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大賢者の秘書官イシュタル  作者: ふるみ あまた
1章 エルフの章
3/4

3 豚フェス

 

 時刻は午前八時。集落の中心にある広場では、湯の沸き立つ大釜や巨大なまな板、見たこともない大きさと形をした刃物や調理用魔道具が並べられていて、幾人ものミドルエイジの方たちが忙しそうに動きまわっていた。現場の雰囲気とは対照的に、まだ眠たそうな顔をした大賢者がのんびりとした口調で呟いた。


「久しぶりだなぁ、豚フェス」


 おそらくは正式名称ではないアレキサンダー領の祭事『豚フェス』はすでに始まっていた。そこそこ混雑する中、大賢者はすれ違う人々と挨拶を交わしながら歩き進んで、底なしの魔力を感じさせる黒ずくめの魔女の前にまで私たちを導いた。その魔女は大賢者の母であり、この地を治める領主でもあるティナ・エーデル・アレキサンダーだった。


「おはようございます。今日はあまり相手は出来ないかもしれませんが、楽しんでいってくださいね」


 麗しの領主様の前には、安らかな表情で横たわる3頭の豚の姿があった。


「あれ? キラは?」


 おばあちゃんが好きすぎるキラはただ一人、領主の城に泊まっていた。彼女の姿が見えないことに気が付いた大賢者は、キョロキョロと辺りを見渡しながら尋ねた。


「間もなく起きてくる頃でしょう。睡眠が大事な時期ですからね」

「何だそりゃ。俺の時は意味もなく早起きさせて、一秒寝坊しただけで殺そうとしてきた癖に」


 デタラメに強い男を育て上げた教育ママは、孫に対しては過保護だったらしい。キラもキラで甘え方が上手いというか、何をするにしてもオーマオーマと可愛らしく騒ぎ立て、時には憎たらしい孫っぷりが板についていた。


「何か言いましたか?」

「いや。何か手伝うことは?」


 大賢者は母親が相手だと素直に引き下がる。彼がこの世で唯一舐めた態度をとらない女性は、ティナ・エーデル・アレキサンダーだけだった。その事実だけで私には目の前の魔女がいかに恐ろしい存在かが理解できた。


「いい心がけですね。一頭解体したら私も調理に回るので、残った二頭を捌いてもらえますか?」

「わかった。アシハラ、一頭やってみるか?」


 アシハラは料理だけでなく、家事全般、育児、その他に私たちが面倒だと思ったことを、嫌な顔ひとつせずにこなしてくれる素敵な男だ。私たちの生活は彼がいなければ始まらないし、成り立たないと言っても過言ではない。


「いやぁ、なにぶん初めてなものでして。技をよく見て、盗ませてもらってからでも構いませんか?」

「もちろんだ。どうせ領主様の解体が終わってからじゃなきゃ、始められんしな」

「おはよう……」


 淡いピンク色のフード付きフリースを着て登場したのは、寝ぼけまなこのキラだった。よく見るとフードには豚の耳が付いて、履いているサンダルもデフォルメされた豚の顔が描かれていた。どちらも買い与えたものではない。私たちのいない間にみっちりと祖母に可愛がられていたことがよくわかった。


「おはよう。顔ぐらい洗ってくれば?」


 言いながら私は、寝起きで酷い状態になっていたキラの前髪を直してやった。甘え上手な彼女は大人しく目を閉じて、されるがままにしていた。


「でも、オーマのカッコいい所、見たいし」

「身支度はきちんとしなくてはなりませんよ、キラ。あなたもアレキサンダーなのですからね? 5分で済ませてきなさい。それまで待っていてあげます」

「わかった!」


 祖母のひと声でキラは簡単に動き出した。アレキサンダー領に来る前は、こんなにも穏やかな気持ちになれるとは思いもしていなかった。





 豚の解体はキラが戻ってから始まった。領主の手によって、産毛の一本も残さずに真っ白にさせられた豚の体は吊るされて、まずは喉元からの血抜きがなされた。それが終わると、すぐさま内臓の処理が始まって、胸と腹に切れ込みが入れられた。二つの切れ込みをグリグリと弄って、いくつかの臓器が取られたなと思ったら、腹の切れ込みから胸までが一直線に繋げられ、内臓がいっぺんに取り出された。取り出された内臓はまな板に広げられ、水で洗浄されていた。あまりにも手際がよかったからか、言われていたほどショックは感じなかった。


