128 さよなら、エハド
キラがハチに刺されたり、インチキ占い師に掴まされたり、最初は散々な目に遭ったマーケットだったが、最後に出会った少し変わった兄弟が、その思い出をまるっきり逆のものへと変えてくれた。
終わり良ければすべて良し。無事、キラの杖を入手できた私たちは、袋にぎっちりと詰め込まれたおがくずや、ミニバナナといった戦利品を抱えながら宿の前にたどり着いた。
清々しい杉の香りを惜しげもなく放つおがくずは、火起こしやウマの寝床に大いに役立ってくれる。
見た目に反して、拍子抜けするほど軽い大袋を荷物棚のちょうど良い深さの位置に固定する。ふと厩舎に目を向けると、馬と一緒になっておやつのバナナを楽しんでいるキラと、それを見て一服しているソフィーさんの姿が映った。
あとはもう、宿に入って休むだけだ。
ほっと息を吐いたのも束の間、通りの向こう側がガヤガヤと騒がしくなった。
「はい。それじゃあ全員、火の精霊に感謝を込めて、整列!」
鍜治場からぞろぞろ出てきた、屈強な男たちを従える上半身裸の男。大賢者のお出ましだった。
「キュオーン!」
自分を崇めよ、とでも言っているのだろうか。大賢者の足元に付き回っていたのは、尻尾を巻き巻きにした火の精霊そのもの、サラマンダー君だ。彼は丸みを帯びたかまどに向かって、ひと吠えした。
「はい、お疲れさまでしたぁ」
一番最後に出てきたアシハラは、抱えていた洗濯桶をそっと地面に降ろした。
「ビィ……」
水の張られたその桶の中には、暑さに弱いピィちゃんが入っていた。彼を除けば、アシハラが誰よりも汗で全身を湿らせていた。
重労働を終えたアシハラが夕日をバックにタバコを吸う様は、とてつもなく格好いい。あまりにも絵になりすぎていたからだろうか。それを見た私は、なぜか笑ってしまっていた。
「おい、なにやってるんだぁ!? うわっ、くせぇ!?」
そんな私の横を風のように通り抜け、アシハラに体当たりをかましたのはキラだった。再び厩舎の方に振り返ると、そこには倦怠感あふれる妖艶な表情を浮かべたソフィーさんが立っていた。彼女は私と目を合わせると、ゆっくりと首を横に振った。私は小さく手をかざし、通りの向こう側へと歩き出した。
爽やかなおがくずの残り香など微塵もない。鍜治場の前にムンムンと立ち込めていたのは、労働の汗のニオイだった。目に染みるほどの刺激的なニオイだが、個人的にはそこまで嫌いになれない。
「くっせぇ! くっせぇなぁ、おい!」
「嫌なら、離れなさいよ……」
そうは言え、キラのようにわざわざ何度も嗅いだりはしないが。
「汗も拭けよ! 見ろ、これ! 何回触っても、手がベタベタする!」
「そうなるのがわかってるのに、なんでわざわざ触ってくるのぉ?」
疲れているところ申し訳ないが、あちらの処理はアシハラに任せて、私はさらなる問題児である大賢者へと歩み寄った。
「どうしたんですか?」
「苦情ついでに、向こう一週間分の生産を手伝ってやったんだよ。そしたら先に、炉が限界を迎えたってだけの話だ」
「限界って……大丈夫なんですか、それ?」
「休ませれば、どうってことはねぇ。鍛冶仕事は片付いたから、火を消して、明日からは点検作業にしようっていう流れになったところだ」
力の大賢者に、技のアシハラ。火のサラマンダー君もいれば、水のピィちゃんまでいる。私に知識は全くないが、鍛冶に必要そうなメンツがこれだけ集まれば、そういう事態にもなるかと納得ができた。
いずれにせよ、大賢者がまた無茶苦茶なことをしてくれたに違いないわけだが、職人たちはそんな彼の指示に従い、一斉に横に並んで、静かにかまどを拝み始めていた。
見れば、かまどの奥底からは焼け焦げた鉄の残骸がパチパチと燃え続ける音が聞こえ、酸っぱい油の匂いを微かに漂わせていた。
「……綺麗ですね」
例えば、祭りのあと。楽しかった時間の余韻を残しつつ、心にぽっかりと穴が空いたような感覚。月並みかもしれないが、この場所に流れるのは、そんな優しさに満ちた孤独感だった。
「感傷的になっちゃったか?」
時も場所も関係なく、大賢者はいつもと同じ軽口をたたく。世界中探したって、こんな人もなかなかいない。よく見ると、西日で照らされた彼の頬は、少しだけ煤けていた。
「ええ。少しだけ」
日没に合わせるように、かまどの火がじっくりと消えていく。夜の帳が町を覆い尽くす直前、大賢者が満足げに鼻を鳴らすその時まで、誰もその場から動こうともしなかった。
「よし! 解散!」
大賢者の号令で皆が一斉に動き出す。火は完全に消えていた。だが、そこに立ち続けた男たちの汗と、かまどに残された熱気は、いつまでもいつまでも、私の鼻の奥と背中にこびりついて離れなかった。




