154 アイスクリームで分かる地政学
昼夜に、地上と地下。それに屋外と室内でもかなり違う。その温度差から、オルセメスでは着替える機会が多い。
「あら?」
宿に帰り、部屋の入口で外套と履物を変えていると、ソフィーさんの声が聞こえてきた。脱いだローブを片手に彼女の視線を追ってみれば、そこには真っ赤に肌焼けしたキラが立っていた。
「二人とも、おかえり!」
「キラ、どうしたの!? その顔」
心配してとっさに私が尋ねると、彼女は得意げな顔でピンと親指を立てた。
「水泳大会を決めてきた!」
相撲の次は、水泳か。
またわけのわからないイベントを楽しんできたらしい男どものツラを想像しながら、私は隣に立つソフィーさんの顔を見上げた。すでに軽くて暖かい生地に袖を通していた彼女は、にっこりと笑ってキラの頭に手を置いていた。
「勝ったの?」
「うん! ゼノも、レオも、ムガも優勝した!」
優勝者が三人もいるなんて、一体どんな大会だったのだろう。私は、キラだけが優勝者に含まれていなかった事実に、世の中の厳しさと哀愁を感じながらサッと着替えを済ませた。
アイスクリーム。
「よう」
「お疲れ様ですぅ」
「ピィ!」
「キュオーン!」
申し訳ないが、ダイニングにいた誰にも目がいかなかった。
金網付きの暖炉を中心に、ロの字に組まれた低いソファ。そこに全員が腰掛けていることだけは、辛うじてわかった。
私の目は彼らではなく、ソファの角の部分にドンと据えられた、巨大なアイスクリームの塊に釘付けになっていた。
抗えぬ魅力を放つ、冷涼な甘味に近づいてみる。すると、近くにいたピィちゃんが「ピ」と短く声を上げて、隣に座るよう私に促してきた。
「……これが優勝賞品ですか?」
床から一段低くなったソファへと腰掛けて、総責任者である大賢者に問いかける。陶器の大皿に盛られたクリーム色の山は少し溶けていて、皿の下の方でミルクの池を作り始めていた。
「遅ぇんだよ。スープになっちまう前に、早く食おうぜ。ほら」
彼はまともな答えを返さず、スプーンを押し付けてきた。答えるまでもないこと。それが答えでもあった。
「いただきます!」
六人と一匹の大合唱がダイニングに響く。そこからは嵐のような山崩しが始まった。
「あたまがぁぁぁ!!」
最初に騒ぎ始めたのはキラだった。身体の大きさに見合わないスプーンで、たっぷりのアイスをすくい上げた彼女は、それを口にした途端、頭を押さえて悶絶した。
「ゆっくり食べなさい」
私は隣に座るピィちゃんがベタベタとこぼさないよう、少しずつすくったものを彼に与えながら、自分でも、久しぶりの現代的なスイーツの贅を楽しんだ。その味わいは食べ慣れているものに比べると、ほんのり塩が効いているようにも感じた。
「ずるいぞ、タル……どうしてそんなに早く食べられるんだ……」
「欲張らないからじゃない?」
一人だけ奪い合いに参加していないアシハラは落ち着いた声を出しながら、すり鉢と乳棒でゴリゴリと何かを砕いていた。そんな彼に、私はアイスをすくう手を止めずに聞いた。
「何をしているんですか?」
「トッピングに、アーモンドなんかどうかなぁと思って」
「絶対合いますよ、それ!」
オルセメスでは、料理にナッツや豆類が使われることが多い。昼に食べたカレーにも入っていた。どちらもきっと、この街の名産品なのだろうと頭をよぎった瞬間、私はハッとして大賢者の顔を覗き込んだ。
誰よりもアイスの山を消費していた彼は、こちらの視線に気づくと、にっと片方だけ口角を上げた。
「どうした?」
「いや……これも輸入品って、ことですか?」
「わかんねぇ。が、可能性は高い」