 内臓の取られた豚の体はお尻から真っ二つにされた。それは背割りと呼ばれる作業で、このあたりから村の子供たちも近くに集まってきて、領主様の卓越した技術をじっと見つめていた。


 キラもアシハラも口をあんぐりとさせて、感心したように見入っていた。特にアシハラはキラ以上に熱心になっていて、時折領主に質問していた。


 そうこうしているうちに、村人たちで構成される調理班も本格的に動き始めた。それぞれが膀胱を膨らませたり、胃袋や腸を洗ったりしてソーセージ作りの準備に取り掛かった。


 解体は一切止まることなく進んでいった。バラ肉、もも肉、肩肉。あっという間に見慣れた部位に分かれていった。顔も大釜で茹でられて、これもあとでソーセージに使われるという。皮とラードがわけられ、それぞれの担当の手に渡っていく。村の人たちのチームワークが素晴らしかった。捨てるところはほとんどなかった。最後に余った目玉や蹄なんかも、魔法薬の材料にするとのことだった。


 結局、丸々一頭が解体されるまで2時間もかからなかった。作業を終わらせた領主は額の汗をひとぬぐいしてから、調理班に手を貸し始めた。母親という監視の目がなくなり、晴れて自由の身となった大賢者は、いよいよふざけ始めるかと思いきや、母親以上に真剣な面持ちで豚の解体を始めた。彼に並ぶ形でアシハラも作業に取り掛かった。





 適当に始まった豚フェスは、時間が進むにしたがって参加人数が増え、気付けば椅子とテーブルが並べられての盛大なものになっていた。私たちには立派な主賓席が用意され、私は集落の特産品でもあるリンゴ酒を、ピィちゃんは水を、お酒の飲めないソフィーさんはリンゴジュースを嗜みながら、大賢者とアシハラが真剣に作業する様子を眺めた。


「毎日、あんな顔でいてくれたらいいのにね?」


 胸に炎の精霊の紋章を宿したソフィーさんが話しかけてきた。


「ほんと、そうですよね」


 真剣に何かをやっている姿というのは、誰であっても美しい。それなのに、うちの男たちときたら、いつもふざけてばかりいる。アシハラはまだ軽症だとして、重症である大賢者の場合、あそこまでの真剣な表情はおそらく今年はもう見納めになる可能性が高い。


「ソフィー様、イシュタル様、ゼノ様。お飲み物はいかがいたしましょうか」


 私たち三人のうちの誰かしらがグラスを空けたタイミングで、アレクサンダー家の執事長を務めるセバスチャンは必ずやってきた。おかげで無限に飲み物を楽しむことができた。しかしながら、この男もなかなかに癖のある魔法使いで、グレイ一色の丸坊主ヘアと長い下まつ毛が、より胡散臭いというか、簡単に信用してはならないという警戒心を抱かせる見た目をしていた。そもそもアレキサンダー家に忠誠を尽くすような人間に、ろくな連中はいないと私は強く思っている。


「同じものをお願いします」


 とはいえ、今日はめでたいお祭りの日。今はそういった暗い感情は忘れ、この時間を大切にしたい気持ちを優先させることにした。また、私の飲んでいるアプフェルモルトと呼ばれるお酒は、スイスイ飲めるほどに口当たりがよく、大変素晴らしい飲み物だった。これも私の冷静な判断力を鈍らせていた。


「私も」

「ピィッ!」


 それぞれのグラスに対応する飲み物を注いだセバスチャンは、にこりと笑ってスマートに去っていった。


「タルぅ~!!」


 入れ替わるようにして、洗練された所作とは無縁なエルフの少女が私の愛称を叫びながらやってきた。


「ねぇ、タル!! これ、食べてみて!!」

「なぁに、これは?」


 酔いが心地よかった。時刻は12時半頃で、もう何杯飲んだのか、全く覚えていなかった。


「いいから!」


 キラが手にしていたお皿には、黒いソーセージが乗せられていた。だらしなくにやけた彼女の顔からして、きっと自分で食べて酷い味だったに違いない。ハズレメシに対しての耐性に自信のある私は、あえて彼女のイタズラを受けることにした。


