139 ブランチ
遅く起きた、エシュ・ヤハムの高級宿。室内はスパイスの香りで満ちている。皿に乗せられているのは、ほかほかと湯気立つ、黄色が鮮やかな饅頭だ。蒸かしたての饅頭を手に取り、半分に割ってみると、ふかふかの生地からはスパイスの粒が躍る、濃厚な色のカレーが姿を現した。
「うまい!!」
私がそれを口に運ぶより早く、キラが歓声をあげる。
「でも、こっちはダメだ! 口の中が痛くなる!」
しかし、この街の名物である炭酸水は、お気に召さないようだった。
「だから言ったでしょ? 普通のお水もあるよ、って」
背伸びしたがりの困ったお姫様には、いつものようにアシハラが応対する。彼女が放り出したグラスは、彼の手によってすぐに新しいものへと取り換えられた。
「冷めちまうぞ?」
隣に座る大賢者に促され、ようやく私もカレー饅頭を味わう。野菜と肉の旨味が溶け込んだ、ピリッとした辛さのカレーを、ほんのりと甘い生地が引き立てる。言うまでもない美味しさが、口の中いっぱいに広がった。
もう一口いこうと思った矢先、大賢者が「ふん」と鼻で笑った。
無視するべきだ。頭ではわかっているのに、なぜか私は、彼に視線を向けてしまった。
「お前は本当に、メシのときだけは正直だよな?」
「……何も、言っていませんけど?」
「顔に出てる。もっと言うと、美味いもの食うときは、必ず目がデカくなる」
観察される側というのは、それを報告されてもいい気分にはなれない。だから私は、誰かを観察しても、わざわざ内容までは口にしない。余計な火種を生むだけだし、第一、言われた側がどんな顔をするか分かりきっているからだ。
この男の腹の立つところは、そういった世間一般の考え方を分かっている上で、いちいちこういう行動をしてくる点にある。つまり、私を怒らせて楽しみたいだけなのだ。
「楽しいですか? 私の分析は」
どんな言葉を返しても、この男は喜んでしまう。それでも、何か言わずにはいられなかった。予想通り、彼はぐっと口角を上げて、腹が立つほど整った顔を寄せてきた。
「ああ、楽しいね。お前は楽しくないのか?」
私が返答に詰まるのも構わず、彼は皿の上に残っていた饅頭を指差して続けた。
「そいつを分析してみたか? 蒸し料理っていう部分については、この街の文化を考えれば、至極当然。だが、材料の小麦とスパイスについては、考えてみたか?」
そこまでは、目が行き届かなかった。
世界一優秀な男には、世界がどう見えているのか。また一歩、その答えに近づけそうだと思った私に、反抗心など残っていなかった。
思考を切り替えて、自分なりに考えを巡らせてみる。エシュ・ヤハムは永遠の夜に沈む街。日光がないため、スパイスや小麦が育つような環境はないと予測できる。それに、ここに来るまでの間、農地らしきものはどこにもなかった。
「……交易で、手に入れている?」
「正解。小麦は、おそらくエハドから。じゃあ、スパイスはどこからだと思う?」
エハドでは、カレーに使われるような香辛料は育てられていなかった。そうなると、答えはおのずと導き出される。
「次の目的地、ですね?」
「そういうこと。で、こういうスパイスが採れる地域ってことを考えると、たぶん乾燥地帯か、それに近しい環境になるんじゃねぇかな? そうなってくると、次の馬車旅に備えて、この街で用意すべきものがわかってくる、というわけだ」
街道の先に広がる、まだ見ぬ光景が容易に浮かび上がってきた。
部屋にある地図を、早く開きたくて仕方がなかった。残った饅頭を口に詰めて、炭酸水で流し込む。口の中のものをしっかりと飲み込んで立ち上がった瞬間、服の袖口がぐっと突っ張るような感覚がした。
見れば、大賢者がしっかりと私の袖を握っていた。
「そう慌てるなって。じきにソフィーたちも起き出すし、何より今は休養期間。もう二、三日は体を休めないと、馬車旅でバテちまうぞ?」
「うぐっ……」
異音が割り込み、視線を移す。反対側の席で、ハムスターのように頬を膨らませたキラが、顔を青くさせていた。
「慌てないの。誰も取らないんだから、ゆっくり食べなさい」
アシハラがトントンと彼女の背中を叩いて、喉に詰まった饅頭を吐き出させた。
「げほっ……サンキュー、死ぬかと思った」
「そんなことで、死なないでおくれよ。頼むから」
「うん。ムガは、私のことを愛しているからな。生きてやろう」
「はいはい……」
真剣な表情を浮かべるキラに対して、アシハラは呆れたように笑っていた。
その光景を見て、気恥ずかしさとおかしさが同時にやってきた私は、喉の奥で小さく笑い、ゆっくりと椅子に座り直した。




