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大賢者の秘書官イシュタル ~何者でもない魔女の一生……になるはずだった~  作者: ふるみ あまた
5章 ゲームの章

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139/166

139 ブランチ

 

 遅く起きた、エシュ・ヤハムの高級宿。室内はスパイスの香りで満ちている。皿に乗せられているのは、ほかほかと湯気立つ、黄色が鮮やかな饅頭だ。蒸かしたての饅頭を手に取り、半分に割ってみると、ふかふかの生地からはスパイスの粒が躍る、濃厚な色のカレーが姿を現した。


「うまい!!」


 私がそれを口に運ぶより早く、キラが歓声をあげる。


「でも、こっちはダメだ! 口の中が痛くなる!」


 しかし、この街の名物である炭酸水は、お気に召さないようだった。


「だから言ったでしょ? 普通のお水もあるよ、って」


 背伸びしたがりの困ったお姫様には、いつものようにアシハラが応対する。彼女が放り出したグラスは、彼の手によってすぐに新しいものへと取り換えられた。


「冷めちまうぞ?」


 隣に座る大賢者に促され、ようやく私もカレー饅頭を味わう。野菜と肉の旨味が溶け込んだ、ピリッとした辛さのカレーを、ほんのりと甘い生地が引き立てる。言うまでもない美味しさが、口の中いっぱいに広がった。


 もう一口いこうと思った矢先、大賢者が「ふん」と鼻で笑った。


 無視するべきだ。頭ではわかっているのに、なぜか私は、彼に視線を向けてしまった。


「お前は本当に、メシのときだけは正直だよな?」

「……何も、言っていませんけど?」

「顔に出てる。もっと言うと、美味いもの食うときは、必ず目がデカくなる」


 観察される側というのは、それを報告されてもいい気分にはなれない。だから私は、誰かを観察しても、わざわざ内容までは口にしない。余計な火種を生むだけだし、第一、言われた側がどんな顔をするか分かりきっているからだ。


 この男の腹の立つところは、そういった世間一般の考え方を分かっている上で、いちいちこういう行動をしてくる点にある。つまり、私を怒らせて楽しみたいだけなのだ。


「楽しいですか? 私の分析は」


 どんな言葉を返しても、この男は喜んでしまう。それでも、何か言わずにはいられなかった。予想通り、彼はぐっと口角を上げて、腹が立つほど整った顔を寄せてきた。


「ああ、楽しいね。お前は楽しくないのか?」


 私が返答に詰まるのも構わず、彼は皿の上に残っていた饅頭を指差して続けた。


「そいつを分析してみたか? 蒸し料理っていう部分については、この街の文化を考えれば、至極当然。だが、材料の小麦とスパイスについては、考えてみたか?」


 そこまでは、目が行き届かなかった。


 世界一優秀な男には、世界がどう見えているのか。また一歩、その答えに近づけそうだと思った私に、反抗心など残っていなかった。


 思考を切り替えて、自分なりに考えを巡らせてみる。エシュ・ヤハムは永遠の夜に沈む街。日光がないため、スパイスや小麦が育つような環境はないと予測できる。それに、ここに来るまでの間、農地らしきものはどこにもなかった。


「……交易で、手に入れている?」

「正解。小麦は、おそらくエハドから。じゃあ、スパイスはどこからだと思う?」


 エハドでは、カレーに使われるような香辛料は育てられていなかった。そうなると、答えはおのずと導き出される。


「次の目的地、ですね?」

「そういうこと。で、こういうスパイスが採れる地域ってことを考えると、たぶん乾燥地帯か、それに近しい環境になるんじゃねぇかな? そうなってくると、次の馬車旅に備えて、この街で用意すべきものがわかってくる、というわけだ」


 街道の先に広がる、まだ見ぬ光景が容易に浮かび上がってきた。


 部屋にある地図を、早く開きたくて仕方がなかった。残った饅頭を口に詰めて、炭酸水で流し込む。口の中のものをしっかりと飲み込んで立ち上がった瞬間、服の袖口がぐっと突っ張るような感覚がした。


 見れば、大賢者がしっかりと私の袖を握っていた。


「そう慌てるなって。じきにソフィーたちも起き出すし、何より今は休養期間。もう二、三日は体を休めないと、馬車旅でバテちまうぞ?」

「うぐっ……」


 異音が割り込み、視線を移す。反対側の席で、ハムスターのように頬を膨らませたキラが、顔を青くさせていた。


「慌てないの。誰も取らないんだから、ゆっくり食べなさい」


 アシハラがトントンと彼女の背中を叩いて、喉に詰まった饅頭を吐き出させた。


「げほっ……サンキュー、死ぬかと思った」

「そんなことで、死なないでおくれよ。頼むから」

「うん。ムガは、私のことを愛しているからな。生きてやろう」

「はいはい……」


 真剣な表情を浮かべるキラに対して、アシハラは呆れたように笑っていた。


 その光景を見て、気恥ずかしさとおかしさが同時にやってきた私は、喉の奥で小さく笑い、ゆっくりと椅子に座り直した。

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