151 輪に抱かれて
宇宙を思わせる巨大な空洞の下では、果てしない知識の輪が幾重にも重なって沈み込んでいた。
整然と並んだ閲覧席と書棚が円弧を描き、中心へと吸い込まれるように連なっている。音を吸い込む深紅の毛氈を踏みしめながら、歴史書のある棚を目指す。他の閲覧者はもちろん、真鍮製の六分儀を手にする天文学者や、いくつもの古びた羊皮紙が載せられたカートを引く司書たちとすれ違う。その度に、私は通路の端に寄り、知の営みの中に身を置く人々の暮らしぶりに羨望の眼差しを送った。
「ふぅ……」
ようやくたどり着いた中心部は、思っていた通りスペースが広くとられていた。そこでひと息つき、本棚へと目を移そうとした、そのときだった。
「よく、場所がわかるわね?」
ここまで無言でついてきていたソフィーさんの声が、背後からかかった。私は振り返って、どういう意図の質問なのか、表情だけで彼女に伺った。
「こんなに広いのに、イブの力も使わないで、どうして欲しい本の場所がわかったの?」
そういうことか。
一見して、一つの宇宙にも見える広大な図書館。だが、そこには確かなパターンというものが存在する。
「探しているのは、オルセメスの郷土資料ですからね。そういうものって、大体、置いてある場所が決まってるんです」
郷土史というのは地元にとっては顔のようなものだ。どんな図書館であっても、資料室や、独立したコーナーの近くに設置されやすい傾向にある。今回の場合は、そのどちらも目につかなかった。だから、一番目立つ中心部を目指した。ただ、それだけのことだった。
「へぇ……物知りなのね」
どこかズレた彼女の誉め言葉には心をくすぐられ、こみ上げる苦笑を抑えきれなかった。しっかりと前を見据えた『物知り』な私は、知識を求めて書棚へと手を伸ばした。
確保した閲覧席は、中心部の大きな吹き抜け空間に向かってせり出すように作られている半円形のテラス席だった。テーブルの上に数冊ほど積み上げた本の縁には、イブが腰掛け両足をぶらぶらとさせている。ソフィーさんと並んで座った私は、卓上に載せた一冊の本を大きく開いて、セピア色に褪せたオルセメスの古地図を指でなぞった。
「城壁が六重になって、街を難攻不落にしていたんでしょうかね?」
それは巨大な円形都市だった。
見開きの古地図には、かつてこの地が誇った要塞都市の構造が、緻密な線描で描き出されている。一番外側の外壁から始まり、内側へ向かって規則正しく同心円状に連なる六つの壁。これが先ほど立ち寄った店のお婆さんが言っていた、この街の千年前の姿なのだろう。
「そういうことなのかしら?」
なぜか他人事のようにソフィーさんが呟く。悪い予感に支配される前に、私は率直な意見を彼女に伝えることにした。
「もしかして……あんまり、わかってない感じですか?」
ソフィーさんは微かに首を傾げ、表情をぼんやりとさせて、じっと私を見つめてきた。少しすると、彼女はいかにも彼女らしい、何もかもを包み込むような笑顔を浮かべた。
「なんか、頭に入らなくて。作ったときは、そういう歴史を、ちゃんと落とし込んだつもりなんだけど」
宇宙すら煙に巻く、とんでもない、彼女の壮大なおとぼけぶりが明らかになった。私は脱力しながらも、それでも創造されたこの世界の謎に、背筋を正した。
「ちなみに、それって、誰からの知識なんですか?」
「レオとか、ママとか……それくらいかしら」
大賢者と女神。人間と神による、最高峰の知見と見識が織り込まれている。だからこそ、この世界は、こんなにも美しく、壮大で、過酷で、ふざけていた。
正したばかりの姿勢を崩し、蔵書から目を離した私は深く椅子に腰かけて、天井を仰いだ。思い出したのは、この世界に到着して最初の頃に言っていた、大賢者の言葉だった。
『この一族って、ソフィーのオヤジのことだぞ?』
「……伝承の一族って、何なんですか?」
「それはね、私もよくわからない。古代人間種のことだって、レオは言ってたけど」
外なる神によって遣わされた伝承の一族。『外なる神』というのは、魔法史的に見ても分類できない、超常の存在のことを指して言われることが多い。専門家が何十年とかけて解明できないことなのだから、誰が遣わしたのかについては、探るだけ無駄だ。今度はもっとスケールを小さくして、今、自分たちが何をしているのかに焦点を当てる。
この世界の秘密に最も近い男である、大賢者。彼は世界中どこへ行っても上半身裸の姿を貫き、ソフィーさんの父親になりきって旅を楽しんでいる。つまりは、ロールプレイングをしている。いろいろと脚色は為されているだろうが、この世界は、かつて『デミナス・ケブラ』が辿った旅路を踏襲しているのではないか。
「ソフィーさんは、ご両親の馴れ初めって、ご存じだったりします?」
「ええ。それをゴールとして設定したのが、この世界だから」
制作者と同じで捉えどころのなかった世界が、物語としてまとまり綴じていく。私はもう一度、座り直して目の前の分厚い歴史書に視線を落とした。
「この壁画に刻まれていた六つの教えって加護のことですよね? 実際に、ソフィーさんのお父様がそれを集めて、南大陸に渡ったということですか?」
「それは、ちょっと違うかも。壁画は加護そのものじゃなくて、加護が与えてくれる力について、記されていたっていう話だったから」
説明だけではよくわからず、私は手元の資料をパラパラとめくってみた。目星をつけた章の数ページもしないうちに、加護について短くまとめられたページにたどり着いた。
【女神の六大加護】
一つ、識の加護。識は心。目に見えぬ心がなければ、すべては無力となるだろう。
一つ、水の加護。水の潤いは、すべてをつなぎ合わせる。
一つ、地の加護。堅固な地は、すべてを支える。
一つ、火の加護。火の変化は、すべてを成熟させる。
一つ、風の加護。動く風は、すべてを成長させる。
一つ、空の加護。万物を存在させ、形にとらわれず。何ものにも妨げられることはない。
加護に対応する騒がしい顔ぶれを思い浮かべて、妙に納得する。
集めた加護は、もう五つにもなる。唯一、未回収の『空』は空間のことだろう。空間魔法の達人である大賢者にふさわしい加護だ。
口元がにやけるのを抑えきれない。神聖な教えが、身内の特徴を書き並べただけに見えて、どうしようもなかった。
資料から顔を上げると、横のソフィーさんがいつの間にか肘をついて、慈しむように私の顔を覗き込んでいた。
「どう? 楽しい?」
「えぇ」
「よかった。タルちゃん、このところ元気がなかったから」
遥か頭上では星々を模した灯火が瞬き、ページをめくる無数のざわめきが波紋のように広がっていく。
不思議で、掴みどころのないこの空間で、私はもう少し、彼女の優しさに身を委ねることにした。




