3 豚フェス
時刻は午前八時。集落の中心にある広場では、ちらほらと人が集まって祭りの準備に取り掛かっているところだった。特設の調理場には湯の沸き立つ大釜や巨大なまな板、見たこともない大きさと形をした刃物や調理用魔道具がずらっと並び、幾人ものミドルエイジの方たちが忙しそうに動き回っていた。そんな活気あふれる現場の雰囲気とは対照的に、まだ眠たそうな顔をした大賢者がのんびりとした口調で呟いた。
「久しぶりだなぁ、豚フェス」
おそらくは正式名称ではないアレキサンダー領の祭事『豚フェス』は、すでにその幕を上げていた。準備に奔走する人々で広場が活気づく中、大賢者はすれ違う人々と挨拶を交わしながら歩き進み、底なしの魔力を感じさせる黒ずくめの魔女の前へと私たちを導いた。その魔女は大賢者の母であり、この地を治める領主でもあるティナ・エーデル・アレキサンダーだった。
「おはようございます。今日は十分に相手をすることができないかもしれません。しかし、祭りは楽しんでいくといいでしょう」
麗しの領主様の前には、安らかな表情で横たわる三頭の豚の姿があった。
「あれ? キラは?」
おばあちゃんが好きすぎるキラは、ただ一人領主の城に泊まっていた。彼女の姿が見えないことに気づいた大賢者は、キョロキョロと辺りを見渡しながら尋ねた。
「間もなく起きてくることでしょう。キラは今、睡眠が大切な時期ですからね」
「なんだ、そりゃ。俺んときは意味もなく早起きさせて、一秒寝坊しただけで殺しにかかってきたくせに」
デタラメに強い男を育て上げた教育ママは、孫に対しては過保護だったらしい。キラもキラで甘え方が上手いというか、何をするにしてもオーマオーマと可愛らしく騒ぎ立て、憎たらしいほどの孫っぷりを見せていた。
「何か言いましたか?」
「……いいや。何か、手伝うことは?」
大賢者は母親が相手だと素直に引き下がる。彼がこの世で唯一ナメた態度をとらない女性は、ティナ・エーデル・アレキサンダーだけだった。その事実だけで、私には目の前の魔女がいかに恐ろしい存在かが理解できた。
「いい心がけですね。一頭解体したら私も調理に回るので、残った二頭を捌いてもらえますか?」
「わかった。アシハラ、一頭やってみるか?」
アシハラは料理だけでなく、家事育児、私たちが面倒だと思ったこと、それらすべてを嫌な顔ひとつせずにこなしてくれる素敵な男だ。私たちの生活は彼がいなければ始まらないし、成り立たないと言っても過言ではない。
「なにぶん初めてなものでして……技をよく見て、盗ませてもらってからでも構いませんか?」
「もちろんだ。どうせ領主様の解体が終わってからじゃなきゃ、始められんしな」
「おはよう……」
淡いピンク色のフード付きフリースを着て登場したのは、寝ぼけまなこのキラだった。よく見るとフードには豚の耳が付いており、履いているサンダルもデフォルメされた豚の顔が描かれていた。私たちのいない間に、みっちりと祖母に可愛がられていたことがよくわかった。
「おはよう。顔ぐらい洗ってくれば?」
言いながら私は、寝起きで酷い状態になっていたキラの前髪を直してやった。甘え上手な彼女は大人しく目を閉じて、されるがままに任せていた。
「でも、オーマのカッコいいとこ、見たいし」
「身支度はきちんとしなくてはなりませんよ、キラ。あなたもアレキサンダーなのですからね? 五分で済ませてきなさい。それまで待っていてあげます」
「わかった!」
祖母の一声でキラは簡単に動き出した。アレキサンダー領に来る前は、こんなにも穏やかな気持ちになれるとは思いもしていなかった。
豚の解体はキラが戻ってから始まった。領主の手によって、産毛の一本も残さずに真っ白に磨かれた豚の体は吊るされて、まずは喉元からの血抜きがなされた。それが終わると、すぐさま内臓の処理が始まって、胸と腹に切れ込みが入れられた。二つの切れ込みを手際よく探り、いくつかの臓器を摘出したかと思うと、腹から胸までを一気に切り開き、内臓をまとめて取り出した。取り出された内臓はまな板に広げられ、水で洗浄されていた。あまりにも手際がよかったからか、言われていたほどショックは感じなかった。