「どう?」

「うん、普通かな。意外と美味しいかも?」


 反応に困る味がした。レバーよりもあっさりとしていて、独特と言えば独特な風味。だけどスパイスは効いていて、おつまみとしては少しだけ物足りない控えめな塩加減。トロっとした食感の中にプリプリしたものとコリコリしたものがあって、深いところで味わいが広がる。それが黒いソーセージに対する私の感想だった。


「えぇ!? マズくないのか!?」

「マズくないよ」

「なぁに騒いでんだ?」


 豚の解体作業を終えた大賢者がアシハラを連れて帰ってきた。当てが外れたキラは標的を変えて、今一度自分の望む未来を求めた。


「レオ、これ食べてみて!」

「あぁ、血のソーセージか。うまいよな、それ。ちょっとだけ炙ると、もっとうまくなるぞ?」

「なんだよぉ! じゃあ、レオは食べなくていいっ! ソフィー!!」

「パス」

「ゼノ!?」

「ピピ」

「ムガァ?」


 ピィちゃんにまで断られてしまったキラは、甘えた声でもたれかかった侍に最後の希望を託した。


「ああ……オジサン、たぶんそれ苦手だな。今までずっと、レバー出さなかったでしょう?」


 言われてみればそうであり、思いがけないことでもあった。血にまみれた過去を匂わせる男はレバーが苦手だった。


「よし、じゃあ食べてくれ!!」


 苦手だと宣言した相手に無理矢理食べさせる。もう滅茶苦茶だった。しかしどんな無茶な要求をされても、アシハラという男は絶対に逆らわないのだった。


「ヴォエッ……ボエェ!!」

「テッシッシ!!」


 キラは心の底から嬉しそうな顔で苦悶する中年男性の姿を堪能していた。ところがアシハラはみるみる表情を変え、最終的にしっかりと味を確かめる料理人の顔つきになってしまった。


「……あれぇ? 新鮮だからかなぁ? 思ってたより全然癖がないし、そこまで血の臭いもしない」

「何だぁ、お前まで!! 面白くない!!」

「吉良殿、このソーセージ本当に食べたのぉ?」


 侍の反撃が始まった。アシハラの意図に気付いた私は、キラの両親である大賢者とソフィーさんの顔色をうかがった。二人とも娘以上に悪い顔をしていたので、私も安心して悪ふざけに参加できそうだった。


「食べたよ!! まっじぃだろ、それ!!」

「ダメだよ、そんなこと言っちゃあ。作ってくれた人に申し訳ないじゃない。それにさ、吉良殿の勘違いで、本当は美味しいのかもしれないよ? もう一度食べて、確かめてみれば?」

「えぇ……?」

「だって、みんな美味しいって言ってるよ? ねぇ、イシュタル殿?」

「はい。美味しいですよね?」


 大賢者だけに同意を求めると、彼は半笑いで頷いた。


「うーん……」


 やすやすと私たちの罠に引っかかったキラは、ためらいながらも、おそるおそる血のソーセージを口にした。


「まっじぃ!! ぽぉっ!!!!」


 キラはすぐに口の中のものをアシハラの手に向けて発射した。アシハラも慣れたもので、見事な速度でキラの吐き出したものを握り込み、まわりの人たちに不快な思いをさせないようにした。


「マッッズいよ!! ふざけんな!!」

「いけないんだぁ、吐き出したりして。ああ、もったいない」

「うるせぇ!! そんなんいうなら、お前がそれを食って処理しろ!!」


 まさかの強烈なカウンターだった。ソフィーさんは飲みかけのドリンクを吹き出し、大賢者は手を叩いて大笑いした。


「それはちょっと……すみませぇん、あの、セバスチャンさん殿? 何かゲロ的なものを包むものをいただけますかぁ? ゲロと言っても綺麗です。エルフの吐いたやつなんで」

「だったら、食えるよなぁ?」

「いや、ほら……あれ。あの……ごめんね?」


 さすがのアシハラもそこで白旗を上げた。私たちの可愛いエルフは、パワーで逆点劇を決めてくれたのだった。

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