思い出したのは、エシュ・ヤハムのカレー饅頭のことだった。あの料理は、この街との交易によって得たスパイスが使われたものだった。ひょっとしたら同じ原理で、次の目的地がどんな環境にあるのか、予測が立てられるのではないかと、私は気づいた。
立ち上がったアシハラが、砕き終えたアーモンドをアイスにパラパラとまぶした。
「おっひょー! うまぁい!」
すかさず、キラが飛びつく。どういうわけか、今度の彼女は頭を抱えず、口いっぱいに詰め込んだアイスクリームを堪能できていた。
「ピ?」
「あ、ごめん」
催促されるままに、ピィちゃんにスプーンを握らせる。軽やかに立ち上がった彼は、テチテチとアイスに寄っていき、争奪戦の輪に加わった。
「……またお勉強してるの?」
入れ替わるようにしてやってきたのは、十分にアイスを楽しんだらしいソフィーさんと、木材以外のものをあまり口にしないサラマンダー君だった。
「全部入れちゃっていいのかなぁ?」
「おう! 食べやすくなるから、どんどん入れろ!」
アシハラとキラのやり取りを眺めながら、ソフィーさんがふわりと隣に腰掛けてくる。サラマンダー君が足元で丸まったのを見届けてから、私は再び顔を上げた。
「『わからない』って言うのは、何がですか?」
「氷だったら、この街でも作れるだろうからな。今日、どこ行った?」
ソフィーさんと図書館に行ったことは、もちろん彼に告げている。他に行った場所と言えば、一つしかなかった。
「カフェに寄ってから、帰ってきました」
「その店で氷とかミルクとか、見かけたか?」
「ミルクは、ありました」
それらしきものは、私の目の前でソフィーさんが紅茶に入れていた。注文したタルトやケーキにはミルクだけでなく、アイスクリーム作りに必要になりそうな卵も使われているはずだ。
「けれど、記憶の限り……氷だけはなかったですね」
「そうか」
彼は立ったままバルコニーの方に視線を向けて、剃り残しを確認するように自らの顎をひと撫でした。
「米とか砂糖とか、そういう農水はオアシスで何とかしているんだろうが……水……」
はたと振り返った彼は、鋭い視線を部屋の隅に向けた。そこにあったのは、ポンプ付きの水瓶だった。
「『水』そのものを輸入してる、っていう仮説はどうだ?」
大賢者はしたり顔で私の顔を指差してきた。長らく一緒にいないと気づけないほどに微小ではあるが、興奮している彼の姿はとても珍しい。自然と私の表情も和らいでいく。
「なるほど。私はアイスに塩気を感じたので、海沿いの街から輸入した海水を凍らせたものだと思っていましたけど」
「その塩気の正体は、キャメルミルクだ。この街の連中、誰も水を飲んでなかっただろ? 沸かした湯で淹れたコーヒーや紅茶に、キャメルミルクを入れて汗で失った塩分を補給していた」
そこまでは、観察していない。洞察の化け物だけが、この街の真実を見ていた。
「あの水瓶に入ってる、いつでも飲める飲料水っていうのは、いわゆる『もてなし』だ。言い方を変えりゃあ、高級品。そんなものを冷やして固めたものは、どこで作ってるかと言えば、地下しかないわけだ。どうせ、めちゃくちゃ寒かっただろ?」
この人は、本当に、すごいとしか言えない。私は、もう何度目にもなる、呆れ混じりの頷きをするしかなかった。
「仮説確定だな。 次の目的地は『純度の高い水をダブつかせる国』だ」
「でも、それだけじゃ、どんな場所かまでは、わからないのでは?」
「意外とそうでもない。そういう土地ってのは限られてるからな。標高の高い山岳地帯か、火山地帯か、どちらにせよ、寒くなりそうだ」
圧倒されるままに明かされた、『新都バル・エイドラム』の環境。せめてもの報いとして、私は今日得たばかりの、彼が知りえない情報を口にした。
「……防寒具を買うのなら、いいお店を知っていますけど」
横目に映ったソフィーさんは笑いながら肩を竦めていた。