内臓を抜かれた豚の体に、今度はお尻から刃が入る。それは背割りと呼ばれる作業で、このあたりから村の子供たちも近くに集まってきて、領主様の卓越した技術を食い入るように見つめていた。
キラもアシハラも口をあんぐりとさせて、感嘆の声を漏らしながら見入っていた。特にアシハラはキラ以上に熱心になって、時折領主に質問を投げかけていた。
そうこうしているうちに、村人たちで構成される調理班も本格的に動き始めた。それぞれが膀胱を膨らませたり、胃袋や腸を洗ったりしてソーセージ作りの準備に取り掛かった。
解体は滞りなく進んでいった。バラ肉、もも肉、肩肉。あっという間に見慣れた部位に分かれていった。大釜で茹でられた顔も、のちにソーセージの具材になるという。皮とラードが剥離され、それぞれの担当の手に渡っていく。村の人たちのチームワークが素晴らしかった。捨てるところはほとんどなかった。最後に余った目玉や蹄なんかも、魔法薬の材料にするとのことだった。
丸々一頭を解体するのに、二時間もかからなかった。解体作業を終わらせた領主は額の汗を手で拭うと、今度は調理班として動き始めた。母親という監視の目がなくなり、晴れて自由の身となった大賢者は、いよいよふざけ始めるかと思いきや、母親以上に真剣な面持ちで豚の解体を始めた。彼に並んでアシハラも作業に取り掛かった。
さあやるぞ、という掛け声もなく、自然発生的に始まった豚フェスは、時間が進むにしたがって参加人数が増えていった。気付けば椅子とテーブルが並べられ、豚の解体は盛大な宴会へと姿を変えていた。私たちには立派な主賓席が用意され、私はリンゴ酒、ピィちゃんは水、そしてお酒の飲めないソフィーさんはリンゴジュースを嗜みながら、大賢者とアシハラが真剣に作業する様子を眺めた。
「毎日、あんな顔でいてくれたらいいのにね?」
胸に炎の精霊の紋章を宿したソフィーさんが話しかけてきた。
「ほんと、そうですよね」
真剣に何かをやっている姿というのは、誰であっても美しい。それなのに、うちの男たちときたら、いつもふざけてばかりいる。アシハラはまだ軽症だとしても、重症の大賢者に至っては、あんな真剣な表情を拝めるのは今年最後かもしれない。
「ソフィー様、イシュタル様、ゼノ様。お飲み物はいかがいたしましょうか」
私たちの誰かがグラスを空けるたびに、アレキサンダー家の執事長を務めるセバスチャンは必ずやってきた。おかげで無限に飲み物を楽しむことができた。しかしながら、この男もなかなかに癖のある魔法使いで、銀髪の丸坊主ヘアと長い下まつ毛が、より胡散臭いというか、簡単に信用してはならないという警戒心を抱かせる見た目をしていた。そもそもアレキサンダー家に忠誠を尽くすような人間に、ろくな連中はいないと私は強く思っている。
「同じものをお願いします」
とはいえ、今日はめでたいお祭りの日。今はそういった暗い感情は忘れ、この時間を大切にしたい気持ちが勝った。また、私の飲んでいるアプフェルモルトと呼ばれる地酒は、スイスイ飲めるほどに口当たりがよく、実に見事な味わいだった。これも私の冷静な判断力を鈍らせていた。
「私も」
「ピィッ!」
三人のグラスへ迷いなく飲み物を注ぎ足したセバスチャンは、にこりと笑って鮮やかに去っていった。
「タルぅ~!!」
入れ替わるようにして、洗練された所作とは無縁のエルフの少女が私の愛称を叫びながら、手にお皿を持って走ってきた。
「ねぇ、タル!! これ、食べてみて!!」
「なぁに、これは?」
酔いが心地よかった。腕時計が指していた時刻は十二時半。もう何杯飲んだのか、全く覚えていなかった。
「いいから!」
