4 はげまし
集落の人たちと親睦を深めながら催された豚フェスは、終始和やかな賑わいに包まれていた。
会場では、シングルマザーのイルゼさんとも再会できた。息子のツィーオン君の隣には、見覚えのない人の良さそうな男性が寄り添いながら微笑んでいた。
カールおじいさんも元気そうだった。もっと元気なのは奥さんの方で、自分の言いたいことや目に映るものすべてを、ノンストップで喋りまくった。かと思えば、日が暮れると寒くなるからと、半ば強引にカールおじいさんを連れて帰ってしまった。
大賢者が何度か口にしていた、ヒルダおばあさんにも初めてお会いすることができた。終始ニコニコとした穏やかな人で、なるほど確かに、噂通りの豊満なバストをお持ちの方だった。
三頭の豚が丸ごと、綺麗さっぱり消え去る頃には、夜の八時を回っていた。お祭りはそこでお開きとなり、私たちはその晩、城に招かれて宿泊することになった。
私とピィちゃんには、同じ部屋が割り当てられた。外観こそ様々な建築様式が取り入れられたアレキサンダー城だが、内装は品があってボタニカルな装飾が随所を彩っていた。これまでに泊まったどのホテルよりも快適で、エレガントな雰囲気をぶち壊す野郎さえ同じ空間にいなければ、どんなに素晴らしかっただろう。
「うちの母親でも孫には甘くなるんだな!! いや~、参っちゃうよ、ホント!!」
ひときわ声の大きい男が私のベッドにもぐり込み、当たり前のようにくつろいでいた。二日酔いにはまだ早かったが、私は痛み出した頭を抱えながら、その男の相手をするよりほかなかった。
「それはこっちのセリフです。自室に戻られないんですか?」
「自室ぅ? そんなものは存在しない!! 俺の生家は跡形もなくなっちまった。せっかく実家に帰ってきても、思い出に浸ることもできない哀れな大賢者様を慰めてくれよ、秘書官殿」
「またそんなこと言って。いいんですか? ソフィーさんを一人きりにして」
「いいんだよ、アイツのことは。暇になったら向こうから勝手にやってくるし、サラマンダー君だってついてるんだから」
言われてみれば、そうかもしれない。ソフィーさんとサラマンダー君は前回の旅の途中で、何の前触れもなく唐突に合流してきた。ちなみにあの時、彼女たちが大賢者に放置されていた期間は、実に二ヶ月にも及んでいた。色々とツッコミたいところはあるが、そのあたりの価値観はワンダーランドの住人にしかわからないのだろう。私はそれ以上の追及を諦めた。
「それにしても豪華絢爛な城って、なんか元気出ないわ。生きる気力を奪うというか。気晴らしに何かないか? 世間話とか」
大賢者が生まれ育ったのは、この城が建つ以前に存在した古めかしい洋館だったという。現在こそ彼の両親は億万長者として何不自由のない生活を送っているが、当時は極めて厳しい経済状況にあったと大賢者本人が話してくれたことがある。いわゆる貧乏貴族出身の大賢者は躾と教育だけは最上級、それ以外の一切は庶民以下という、一風変わった環境で幼少期を過ごしたという。ゆえにレオナルド・セプティム・アレキサンダーという男は、こういった残念な仕上がりになってしまったのかもしれない。
はっきり言って、大賢者に対して同情は覚えない。しかしながら私は彼に仕える者として、労りと奉仕の心をもって、この悲しきモンスターを励ますという義務があった。
「お父様については残念でしたね? お祭りに参加できなくて」
大賢者の父は、魔法界の発明王として知られているエドガン氏だ。多忙を極めているせいか、本人に会えたことは一度もない。氏について私が持ち合わせている情報は、その出自が非魔法族であるという一点のみであった。
「それはそうね……あ、そうだ!! 瓶詰のソーセージ食う?」
せっかく相手をしてあげても、この調子である。もっとも、これぐらいのことは日常茶飯事だ。彼の提案には、もちろん賛成した。あれだけたらふく食べたはずなのに、なぜかお腹には余裕があったからだった。
大賢者はベッドから抜け出し、意気揚々と私とピィちゃんが座っているテーブルまでやってきた。その手には真っ白なお肉が詰められた瓶が握られていた。
「開けてみるか? ちと固いから、気をつけろよ?」
私に瓶を放り投げてよこした大賢者は、何もない空間からキッチンナイフとお皿を取り出してテーブルの上に並べた。私は瓶を開けようとしたが、そのあまりの蓋の固さにすぐに諦めて、隣に座っていたピィちゃんに蓋開けを任せた。ピィちゃんは事もなげに開けてくれた。
「あっ……なんだよ、そりゃあ。頑張って開けようとするお前の必死な顔が見たかったから、力いっぱい締めておいたのに」
本当に面倒臭い男だ。だが私はテーブルの上に置かれた琥珀色のボトルとグラスを見て、彼を許そうと思った。
「瓶詰のソーセージなんてあるんですね。このあたりではよく食べるんですか?」
「う~ん……知らん。口を開けろ、オラァ!!」
そんなバカな話があるか、と反論する暇もなく厚めにスライスされたソーセージが勢いよく口の中に捻じ込まれた。さながら雛鳥の餌付けのような構図だった。
「どうだ?」
