……さてと。オジサンは、お蕎麦と明日のお雑煮のためのお出汁をとってきます」


 私の心と体を温めるためだけに動いていたアシハラは、キッチンへと去っていった。アシハラ邸で過ごしたこの年末は、実に様々なことを私に与えてくれた。





 ――今年、最後の夜。日本では、お蕎麦を食べて一年を締めくくるとのこと。郷に入れば郷に従え。というよりかは我が家の場合、『アシハラの用意したメシは残さず食え』がふさわしいか。


「うまいっ! この天ぷらは何だ!?」


 自分でかじった天ぷらの中身を確認しながら、キラがアシハラに尋ねた。


「鶏肉。海老もあるけど、イシュタル殿が好きだから用意してみました」

「かぁ~~~っ! おかわり!」


 尋常ではない速度でそばを食べ終えた大賢者がアシハラの優しさをかき消した。


「御意」

「よかったですね。美味しいお出汁のお蕎麦が食べられて」


 かつお出汁の効いたパンチのあるスープは、大賢者の大好物でもあった。


「そうだなぁ、もう店に行かなくていいぐらい美味いからな、アシハラの作る蕎麦は。体もあったまるし」


 甚平にサンダルとかいう、山を舐め切った格好で散策を終えて帰宅した大賢者は終始ご機嫌だった。


「それで、いかがでしたか? 辰喰らいは」

「そうだ! キラ、ちょっとタルに見せてやれ!」

「ご飯中なのに、いいのか!?」

「今日は特別だ」


 食事は楽しく、集中して行うべし。それがレオナルドファミリーのルールであるが、珍しく大賢者はキラに食事以外の行為を推奨した。キラは食事を中断させ、居間の隅まで歩いていくと、まとめていた自分の荷物の中からポーチを漁って一枚の写真を取り出した。


「タル、これ見て!」


 ドタドタと素足で畳を鳴らしながら、キラは興奮した様子で私に近づいてきた。彼女に手渡された写真を見た私は自分の目を疑った。


「これって……」


 激しくぶれていたが、そこには確かにピンク色のサンダルを咥えこんだ山猫の姿が映っていた。


「奇跡! 辰喰らいの腹に吹っ飛ばされたキラが偶然撮った写真。そこにはアシハラが言ってた、幻の『サンダル咥えヤマネコ』の姿が!」

「ムガ! 見ろ、これを!」

「え?」


 ちょうどキッチンからおかわりを持って戻ってきたアシハラも、私の手の中にある写真をのぞき込んできた。


「あららららぁ……よく撮れたねぇ。この妖怪は、滅多に人前には姿を現わさないんだよ?」

「あの話、本当だったんですか!?」

「え? 嘘だと思ってたの?」


 大晦日。来年は真贋の見極めについても、もう少し頑張らなければならないな、という目標が出来てしまった。

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