138 星降る街の蒸気テーブル
永遠の星空に晒されるエシュ・ヤハムでは、時計なしに生きることはできない。私がそのことを実感したのは、天蓋付きの豪華なベッドで目を覚ましてからだった。
「ンガァァ……」
最初に目に入ったのは、キラの寝顔だった。どうしても個室という環境に馴染めなかったのだろう。私も持て余していたその広いスペースを、彼女は有効に活用してくれていた。
ほのかにピンク色が差す彼女の頬をひと撫でし、布団をかけ直してやる。それからベッドを抜け出し、大きく伸びをしてから、枕元の腕時計を手に取った。
時計の短針は十二時を指していた。旅の疲れで丸一日眠りこけてしまったのかとも思ったが、窓の外を見て、ここが夜に抱かれる街であることを思い出す。
今は昼の十二時なのか、それとも浅い眠りだったのか。
困惑するのも束の間、今度は食欲をそそるスパイシーな香りが鼻をついてきた。
「んん……」
布団を蹴っ飛ばしたキラに、またかけ直してやってから、私は部屋とダイニングを隔てる衝立をスライドさせた。
部屋にこもった湿気を、通風孔からの微風が和らげていた。その風に乗って運ばれてきたのは、大皿に山積みされた、黄色い饅頭の香りだった。
「ようやくお目覚めか」
冷やかしの挨拶をしてきたのは大賢者だった。その言葉で、現在が昼間であることを理解する。彼の他に、その場にいるのはアシハラだけだった。室内を見回してみると、まだ三つの部屋が衝立で仕切られていた。
私はアシハラにだけ軽く頭を下げ、それからテーブルについた。
「食べます?」
大賢者と違い、アシハラは寝起きでも受け入れやすい、柔らかい物腰で話しかけてきた。彼が勧めてきたのは、カレーのような匂いを漂わせる黄色い饅頭だった。
「何なんですか、これ?」
無論、食べたい気持ちはある。しかし、目覚めたばかりでこんなものを見せつけられれば、誰だってその正体を知りたくなるものだ。
私の問いかけに答えたのは、大賢者だった。
「相撲大会の優勝賞品だ」
「……すもう?」
彼の言葉を拒絶するかのように頭が痛んだ。
助けを求めて、アシハラの顔を見た。彼は視線を左右に泳がせると、私の目を見ずに言った。
「まあ、その……伝統行事でして」
ますます、わからなくなってくる。エシュ・ヤハムと相撲に、何の関連性があっての伝統行事なのだろう。
そもそも、この人たちは何だ。二人で街をぶらつき、たまたま参加した相撲大会で優勝してきたとでも言うのだろうか。いや、間違いなく、そう言っているし、それ以外のことは語っていない。うまく事態を飲み込めない、私が悪いのか。
真面目に考えるほど、しくしくと痛みを伝えてくるこめかみを押さえる。すると、視界の脇から静かにグラスが滑り込んできた。今度は何だと思い、顔を上げる。
「炭酸水が名産で、飲み放題らしいですよ?」
グラスを差し出してきたのは、アシハラだった。もう片方の手には、私のための饅頭を乗せた小皿があった。
「ありがとうございます」
頭を活性化させよう。
受け取ったグラスを傾ける。渇いた口内に潤いが行き渡り、同時に泡が弾ける。パチパチとした刺激が、ぼんやりとしていた脳を叩き起こしてくれた。
「お二人とも、お疲れさまでした」
こういう場合、あまり深く考えなくていい。背筋が伸び、頭痛も吹き飛んだ私は、瞬時にそのことを思い出した。
「それじゃ、温め直して……と」
バンッと音を立て、大賢者がテーブルの中央を叩くと、円形にくり抜かれた板が持ち上がり、大きな窪みが露わになった。そこには、無数の穴が開けられた金属のプレートが張られていた。
「このテーブル、こんな仕掛けがあったんですか?」
「なんでも、街中の至るところから吹き出す蒸気を活かした機能らしいぞ? この街のテーブルは、大体こうなってるんだってよ」
大賢者の説明を受けている間に、アシハラが手際よく、プレートの中に饅頭を二つ並べた。
「えーっと、スイッチが……アシハラ、どれだっけ?」
「コックを下に倒すだけです」
「でも、なんか二個あるぞ? どっちだ、これ?」
「ええっとぉ……あれ? 本当ですね。しかも、ハンドル式だ」
「わかんねぇな。どれ、ちょっと捻ってみるか」
「あぶなぁーい!! イシュタル殿、逃げてぇ!?」
炭酸水を飲んでいてよかった。おかげで、くそバカ男どもがいる机の下へ、間一髪で滑り込むことができた。
瞬間、室内に響いたのは圧力から解放された蒸気が噴き出す音だった。豪華な部屋が真っ白な煙で満たされ、必要以上にしっとりとした空気になってしまった。
「二人とも、何をやってるんですか! いい年して!」
「面目ない」
謝ってきたのはアシハラだったが、私の耳は真犯人がキュッとハンドルを締める音を聞き逃さなかった。
「うるせぇ! 朝から怒鳴るな!」
「怒鳴らせてるのは、あなたでしょう!? それに朝じゃなくて、もう昼の十二時ですけど!?」
「昼の十二時までガーガー寝てる魔女が何か言ってますけどぉ!?」
「ガーガーなんて寝てません!」
「へえ!! お前の部屋から、いびき聞こえたけどなぁ!?」
「それは私じゃありません!」
「じゃあ誰だよ!? 男でも連れ込んだのかな!? お父さん、許さんぞ!? そんな、行きずりの男となんて、お前!! ちんちんは大きいんだろうな!?」
「あなたよりは大きいんじゃないですかね!?」
情けない言い合いをしているうちに、白煙は徐々に引いていった。しばらくすると霧は完全に晴れ、全員が、狭苦しいテーブルの下から無事に脱出できた。
「なにやってんだぁ?」
平穏とカレーの匂いに包まれるダイニングに佇んでいたのは、キラだった。私たちの誰も、すぐには彼女に言葉を返せなかった。
沈黙の中、彼女がスンスンと鼻を鳴らす音だけが響く。
「なんか、美味そうな匂いがする」
「寝ぼけ娘は、いくつ食うんだ?」
寝ぐせだらけの彼女は片手を大きく前に突き出し、すべての指を広げて見せた。




