142 愛のフルーツパーラー
「ダリアちゃん! 話を聞いてくれでやんす!」
やんす。
聞き間違いではない。まぎれもなく、目の前で本当に起こった出来事である。そのわざとらしい単語が、到着したばかりのフルーツパーラーにこだました。
二十歳前後だろうか。少しだけ小太りで『やんす』が語尾の若い男が、女性店員に何かを訴えている。服装は袖口と裾の広い、エシュ・ヤハム伝統の一枚布。鉱山関係か、それとも工芸の仕事をしているのだろうか。よく見ると、服にはところどころ泥のような汚れがついている。
「もう諦めな、トト坊。アタイみたいな行き遅れ、相手にするだけ時間がもったいないだろ」
ダリアと呼ばれた女性は、トト坊に背を向け、拒絶するように腕を組んでいた。長い前髪に入った二本のピンク色のメッシュが特徴的で、日本の浴衣にも似た服がよく映える、スレンダーな美人だった。
「オイラの時間は、ダリアちゃんだけのためにあるでやんす! とにかく、オイラは本気でやんす! オイラと結婚してくれでやんす!」
「帰りな。もうここには……来るんじゃないよ」
「ダリアちゃん……」
ショックを受けたのか、トト坊はドタドタと駆け出して、その場から離れた。そのまま去るのかと思いきや、彼は店の敷地を跨いだ辺りで立ち止まり、ダリアへと振り返った。しばらくの間、彼女の後ろ姿を眺めた彼は、また走り出し、夜の街に消えていった。
「……なんか、楽しそうだなぁ」
キラがまったく共感できない感想を漏らした。
「というわけで、サブクエストっぽいな。だいぶ狭い、ローカルな痴話喧嘩、いや、恋物語かな? 全員で協力して、解決してやろうじゃねぇか」
こんなときばかり、なぜそんなに物分かりがよくなってしまうのだろう。大賢者は一人で、スタスタと歩き出し、ダリアのもとへと行ってしまった。
「貸し切り状態だけど、大人数だからね。机、くっつけようか」
「ピィ!」
「キュオーン!」
アシハラとピィちゃん、そしてサラマンダー君が席の確保に動き出す。残された私は、ソフィーさんの顔色を窺うことしかできなかった。
「たまには、こういうお話もいいでしょ?」
反対も反論も許さない、世界一魅力的なウインクが返ってきた。
スイカにも似た、赤い果肉のフルーツがふんだんに使われたタルト。レモンの香りが爽やかなクリームケーキ。鮮やかなライム色のソーダには、真っ白なアイスクリームが乗せられている。
テーブルの上は見事に華やいでいた。しかし、大賢者によって強引に同席させられていたダリアは、その細い眉をハの字に曲げ、俯いていた。
「うまい!」
食べたケーキよりもたっぷりのクリームを口の周りに付けたキラが、この雰囲気を打破した。
「……だろ? そのレモンケーキ、トト坊も好きで、よく顔を見せてたもんさ」
ダリアは一瞬だけキラに笑顔を向けると、愛しいトト坊の姿が重なったのか、唇をぎゅっと結んでまた眉をしかめた。
「そこまで愛しているのに、どうして応えてやらない?」
大賢者が、静かな熱を孕んだ視線をダリアに向けた。
「……年が、離れすぎてる」
外見で判断するに、彼女の年齢は私と同じか、少し上くらいだろうか。私からすれば、確かにトト坊は若い。それでも、世間体を気にするほど離れているとは思えなかった。
「そんなの、気にするなって。俺の嫁、いくつだと思う? 言ってやれ、ソフィー」
またデリカシーのないことを言い出す。流れ弾が当たらないよう、私はテーブルの上に使えるものはないか探った。
「そういえば……もう数えるのやめちゃったから、わかんないかも」
防御用の皿を手に取るより早く、想像のはるか先を行く回答が放たれた。
「な? こいつからすれば、人間なんて、それだけで一括り。年なんか、気にするだけ無駄だ。今すぐ走って行って、抱け」
身も蓋もない大賢者のアドバイスに、ダリアはふっと自嘲気味に笑った。
「この街で暮らす人たちが皆、アンタみたいな価値観だったら良かったのにね」
遠くを見つめながら、ダリアは帯に手を入れた。そこから小さな革製のポーチを取り出すと、慣れた手つきで煙草を一本だけ引き抜いて、火を点けた。細く長く吐き出された煙は、美しくグラデーションされた前髪を抜けて、宙に流れていった。
