150 地下商店街の寂れた店
街の至るところに、地下街へと続く階段があった。宿を出てほどない場所にも、その一つがある。日差しが容赦なく照りつける、人気のない外周部。冷たく開かれた暗がりを、ソフィーさんと二人、足並みを揃えて下る。なだらかな螺旋を降りた先には、隔絶された別世界が広がっていた。
鉄柵に沿って緩やかにカーブを描く路地には、小さな商店がずらりと軒を連ねている。だが、本当に目を見張るべきは、その柵の向こう側にあった。微小な音を絶え間なく煌めかせる大河と大瀑布。滝から流れ落ちる砂の粒子が巨大な運河となり、地下街全体を足元から包み込んでいるようだった。
その光景に圧倒されるまま、私は足を止めてしばらく見入ってしまった。どの店頭にも、オレンジ色のランプが吊り下げられ、街を彩っている。だが、温かみのあるはずのその色彩が、不意に私を現実へと引き戻した。途端に、肌を刺すような冷たい空気が、全身を縛り付けるように押し寄せてきた。
「……寒い、ですね」
「そうね」
飄々と立ち尽くす様を見るに、彼女が本心から同意しているとは思えなかった。
「本当のところ、どうなんですか?」
「私は、保護魔法が使えるから」
開発者特権だった。思えば、あの暴力的な暑さの砂漠地帯も、彼女は涼しい顔で過ごしていた。そんな簡単なことにも気づけなかった自分に、苦笑が漏れる。
「道順だけ、調べちゃいますね」
「ええ」
白いため息をつき、冷気に身を震わせながら、薄暗い地下街の奥へと視線を向けた。サラサラと流れる乾いた音に耳を澄まし、私は目を閉じて意識を集中した。
右肩に乗る使い魔のイブが、たちまち図書館の場所を『視』せてくれた。弧を描くように続く円環の路地の先、白い光を帯びる建造物が、ほの暗い空間にくっきりと浮かび上がっている。他に示すものは何もない。それを確認し、私は目を開いた。
隣に立つ、ソフィーさんの横顔を仰ぎ見る。彼女は背筋をすっと伸ばしたまま、慈しむような眼差しを一軒一軒の店に注いでいた。
せっつくのも野暮だ。そう思った私は、彼女の優雅な時間を邪魔しないよう、黙って寄り添った。やがて満足したように視線を戻した彼女は、少女のように顔を輝かせて一つの店を指差した。
「あそこで、何か羽織るものでも買っていきましょう」
客足どころか店主の姿すら見えない、寂れた衣料品店。目に映る生命の気配は、軒先にぶら下がったランプの光に誘われてひらひらと舞う、まだら色の蝶だけだった。
その佇まいに不安を感じずにはいられなかったが、身に纏う薄布は外気の冷たさを容赦なく通してくる。それに、私の返事を待つまでもなく、ソフィーさんはすでに店へと歩き出していた。悩む時間などなく、私は彼女の後を追うより他なかった。
防虫用のものか、焚かれているお香からは、塩漬けにした桜の花のような匂いの煙が立ち上っていた。そこへ一歩足を踏み入れただけで、安らぎと切なさが同居した、奇妙な懐かしさに囚われる。しんと静まり返った店内は、まるで何十年も前に時を止めてしまったかのようだった。
「ごめんください」
私の呼びかけは、店のずっと奥深くにかけられた、ベルベットのカーテンに吸い込まれていった。
すぐに返事はこなかった。ただ、カーテンの向こう側で、わずかな衣擦れの音がした。ソフィーさんは人が変わったように、壁際にかけられた無数の衣類をあちこちと見回していた。
しばらくするとカーテンが開き、腰の曲がった白髪のお婆さんがちんまりと姿を現した。
「はいはい、いらっしゃいませ」
その足取りと同じく、店主の声はのんびりとしたものだった。
サンダルを鳴らしてこちらへやってきた彼女は、足を止めるなり、クイと顎を上げて私たちの顔を覗き込んできた。
「おや……南の方ですか?」
南というのは、まだ見ぬ南大陸のことを指しているだろう。しかし、どう説明すべきか。私は少し迷った末、正直に答えることにした。
「いえ、私たちはリシオンの外から来ました」