キラが手にしていたお皿には、黒いソーセージが載せられていた。だらしなくにやけた彼女の顔からして、きっと自分で食べて酷い味だったに違いない。ハズレメシへの耐性に自信のある私は、あえて彼女のイタズラを受けることにした。
「どう?」
「うん、普通かな。意外と美味しいかも?」
反応に困る味がした。レバーに似ているが、あっさりとしていて、独特と言えば独特な風味。スパイスは効いているが、おつまみとしては物足りない、控えめな塩加減。トロっとした食感の中にプリプリしたものとコリコリしたものがあって、深いところで味わいが広がる。それが黒いソーセージに対する私の感想だった。
「えぇ!? マズくないのか!?」
「マズくないよ」
「なぁに騒いでんだ?」
豚の解体作業を終えた大賢者がアシハラを連れて戻ってきた。当てが外れたキラは今一度自分の望む未来を求めて、新たな標的たちへにじり寄った。
「レオ、これ食べてみて!」
「あぁ、血のソーセージか。うまいよな、それ。ちょっとだけ炙ると、もっとうまくなるぞ?」
「なんだよぉ! じゃあ、レオは食べなくていいっ! ソフィー!!」
「パス」
「ゼノ!?」
「ピピ」
「ムガァ?」
ピィちゃんにまで断られてしまったキラは最後の頼みの綱とばかりに、中年の侍に甘えた声をかけた。
「ああ……オジサン、たぶんそれ苦手だな。今までずっと、レバーだけは出さなかったでしょう?」
言われてみればそうであり、思いがけないことでもあった。血にまみれた過去を匂わせる男はレバーが苦手だった。
「よし、じゃあ食べてくれ!!」
苦手だと宣言したアシハラに無理矢理食べさせる。もう滅茶苦茶だった。しかしどんな無茶な要求をされても、この男は絶対に逆らわないのであった。
「ヴォエッ……ボエェ!!」
「テッシッシ!!」
キラは、苦悶する中年男性の姿を心の底から嬉しそうに堪能していた。ところがアシハラはみるみる表情を変え、最終的にしっかりと味を確かめる料理人の顔つきになってしまった。
「……あれぇ? 新鮮だからかなぁ? 思ってたより全然癖がないし、そこまで血の臭いもしない」
「何だぁ、お前まで!? 面白くない!!」
「吉良殿、このソーセージ本当に食べたのぉ?」
侍の反撃が始まった。アシハラの意図に気付いた私は、キラの両親である大賢者とソフィーさんの顔色をうかがった。二人とも娘以上に悪い顔をしていたので、私も安心して悪ふざけに参加できそうだった。
「食べたよ!! まっじぃだろ、それ!!」
「ダメだよ、そんなこと言っちゃあ。作ってくれた人に申し訳ないじゃない。それにさ、吉良殿の勘違いで、本当は美味しいのかもしれないよ? もう一度食べて、確かめてみれば?」
「えぇ……?」
「だって、みんな美味しいって言ってるよ? ねぇ、イシュタル殿?」
「はい。美味しいですよね?」
受けた話題を大賢者に振ると、彼はろくでもない表情のまま半笑いで頷いた。
「うーん……」
やすやすと私たちの罠に引っかかったキラは、簡単に血のソーセージを自分の口へと運んだ。
「マッジぃ!! ぽぉっ!!!!」
キラはすぐに口の中のものをアシハラの手に向けて発射した。アシハラも慣れたもので、キラの吐き出したものを見事な速度で握り込み、まわりの人たちに不快な思いをさせないようにした。
「マッッズいよ!! ふざけんな!!」
「いけないんだぁ、吐き出したりして。ああ、もったいない」
「うるせぇ!! そんなこと言うなら、お前がそれを食って処理しろ!!」
まさかの強烈なカウンターだった。ソフィーさんは飲みかけのドリンクを吹き出し、大賢者は手を叩いて大笑いした。
「それはちょっと……すみませぇん、あの、セバスチャンさん殿? 何かゲロ的なものを包むものをいただけますかぁ? ゲロと言っても綺麗です。エルフの吐いたやつなんで」
「綺麗なら、食えるよなぁ?」
「いや、ほら……あれ。あの……ごめん、ね?」
さすがのアシハラもそこで白旗を上げた。私たちの可愛いエルフは、パワーで逆転劇を決めてみせたのだった。




