143 愛の番い
「よお、ダリア。今日こそは、ワシの話を聞いてくれるな?」
六十歳前後、これまでの失敗を踏まえると、男性なので実年齢はプラス五歳ほどだろう。つるりとした光沢を放つ生地を使った伝統衣装に、腕から指までジャラジャラとした宝飾品で固めている。エラの張った輪郭に大きく曲がった鷲鼻が乗った、見るからに金回りがよさそうで人相の悪い老人が現れた。
「ヴォルドー……」
用意されたようなこの展開に、私はソフィーさんに顔を寄せ、小声で尋ねた。
「あからさま過ぎませんか?」
「どうして? こういうお話って、ライバルが必要なんでしょ?」
作られた話ならそうなのかもしれないが、せっかく話がまとまりかけていただけに、余計なものに感じられた。正体こそわからないが、私は、彼女にいらない知識を与えた媒体を恨んだ。
私たちを一瞥すると鼻で笑ったヴォルドーは、ゆっくりとテーブルに手を伸ばした。響いたのはカタン、という金属音。一万リーブの大判が数枚、卓上に乗せられていた。
「五枚でどうだ? 席を外してくれないか?」
「ケチくせぇぞ、ジジイ。何人いると思ってんだ。身ぐるみ、全部出せ」
どこで覚えてきたのか。治安の悪い言葉を放ったのは、大賢者ではなくキラだった。問題の大賢者は、ニヤニヤと笑うだけにとどまってくれていた。
侮辱され、表情を歪めたヴォルドーだったが、思い直したのか、ふっと顔の力を緩めた。直後、彼は大きな間違いを犯した。無礼を許してやろうとでも思ったのだろう。ヴォルドーはいやらしい笑みを浮かべてキラに歩み寄ると、その手を彼女の頭に向けて伸ばしてしまった。
「ぐあぁぁっっ!?」
「……ピ?」
ピィちゃんを小脇に抱え、一切の表情を消したアシハラに手首を握られているだけ。ただそれだけなのに、ヴォルドーは全身に熱い油をかけられたかのような、苦痛に満ちた表情で叫び声をあげた。
「……悪いな。この子にだけは触らないでくれ。話があるんだろう? 俺たちに構わず、続ければいい」
一番危ないモードの一歩手前に入っている。そうでなくともアシハラを止められるのは、この場に一人しかない。ところが、大賢者ときたら「いいねぇ」と呟いて頷くだけで、仲裁するそぶりも見せなかった。
「放してやれ、ムガ」
場を動かしたのは、またしてもキラだった。大の男たちを前にしても、彼女の態度は堂々としたものだった。
本人に言われたとあらば仕方がなく、アシハラは黙って手を離した。そのまま彼は両手を使って、ピィちゃんをそっと地面に降ろした。
ヴォルドーはよろよろと二、三歩下がり、自分の手首がついているかどうか、反対の手で握って確かめていた。
ピィちゃんは、しれっとした顔でこちらに駆け寄ってきた。そんな彼を、私は自分の膝の上に乗せて保護した。
「大丈夫か、ジジイ? その金ピカ、あと何枚出せる?」
キラは座ったまま、示談の提案をした。それを受け、青を通り越して緑がかった顔から冷や汗をだらだらと垂れ流していたヴォルドーは袖に手を入れた。すぐに十五枚ほどの大判が、彼女の目の前に積まれた。
「どうもありがとう……よし! 続けていいぞ、ムガ!」
示談交渉かと思ったら、悪辣なカツアゲ行為だった。
「ダリアちゃん!」
わけのわからないタイミングでトト坊も乱入してきて、事態の泥沼化はもはや避けられなくなった。
「トト坊!」
最初から、その気持ちはトト坊にしか向いていなかったのだろう。ダリアは立ち上がって、彼に歩み寄っていった。
「ダリアちゃん……」
トト坊の手に握られていたのは、陶器でできた風鈴だった。その模様は彼女の髪と同じ、黒地にピンクの線が二本入ったものだった。
「これ、オイラの自信作でやんす。約束通り、町中を、オイラの風鈴でいっぱいにしたでやんす。だから今度は、ダリアちゃんが約束を守る番でやんす。オイラのお嫁さんに……」
「待てぃ、若造!! ダリアは私の妻になる女だ!!」
「ヴォルドー……さん」
遅れてやってきたトト坊はヴォルドーの存在に気づくなり、押し黙ってしまった。
「いいキャラを用意したな?」
「でしょ?」
テーブルでは心底救えない夫婦が、何やら価値観を共有し合っていた。
もう勝手にしてくれ。初めからそうではあったが、私も高みの見物を決め込むことにした。
「愛だけで生きていくことはできんのだ! 夫婦とは言え、所詮は他人! 医療に介護、そして老後の経済的負担、お前にダリアの面倒が見切れるのか? ワシにはできる。金があるからな!」
一転して、ヴォルドーがこれ以上にない正論を吐く。もしダリアに、現状の稼ぎや貯えに不安があるのなら、それはトト坊を選べない大きな理由になってしまう。
「…………」
彼女は差し出された風鈴に伸ばしかけていた手を、止めていた。
これだけ美しければ、維持費もかかるのだろう。それは仕方がないことなのかもしれない。
「ダリアちゃん……」
トト坊は顔をしゅんとさせ、くるりと背を向けた。
「最初に出会ったのは、オイラが五歳の時でやんしたね。あの日のことは、今でも覚えてるでやんす。ダリアちゃんが、オイラの口についたフローズンヨーグルトを、優しく拭ってくれたでやんした……」
「トト坊……」
すぐそこにある背中から語られた、甘酸っぱい思い出話に、ダリアは立ち尽くすだけで何も返せないでいた。
「ダリアちゃんが幸せに暮らせるのであれば、オイラはそれでいいでやんす。あれから、二十年待ったでやんす。ヴォルドーがおっ死ぬまで、同じくらいでやんすかね? ヴォルドーほどとは言えねぇでやんすが、それまでにオイラはもう少し、ダリアちゃんに必要なものを貯めておくことにするでやんす。今度は『太陽の都』まで、オイラの風鈴とランプでいっぱいにするでやんす」
トト坊は独特の鈍い動きで、その場からドタドタと駆け出した。
「……ダリアちゃん!?」
「……遅いんだよ、アンタは」
愛することしか知らない、とことん不器用で、物理的に足が遅いトト坊。その背中を、しっかりと両腕で包み込んでいたのは、ダリアだった。
「負けたよ。あと二十年なんて、冗談じゃない。性格が悪くて行き遅れた、しょうもない女だけど、一緒に歩いてくれるかい?」
「……もちろんでやんす!」
これほどまでに綺麗に収まるのであれば、他人の恋愛を見るのも悪くない。そんなことを思いつつ、私はテーブルへと視線を戻した。
「ふん! くだらん茶番だ! せいぜい後悔するがいい!」
敗北したライバルにふさわしく、顔を真っ赤にしたヴォルドーは捨て台詞を吐いて去っていった。
「いやぁ、いいもん見してもらった! おめでとさん! さてと……それじゃあ、これはしまっちゃってもいいかな?」
総額二十万リーブ。なし崩し的に残った、とんでもない大金をせしめようと、大賢者が大判の山に手を伸ばした。
「……ちょっとだけ、ご祝儀欲しいかも、でやんす」
「アタイからも、お願いできるかい?」
新たに生まれた愛の番いは、末永く、逞しく生きていけそうだった。