「……パンチが効いてて、とっても美味しいです。だけど、なんというか、味付け自体はあっさりしてますね。いくらでも食べられそうです」
口に入れた瞬間に豚の旨味が口の中に広がり、ニンニクの香りが鼻から抜けた。逆に言えばそれだけの、シンプルな味わいが楽しめた。私は大賢者からナイフを奪い取って自分好みの厚さに切ってから、もう一度そのソーセージを口にした。
「おっ、気に入ったか? いいよな。こういう、家庭の味というか。これ、ひと瓶食っちゃっていいから。ヒルダ婆さんに箱いっぱいにもらったからさ。でも塩気が足りねぇよなぁ……ちょっと行ってきて、醤油と、ついでにアシハラも取ってくるわ」
「それじゃあ私は、ソフィーさんたちを呼んできます」
「……えぇ? まあ、いいや。勝手にしろ」
その夜はにぎやかに更けていった。次に目を覚ました頃には、中年の侍が床に寝転がっていて、ソファーでは麗しの美女と中型犬がすやすやと寝息を立てており、大賢者はちゃっかりベッドをひとつ使っていた。テーブルの上は醤油だの、タバコの吸い殻だの、飲みかけのグラスだので散らかっていて、豪華だった寝室は酷い有様になっていた。祖母と一緒にいる時間を選んだキラだけは、その難を免れることができたのだった。
迎えた翌朝。朝食に振る舞われたカブのスープは絶品だった。昨晩の深酒で疲れ切った体に染み渡るその深い味わいは、雷撃で貫かれたかのような衝撃的な美味しさだった。ところがこの家の長男ときたら、そのスープには一切手をつけず、こんがりと焼かれたベーコンをつまらなそうにかじっているだけだった。
見かねた母親は息子にスープを勧めた。息子は頑として受け取らなかった。その光景を見た私は、息子というものはどう成長しても一生息子のままなのだな、と不思議な気持ちになった。親子はそのまま二言三言、言葉を交わした。その中には今回の旅の目的に関する会話もあった。
「わざわざ錬金術師を探しに? レオナルド、あなた……正気ですか?」
領主は頭痛を我慢しているかのような表情で大賢者を見た。使いの者を無制限に扱える立場の彼女からすると、自らの手を煩わせるという行為が理解できなかったのかもしれない。
「おかげ様で」
大賢者はギリギリのラインを攻めた。もしこの親子が喧嘩でも始めてしまったら、誰にも止められない。始末の悪い最強の親子の日常会話は、何度でも私をヒヤヒヤさせた。
「……そうですか。どうしてもと言うのであれば、イージェプト、それからグリースを調べてみるといいかもしれません。どちらも錬金術の発祥とされる国ですからね」
エジプトとギリシャ。やたら発音の良い領主の言葉を聞いて、ピンと来るものがあった。大賢者がたまに見せるネイティブな発音は母親譲りだったらしい。
「そのつもりさ。もっとも、その前に寄らなきゃならんところがあるけど。キラ、今日はもう出発の日だぞ? オーマにはうんと甘えたか? 心残りはないか?」
「うーん……オーパに会いたかったな。オーパって、どんな人なんだ?」
オーパとは祖父のことだ。キラもまた、エドガン氏には会ったことがなかった。
「よくいる痛いオッサンだよ。いつまでも自分が若いと思ってて、敬語が使えなくて、アル中で、ハゲてる」
「そうですね。もうだいぶ薄くなりました」
領主の言葉を聞いて、それまで静かにしていたソフィーさんがスープを噴き出した。瞬間、彼女の素の部分を垣間見た領主が瞳の奥をギラつかせたのを、私は見逃さなかった。
「これがエドガンの若い頃の写真です」
エドガン氏のポートレートを魔法で引き寄せた領主は、食卓に集まった全員にその写真をよく見せた。キリッとした眉毛と鼻筋の通ったすっきりとした顔立ちは、大賢者の弟であるユリエルによく似ていると思った。若い頃ということもあって、髪の毛はまだフサフサだった。
「この色男が、今では……こう」
領主の魔法によって、写真の中のエドガン氏はあっという間にハゲ散らかしてしまった。食堂には爆発音に近い笑い声がこだました。もちろん私もその音を発生させた要因だった。さらに領主は別のポートレートを二枚ほど魔法で手繰り寄せて、そのうちの一枚を皆によく見せた。写真に写っていたヘラヘラした男は大賢者だった。
「エドガンの血を引くレオナルドも、やがて滅びの時が来るかもしれません。ともすれば……こうですね」
写真の中の大賢者が一気にハゲ上がると、またしても堂内は爆笑に包まれた。領主の写真加工の魔法は、ネタにされた本人でさえ腹を抱えて笑うほど見事なものだった。実は笑い上戸であるソフィーさんは、涙をボロボロこぼしながら笑っていた。彼女の様子を見て満足げな表情を浮かべた領主だったが、そこからさらなる攻撃が放たれた。
「これが次男のユリエルです。今現在、ユリエルはエドガンと同じく頭脳労働に従事しています。このままいくと、この子も……私の可愛い息子たちは、将来的にはこうなることでしょう」
領主は写真の兄弟それぞれに違うハゲ方をさせ、一枚の写真にまとめて私たちに見せつけてきた。満面の笑みを浮かべたツルツル頭の大賢者と、父親そっくりに頭髪が荒れ果ててしまった仏頂面のユリエル。世界最強の魔女の恐ろしい攻撃に耐えきれた者は、その場にひとりもいなかった。