「あれぇ。海の向こうから? それは遠いところを、お疲れさまでございます」
彼女はペコペコと何度も頭を下げてくる。その過剰な丁寧さに、私はますます応対に窮してしまった。
「お二人とも、そんな恰好で寒いでしょうに。まずは何か羽織って……ほれほれ」
隙のない手つきで、彼女は近くにあったトグル付きのロングコートを押し付けるように手渡してきた。
誘惑に負け、手のひらに吸い付くような滑らかな生地に袖を通す。驚くほど軽いコートは、ふんわりと全身を包み込み、芯まで冷え切っていた肌に穏やかな温もりを染み渡らせていった。
「似合うかしら?」
見れば、隣のソフィーさんも勧められるままにコートを羽織っていた。上質な召し物を完璧に着こなす高貴な美女の姿を見て、とてつもない焦燥感に駆られた。
「これ……おいくら、ですか?」
「どれでも、二着で一リーブです」
心配していたことは杞憂に終わったが、逆に安すぎる。今度は違う意味で震えてきた。
「大丈夫なんですか? その……」
遅まきながら言葉を濁す。あまり突っ込んだことを聞くのも無作法だと思ったからだ。そんな私の心情などすべて見通したように、店主は目元のシワを深くさせて微笑んできた。
「いいんですよ。あの滝の向こうにある、女神さまから賜った知識のように、埋もれてしまっては意味がないですからねぇ」
奇妙な縁を感じて息をのむ。すぐさまソフィーさんの顔を見ると、彼女は白々しく首を傾げ、明後日の方向へと視線を逸らしていた。
内心でため息を吐きつつも、強い興味を抑えきれなかった私は、店主へと向き直った。
「オルセメスの歴史について、少し伺ってもよろしいですか?」
「そうさねぇ……」
彼女は流れ落ちる砂の大滝に遠い目を向け、ぽつり、ぽつりと語り始めた。
「昔々は、この地下街が都そのものだったという話です。もう、千年も前の話ですけどねぇ。女神さまの教えが刻まれた、六重の壁で街全体が囲まれていたそうですよ」
女神の教えと六重の壁。私たちが集めているのは六つの女神の加護だ。偶然にしては繋がりすぎている。
「その壁は、今でも残っているのでしょうか?」
お婆さんは静かに首を横に振った。
「一番内側にあった壁の、ほんの一部だけが博物館に残されているっきり。それ以外は、全部……」
彼女が向けた視線の先を追う。フェンスの向こう側では、砂がサラサラと流れ落ちているだけだった。
「女神さまの教えというのは、具体的にどんなものなのか、わかりますか?」
「それがわかれば、今頃はこんなところで、立ち話なんて楽しんでいられなかったことでしょう。こうして巡り合えたのも、女神さまの思し召し……そういえば『女神さまは祈りを捨てた私たちすら、愛してくれている』なんて、私のおじいさんがよく言っていました。あぁ、あれはそういうことだったんですねぇ……」
一人で納得したように頷くと、お婆さんは話を切り上げるように、ぺこりと頭を下げた。
「はい、どうぞ」
胸元から一リーブ硬貨を取り出したソフィーさんが、それをお婆さんへと手渡した。
「おや、ご丁寧にどうもありがとうございます。気をつけて、お行きなさってください」
「お見送りは結構です。お体に障りますから」
「そうですねぇ……では、お言葉に甘えて失礼します」
私の言葉に頷き、彼女は踵を返すと、またペタペタとゆっくり奥のカーテンの向こうへ消えていった。その背中を見届けてから、私たちは店を後にした。
「勉強になったかしら?」
路地に出るなり、ソフィーさんが尋ねてくる。
「いやぁ……まぁ、ありがとうございます」
どちらかと言えば、服に対しての謝意だった。それでも彼女は「ふふん」と、満足げに鼻を鳴らして前を見据えた。
身に纏うコートの確かな温もりが、不思議と心までじんわりと解きほぐしていく。図書館にたどり着けば、もう少し詳しいことがわかるだろう。
背中を流れる大河に身を任せるように、私たちは円環の路地の先を目指した。