「……四十五だよ。トト坊とは二十も離れてる。アンタらと違って、ごく普通に生きているアタイたちからすれば」
「四十五歳!? ちょっと待ってください……え!?」
正直言って、少し怪しいとは思っていた。彼女のタバコの吸い方が、ソフィーさんのように艶っぽかったからだ。それでも、想定していたものより遥かに高い数値を耳にした私は、声を上げて話を遮ってしまった。
トト坊の年齢も、分析したものより少しだけ上。思い返せば、宿の店主もそうだった。この街の人たちは肌つやが良いため、実年齢よりもずっと若く見える。
「何か、おかしいかい?」
「いえ……」
ダリアと一番年が近い、アシハラに視線を向けてしまう。彼は今日も甲斐甲斐しく、外見年齢十二歳のエルフ、キラの口を拭いていた。
「髪の毛が、口に入ってますけど?」
「髪の毛を、口から追い出してくれ!」
「自分でやりなさいよ」
「いいから! 助けてくれ!」
「はいはい……」
この二人は将来的に結ばれる関係、謂わば婚約状態にある。
私は大賢者の秘書官だ。ゆくゆくは、彼の娘であるキラの結婚を、世間に発表する機会が来るかもしれない。その時、世間はどう捉えるか。人間というのは、目に見える情報だけで他人を推し量る。いちいち個人と交流している時間や手段がないのだから、それは当然のことだ。問題は、その性質を利用して、よからぬことを吹聴して回り、利益を得ようとする連中が必ず出てくる点にある。
政治的に、何よりも本人たちの精神的健全性を考えると、キラとアシハラの結婚については、今の時点では隠すのが得策だ。そう結論せざるを得ない。
身近なんてものじゃない。赤の他人に過ぎないダリアの気持ちが、痛いほどに伝わってきた。
「まあ、そういうことさ。あとは……わかるだろ?」
歯切れ悪く呟いたダリアは、手繰り寄せた灰皿に煙草の先をそっと押し付けた。苦い燻し香だけが残った中、今にも訪れそうな沈黙を一人の男が打ち払った。
「覚悟がないなら、それでもいいんじゃない?」
「……ピ?」
それはピィちゃんでなく、彼を膝の上に乗せていたアシハラだった。普段は余計な口を挟まない、家事育児に特化した大男が珍しく、その重たい口を開いた。
「若輩者ですが、失礼します。そういう、惚れた腫れたの話に限らず、何もかもが両手放しで祝福されたっていう瞬間なんですが……姐さん、これまでの人生でどれくらいありました?」
「それは……」
ダリアは言い淀みながら、視線を下の方へと動かした。彼女の脳内が複雑に動いているのは明白だった。様々なことがあったのだろう。視覚情報を遮断して、記憶の引き出しを一つずつ開けては、反芻するように自分と対話をしている。
「まあ、なんとなくわかりますよ。姐さん、素敵な方なんで。それで、今も変わらず肩を持ってくれてるのって、何人います?」
質問に答えることなく、ダリアは下を向いたまま、鼻の下やポーチを触り始めた。彼女の心が落ち着くまで、アシハラは沈黙を貫き続けた。やがて向き合う覚悟が整ったのか、ダリアは顔を上げて彼へと視線を向けた。反対にアシハラは、少し目を逸らして、口元を柔らかく緩めた。
「そういう大事な人って、自分から手放すべきじゃないって、俺は思うんです」
アシハラは視線を逸らしたまま、人のよさそうな笑みを浮かべたその顔を、手でぐるりと指した。
「幸いにも俺はこういうナリなんで、どんなに唾を引っかけられても、これ以上悪くはならないんですが……」
冗談交じりの言葉と動きで、調和が生まれた。ダリアは心から解きほぐされたような、純粋な笑みを咲かせながら小さく首を振った。言葉の代わりにうんうんと頷いた直後、アシハラはその目に鋭さを戻した。
「若い男です。勢いだけで来てるかもしれない。結婚となると、子供だって……ね? そう簡単には、いかないことでしょう。けど、それだけの理由で手放すのは、ちと若すぎる考えじゃないですか?」
沈黙が続いた。しかしそれは、まったく違う種類の沈黙だった。気づけば、俯きがちだったダリアの眉は、まっすぐになっていた。




