146 祈晴と人柱
紫紺の砂漠に風が唸る。灌木の根元に作られた巣穴には、三匹の子ギツネたちが震えていた。その傍らでは、親と思われるキツネが座り込み、祠の前に立つ私たちをじっと見つめている。
『加護』を与えられたキラが自分の手のひらを見つめながら、緩やかに拳を握った。すると、指先から漏れるように出ていた粘度の高い濃紫色の光が、じんわりと彼女の体内に収まっていった。
「よし、今助けてやるぞっ! キツネたち!」
力を得た彼女はくるりと振り返ると、表情を引き締めて杖の先を巣穴へと向けた。
「……回復魔法って、どうやって使うんだ?」
決めポーズのまま真顔で聞いてきたキラに、私は額に手を当て、アシハラは渋い顔で彼方の砂嵐を見やった。
「そうじゃなくて、あの砂嵐をどかすんじゃない? そうすれば、空が晴れて、その子たちも自然と元気を取り戻すっていう、そういうお話だと思う」
「……それも、おかしくないですか?」
引っかかりを覚えた私は、遮るように声を掛けた。『加護』は現実世界の能力の一部を与えられるという話だったはずだ。天候操作魔法が使えないキラに、そんなことができるとは思えなかった。
「変身してみろ」
余裕を感じさせる落ち着いた声が、ふいに背後からかかった。振り返ると、いつの間にか追ってきた大賢者が表情もなく、紫煙の向こうに立っていた。
「まずは変身だ。理論はそれからくれてやる」
「……わかった!」
呆気に取られていた私たちを尻目に、キラは広い砂原へと足を向けた。彼女と入れ替わるようにして、大賢者がこちらへとやってきた。
「どういうことですか?」
キラの『加護』も、彼がここに来た理由も、さっぱりわからなかった。私は漠然とした疑問を、彼にぶつけた。
「俺に聞くな。『お天気お姉さん』に憧れてたんだとよ」
大賢者はふっと鼻先で笑って、目を眇めた。その先では、少しおバカな娘が、被っていたフードを脱いで変身の準備を整えていた。
「おっしゃぁぁぁぁ!!」
拳を力強く握りながら叫び声をあげる。愛用の杖を地面に一突きすると、どこからともなく巻き起こった旋風と共に身体が宙に浮かび上がった。紫紺の砂漠に長い金髪がフワリと広がる。全身から放たれる光の粒子が、彼女の姿を変貌させていく。
「……大人になったっ!!」
その足元には小さなクレーターが出来上がっていた。見た目は大人、中身は子供。手足がすらりと伸びた成人のエルフが、満面の笑みでダブルピースを決めた。
「よくやった。戻ってこい」
大賢者が手招きして呼び戻す。走って戻ってきた彼女が最初にしたことは、私にドヤ顔を近づけてくることだった。
「うぇーい、タルぅ」
「わかった、わかった」
彼女はこの姿になると、毎回のように同じことをしてくる。私よりも背が高くなったことが嬉しくて仕方がないらしい。
「よし、じゃあプチ勉強会だ。適当に座れ」
と言われても、座れそうな場所はどこにも見当たらなかった。何の躊躇もなく、地べたに直接座ったキラに対し、私もアシハラもその場で立ち尽くすことを選んだ。
「天候系の魔法ってのは、純粋な魔力の放出に限りなく近い。術者が男女どちらであっても、性欲が鍵になってくるわけだが、要は使い手の感情と周囲の天候が同期するとでも思ってくれればいい」
魔力放出と性欲の関係については、大昔から指摘されている。思春期の魔女に暴走事故が多いのも、それが要因の一つになっている。
「で、分類は古代魔法だ。燃費が悪い。そんじょそこらの人間の魔力じゃ、とても賄いきれん。だから成人エルフの魔力が必要になるわけだ。現実世界では、それでも難しいところはあるが、キラは性欲強いだろ? だから、精神百パーセントのこの世界では、その姿になるだけで簡単に使えるようになる」
隣で、アシハラが唸るような納得の声を上げていた。理論というよりは、特別仕様の話だ。そういう前提ならば、私でも理解が追い付く。同時に、この世界で魔法を体現することの危険性を感じたが、彼の目つきは「今は野暮なことを突くな」と忠告していた。
「どうだ? 座学は限界だろ?」
「うん!」
「じゃあ、実践に行ってみよう。立て」
促されたキラは素早く立ち上がって、尻についた砂汚れを叩き落とした。次の指示を待ちわびて、彼女は目を大きく見開いて大賢者の顔を仰いだ。
大賢者は顔をにっこりとさせて、無邪気な娘から私へと視線を移した。
「よし、タル!」
「はい」
「アシハラにチューしろ!」
「はい?」
「なにぃ!?」
バァン!!
