152 ティーブレイク
◤【太陽の都・オルセメス】
六重の外壁で隔てられた円形都市は、すべてが中央機関によって緻密に管理されていた。
生まれて間もなく母親の元から離された子供たちは、公営の教育機関へと預けられた。そこでは十二歳に達するまで徹底的な能力測定が行われ、卒業すると個人の資質や適性に合った仕事が与えられた。
成人した住人の労働時間は一日五時間。残りの時間は運動や、外壁に刻まれた女神の教えを学ぶこと、集まった住人同士の知識交換などに使われていた。区画の移動は自由であり、どの外壁の内容を学ぶかは個人の選択が許されていた。街を歩き、外壁を眺めているだけで、すべての知識が自然と身に付くと言われていた。
オルセメスの住人は誰であっても、個人の財産を持つことがなかった。住居、衣服、食事、さらには家族に至るまで、すべてが共有されていた。驚くべきことに結婚相手や出産は、最高統治者が開く議会のもと、為政者と占星術師たちが決めていた。
大柄の女性には、大柄の男性が。太り気味の女性には、痩せ型の男性が。痩せ型の女性には、太り気味の男性が配されるなど、次世代に調和のとれた肉体を残そうとした。また、優れた能力や気質は遺伝するという思想に基づき、優れた市民同士を掛け合わせることが推奨された。
しかしこの優生思想が仇となり、遺伝子の多様性を失ったオルセメスの住人は、数世代ののちに訪れる気候変動に適応することが困難になり、人口は激減。不妊と疫病により衰退の一途をたどることとなる。そして、この脆弱化した都市に追い打ちをかけるが如く大規模な地殻変動が発生。これにより、北大陸最大の都市は一夜にして砂の下に沈んだ。
現在は、もっとも頑強に守られていた中心の一部のみが、地下街として機能している。◢
読み終えた分厚い郷土資料をゆっくりと閉じる。徹底された古代の管理社会とその終焉について、余韻に浸る暇はなかった。
「……面白かったかしら?」
隣に座るソフィーさんは、机に突っ伏して「退屈だ」という態度を隠さなくなっていた。資料は今ので、ちょうど三冊目に達していた。
正直言えば、彼女に尋ねたいことは山ほどあった。しかし私は歴史に倣い、行き過ぎた束縛から彼女を解放することを選んだ。
「お待たせしました。どこかでお茶でもしてから、帰りましょうか?」
彼女はすぐに体を起こして、卓上の本に腰掛けていたイブに手を伸ばした。私の小さな使い魔は立ち上がって、ソフィーさんの手のひらの上に飛び乗ると、器用に腕をよじ登り、今度は彼女の肩にちんまりと座り込んだ。
「行きましょう」
無駄なく準備を整えたソフィーさんの顔には、余裕のある微笑みが戻っていた。良くも悪くも飾り気のない、素直な彼女の姿を見た私は口元を緩ませ、温まっていた椅子から腰を上げた。
真冬のような寒さの中、誰もいない寂れた商店街の終わりにまで舞い戻る。そこにある階段を上りきると、危険な直射日光と広大なオアシスによる強烈な反射光が、あらゆる角度から全身を焼き付けてきた。その温度差に体をぐったりとさせながら街の内部に入り込めば、生命を守る日陰の路地街へと出る。
防寒用のコートを脱ぎ、宿の前を素通りする。スパイスの香りが満ち溢れる、曲がりくねった路地を進みながら、砂岩のアーチに絡む蔦や窓枠に飾られた鉢植えの草花、建物の間に通されたロープに吊るされた鮮やかな織物など、目移りさせているうちに、どこからともなく煙草とチョコレートが入り混じったような独特の匂いが漂ってきた。
「あそこなんか、よさそうじゃない?」
すれ違う全男性はおろか、女性すらも振り返るほどの美貌を誇るソフィーさんが、私の手を取ってきた。抗う術も理由もなく、そのまま彼女に引きずられるようにして、コーヒーポットの看板をぶら下げた、一軒の喫茶店の前にまで辿りついた。
