145 紫紺の砂漠
時間の境界線にある砂漠は紫色に染められていた。風に晒され、波打つだけの地に流れる街道。その先には、オルセメスへの道程を阻むように紫紺に煙る砂嵐が舞い上がっている。
「あれは、どういうことなんでしょう?」
街道の端に馬車を止め、全員が顔を合わせての緊急会議で、私は口を開いた。彼方に見える砂嵐は、粒を複雑に絡めながら雲と一体化している。奇妙なことに、嵐はこちらに近づいてくるどころか、その場から一切動かず停滞していた。
「天気が悪いな」
自慢の長い髪を、フード付きのローブですっぽりと覆い隠したキラが天を仰いだ。彼女の言う通り、空は分厚い雲で覆われ、暑さだけは和らいでいた。相変わらず能天気な彼女だったが、そんな彼女に負けじと、もう一人の能天気が動き出す。
「まあ『紫』っちゅうことで、そういうことだろう。キラ、いよいよお前の『加護』の番だぞ?」
ほぼ全員が防塵装備に身を包む中で、その男だけが違った格好をしていた。
「ピ?」
水を張ったタライに入って独自の乾燥対策をしているピィちゃんを傍らに、上半身に何も纏っていない大賢者がこの事態を紐解いてくれた。彼の推測では『加護』を与えられても、キラだけは『苦難』がやってこない可能性が高いとのことだった。
答え合わせを目前にして、胸の内で期待と不安が入り混じる中、私は今回の主役であるキラへと顔を向けた。
「なんだって!? ……『加護』って、なんだっけ? どうすればいいんだ?」
期待通りの言葉が返ってきたところで、このゲームの開発と設計を行ったソフィーさんを見る。馬車の昇降口に腰掛けた彼女は、サラマンダー君の毛についた砂埃を優雅に取り除いている真っ最中だった。
「だから、そのぉ、突然出てくる、変な人について行ってぇ」
私の横に立っていたアシハラが太い腕を動かしながら、たどたどしく切り出す。
「この状況で、人なんか出てきたら怖いですけどね」
すでに『加護』を与えられている彼の持論は、私が真っ向から潰した。
「あっ、キツネだ!」
唐突に声を上げたキラが、手にしていた杖で砂漠を指す。見れば、少し離れた砂原の真ん中に、フェネックのようなキツネが座り込んでいた。特徴的な大きな耳をヒクヒクと動かして、つぶらな瞳をこちらへと向けている。
「かわいいな!」
「ほら、出た! 追いかけましょう!」
珍しく興奮した様子を見せたアシハラが、なぜか私を誘ってきた。まだ半信半疑の状態から抜けきれなかった私は、しゃがみ込んでタバコをふかし始めていた大賢者を見下ろした。煙を吐き出した彼は、私の視線に気づくと、意外そうな顔つきでこちらを見返してきた。
「あん? 俺はいい。お前ら、三人で行ってこいよ」
「えぇ……」
気まぐれに突き放され、不満の声が漏れる。
「大丈夫だって、アシハラがいるんだから。早くしねぇと」
「待ってろよ、キツネぇ!」
風の速さで飛び出していったキラを、音もなくアシハラが追いかけていった。
「ほら、こうなった。跳ねっ返りが怪我したりしないよう、しっかり頼んだぞ?」
しれっと重大なことを任された私は、ぐったりとした気持ちで身体を翻し、大砂漠と向き合った。
キラと、特にアシハラは鋭い足跡を地面に残し、すでに十数メートル先にまで進んでいた。そんな二人を導くように、キツネは背を向けて走っていた。
砂漠仕様の装束は、とてつもなく動きづらかった。裾が長いため足元に絡まりやすく、足さばきがどうしても悪くなる。そんな私の先を行く二人は、跳ぶように砂を蹴っていた。
汗でべったりと張り付いた裾をたくし上げ、見よう見まねで二人のフォームを盗む。走り出しの遅れをじわじわと取り戻し、小さくなりかけていた背中にようやく追いつきかけた、そのとき。
灌木の近くで、キツネがピタリと足を止めた。先に到着した二人は、神妙な面持ちで灌木の根元を覗き込んでいた。だが、後から到着した私は、同じようにはいかなかった。
「はぁ……はぁ……ふぅ」
膝に手をついて、呼吸を整える。地面に垂れ落ちた汗が砂に吸い込まれ、黒く浮き上がった。チラリと横目で見ると、灌木の下の巣穴で、痩せこけたキツネの子どもたちが身を寄せ合って震えていた。
「ビョーキか? どうしたらいいんだ?」
「うーん……日照不足で餌が足りないとか、体温が維持できないとか、そういうことなのかもしれないね。今はどうにもできないから……まず、先に拝んでおこうか?」
耳を疑った私は、息巻いて顔を上げた。
「見損ないましたよ、アシハラさん」
軽蔑の眼差しを彼に向ける。この人だけは、そういう不謹慎なジョークを言わないと思っていただけに、心底がっかりした。
「最低だな、ムガ」
私の目つきを真似たつもりか、キラも目を細めて、アシハラを睨みつけた。
「な、な、な、なんで?」
「『拝む』って何ですか? 野生動物ですから、安易に甘いことを言えないのはわかります。けれど、そういう言い方で笑いを取ろうとするのは、私は好きではありません」
「違う違う! そうじゃなくて、あっちの話!」
彼は、何かを訴えるように視線を逸らした。その先を辿ってみると、とんでもないものが目に飛び込んできた。
「なんで……」
あまりのことに言葉を失った。そこにあったのは、小さな石の祠だった。日本で見たことのある、神を祀るためのものと遜色ないものだ。それがどうして、こんなところにあるのか。そう考えたところで、この世界を創造した神の戯れに他ならないことは、明白だった。
「これがきっかけで、キラ殿が『加護』を得られるかもしれない。その力で、この子たちを助けられるんじゃないかな、って。そう思ったの」
「おお! そういうことか! やるな、ムガ!」
「でしょ? だからまずは、皆で拝んでみましょう」
「やろう、やろう!」
二人は仲良く、祠の前に並んで立った。
「あの……」
気まずさに言葉を濁す私に、アシハラは何も言わず「どうぞ」と手を添えて、キラの隣を勧めてくれた。
お言葉に甘えて、私も目の前の奇妙な参拝の輪に加わる。
「それでは、準備はよろしいですか? とは言っても、初詣のときと同じです。二礼、二拍手、一礼で参りましょう」
アシハラの声が、紫紺の砂漠に気持ちよく響く。三人で横一列に並んだまま背筋を伸ばし、日本の神社流参拝が始まった。
深々と頭を二度下げる。
続いて、乾いた拍手の音がパンパンと、静かな砂原に響き渡る。
その音が静寂に吸い込まれたと同時に、深く、最後のお辞儀をする。
直後、石の祠の閉ざされていた扉から、うっすらと濃紫色の光が漏れ出た。
「光ってる!」
困惑と歓喜が混じったような笑みを浮かべたキラが、私とアシハラの顔を交互に見上げてきた。
「……開けてごらん?」
アシハラに促されるまま、キラは一歩前に出た。そのまま彼女は、目線よりも少し高い位置にある祠の扉に手をかけた。
「うおぉぉ!?」
紫紺の砂漠が、眩い光に包まれる。焼けつくような濃紫の光は、一瞬にして、彼女の体内に吸い込まれていった。