乾いた大地に雷鳴が轟いた。親ギツネが巣穴へと避難し、焦げ臭さを孕んだ薄い白煙が漂う。強烈な耳鳴りがする中、周囲を見回してみると、キラが作ったクレーターのすぐ近くの地面が、真っ黒に変色していた。
「まあ、こうやって使うわけだが……こういう危険性もある」
意に介さず、言葉を紡いだ大賢者の腕の中にはキラがいた。先ほどまで、嫉妬の声を上げるほど元気いっぱいだったはずの彼女は、顔を青くさせてぐったりとしていた。
「大丈夫!?」
すぐさま駆け寄り、その身を案じる。大賢者から離れた彼女は、ふらふらとおぼつかない足取りで自分の身体を支えた。
「ちょっと……なんだ、これは。気持ちわる」
魔力暴走の域にまでは踏み込んでいないようでホッとする。それでも、これ以上続ければ危険なことに変わりない。彼女を思い、私は大賢者のやり方に異議を唱えた。
「この方法は、賛成できません。何か他に、安全な方法はないんですか?」
眉の一つも動かさず、大賢者は答えた。
「正負の話は、この前したろ? 天候魔法で言うと、雨や雷は負だ。一部の古代魔法に限るが、発生させるエネルギーが正の場合、塩梅さえ間違わなければ、こうはならん。むしろ逆のことが起きる」
エシュ・ヤハムの記憶が脳裏をよぎる。氷魔法や夜といった『負』のエネルギーは、生物の生存欲求に反している。今の雷撃で、キラが一瞬で消耗したのは、まさにその理屈によるものだった。そして、古代魔法の特殊定理との関係性。そんなことすら知らない、自分自身のレベルの低さにイラつきを覚える。
「……晴れを発生させる分には、術者に良い影響を与える、と?」
震える唇を動かし、吸収したばかりの知識が導き出した答えを口にする。大賢者は、口角を上げながら両手を広げた。
「そういうこと」
彼は前へと進み出て、お腹を押さえて苦しそうに俯くキラの肘を掴み、彼女の耳元へと顔を近づけた。
「というわけで、キラ。今日は、アシハラに何してもいいぞ?」
「……本当か!?」
彼女はすぐさま反応を見せた。大賢者に向かって上げたその顔は、嘘のように輝いていた。
「あのぅ……」
快晴のために捧げられることになった生贄が、何とか意見を絞り出そうと、二人に向かって力なく手を伸ばした。身を翻した大賢者は、娘を持つ父親とは到底思えない、最終宣告を言い渡す。
「がんばれよ、アシハラ! 気合入れて、キラをイカせるんだぞ?」
「えぇっとぉ……」
アシハラが、牙を抜かれたクマのような瞳をこちらに向けてきた。巣穴にいるあばらの浮いた子ギツネたちと彼を見比べてから、私は真剣に考えて、一つ頷いてから時計を確認した。
「先に、馬車に行ってます」
「よし、終わり」
背を向け、先頭を切って歩き出した大賢者の背中をゆっくりと追いかける。
「そんな……」
「デュッフッフッフッフ」
紫紺の砂漠に、何かを啜り立てる湿った音が響いた。空が澄み渡ったのはそれから三十分後で、キラたちが戻ってきたのは二時間ばかり経ってからになった。