ぽつぽつと空席は目立つが、落ち着いた人通りを考えれば、まずまずの盛況ぶりとも言える。そんな店だった。
「中と外、どっちがいいかしら?」
「テラスにしましょう」
彼女は主君の妻。万が一のことを考えて、薄暗く怪しい雰囲気に包まれた店内は避け、私は屋外に併設されていた席を選び、そこに腰掛けた。
ソフィーさんが向かいの席に座ると、イブは音もなく卓上に着地した。それとほとんど同時に、店の暗がりから若い男性店員が姿を現した。彼がこちらへとやってくるまでに、イブはテーブルの上に置かれていた灰皿を、ソフィーさんの目の前にまで運んでいた。
「いいお店ね。私は紅茶で。それと、何かフルーツを使ったものを、お願いできるかしら?」
いつの間に火を点けていたのか、甘い煙を纏った彼女は流れるようにオーダーを済ませた。
「タルちゃんは?」
と、言われてもメニュー表も何も渡されていない。仕方がなく、私は濃厚なチョコレートの匂いを頼りに注文することにした。
「私はコーヒーをお願いします」
サラサラと書き上げたオーダーを確認することもなく、無口な店員は店の奥へと戻っていった。
大丈夫かと心配になり、首を傾げた。が、実際に運ばれてきたコーヒーを口にすると、その不安は一瞬にして吹き飛んだ。
「……おいしい!」
カフェモカのいいところだけを濃縮させたような、贅沢で芳醇な口当たり。ベリー系のフルーツにも似た、爽やかな香りが鼻を抜け、いくらでも飲みたくなる後を引く旨味が舌の上に広がる。卓上のイブがシュガーポットの中から角砂糖を取り出して入れようとしてくれたが、反射的にカップを手で塞ぎ、それを阻止してしまった。余計なものはいらない。それほどまでに完成された一杯が、目の前に置かれていた。
「……あ」
我に返った私は、慌ててカップの上から手をどけた。イブはこちらに背を向けて、がっくりと肩を落としていた。使い魔と主人の関係であるがゆえに、言葉にして謝るわけにもいかず、気まずい雰囲気だけが流れる。それを見て、くすりと笑ったソフィーさんが、紅茶の入った自分のカップを傾けてくれた。イブはそこに向かって、両腕に抱えたままの砂糖をポチャンと投げやり気味に放り込んだ。
「すみません」
「いいのよ、気にしないで」
スプーンを手に取ったソフィーさんは、カップの中をサッとかき混ぜると、静かにミルクを注ぎ入れた。味わいを整えた紅茶を優雅に口元に運ぶ。その姿を見ているだけで、自然とこちらの背筋も伸びた。
「……ちょっと甘すぎるわね」
妖艶な微笑みが突如下した、血も涙もない判決に衝撃を受けたイブが、シュガーポットにしがみついた。ソフィーさんらしい、いつもの悪ノリに、私もつられて笑みをこぼしてしまった。
笑い合っているうちに、例の無口な店員によって残りの注文が届けられた。ソフィーさんに分けてもらい、味わうことができたが、それはサクサクとしたクッキー生地に、プルーンのようなねっとりとした食感のドライフルーツがこれでもかと乗せられた、タルトのような焼き菓子だった。凝縮されたナチュラルな果肉の甘さと、バターが薫る香ばしく焼き上げられた生地の一体感は、飲み物によく合うように計算して作られた、繊細な味をしていた。
「それで?」
「えぁっ……なんでしょうか?」
絶品のタルトをもう一口と、情けなく大口を開けた、そのときだった。ソフィーさんがタイミング悪く、問いかけてきた。
「優秀なタルちゃんは、何を学んで、何を考えてるのか。聞かせてくれないの?」
図書館であれほど退屈そうにしていたにもかかわらず、彼女は議論を望んでいた。なんとなく、腑に落ちなかった私は、手にしていたフォークを置き、冷めかけたコーヒーを口に含んだ。
温度が下がって、飲みやすくなったはずのコーヒーは、口の中にザラリとした苦みを残しただけだった。




