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大賢者の秘書官イシュタル ~何者でもない魔女の一生……になるはずだった~  作者: ふるみ あまた
5章 ゲームの章

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127 憑依の河原

 

 串に打たれたアユは、川の中を泳いでいるような美しい曲線を描いている。遠火でじっくりと焼かれた皮目はこんがりときつね色に染まり、ヒレや尾にちりばめられた塩はキラキラと輝いていた。破けた皮から滴り落ちた脂が、薪に落ちて弾ける。ジュウジュウ音を立てて上る香ばしい煙に誘われて、どこからともなく猫たちが集まってきた。


「ほい、お待ちどう! これがエハド名物……なんだっけ?」


 自分で付けた大層な名前をもう忘れたのか、両手に串を持った魚屋の大将は弟へと視線を向けた。


「アユの塩焼き」

「そう、それ! 頭も食えるなんて能書き垂れる奴もいるが、そんなのは気にせず、自分が美味いと思うところだけをかじってくれて結構! 残せば猫ちゃんたちが食べるから、問題なし! ほい、どうぞ!」


 強制されることなく、純粋に食事を楽しめるのは、私にとってはありがたいことだ。すべてが豪快で適当な大将から、焼き立てのアユを最初に受け取ったのは、もちろんキラだった。


「これが……アユか」


 串を手にした彼女は、それを天に向かってかざし、その美しさに感嘆の吐息を漏らす。まるで聖なる剣を手にした英雄のように、様々な角度からそれを眺めると、彼女はようやく自らの口元へアユを運んでいった。


「匂いは、いい」


 まだ食べない。


「がっはっは!」


 大将の朗らかな笑い声が、薪の爆ぜる音と交差した。アユの匂いだけを堪能した彼女は、ふいと私の方を向いてきた。その表情は明るく、手に持った串をこちらへと差し出していた。嗅げ、ということらしい。


 あまりにも無邪気なしぐさに、にんまりとしたくなる。堪えながら、私は鼻先を近づけた。


「……本当だ。いい香り」


 スイカのような瑞々しい香りがした。私が頷くと、彼女は満足そうに目を細め、アユへと白い歯を立てた。皮が弾ける、パリッという微かな音が川風の中に響く。


「うまい!」

「がっはっは! そうだろう、そうだろう! さあさ、お嬢さんたちもどうぞ! 遠慮なくやっちゃって!」

「いただきます」


 渡されたアユに、早速かぶりつく。小気味よい食感が、口の中で弾ける。香ばしい薄皮の風味が鼻を抜け、ふっくらとしたジューシーな身がホロホロとほぐれていく。


「……おいしい」


 ソフィーさんの言う通りだった。それ以上の感想がない私は、黙って目を閉じ、ほんのりとした苦みのある腹の部分を味わった。


「おっ? お嬢さんは、はらわたがいけるクチかい? さては、酒飲みだね?」


 図星を突かれて慌てて目を見開くと、大将が黄色い歯を零しながら、サビ猫に素焼きを与えているところだった。照れ隠しではないが、私は話を逸らそうと、ほかの話題を口にした。


「技、ですね。自分で焼いても、こうはできません。本当に美味しいです。旨味が濃縮されているというか」

「お? おぉ、おお!? アンタ、さては、相当美味いもん食ってるね!? それがわかるのは、大したもんだよ!」


 自分が認められたような気がして、不覚にも心が弾んでしまう。大将は豪快に笑いながら、今度はひときわ大きなアユを手に取り、網の中心へと移した。


「もう今日はサービスしちゃおう! 全部タダでいい! 腹いっぱい食べてってくれ!」

「えぇ!?」


 そうなると、また話は違ってくる。これだけ至れり尽くせりをしてもらって、そこまでしてもらうのは気が引ける。


「いいのか、オッサン? タダっていうのは、よくないって聞いたぞ?」


 さすがのキラも、大賢者からの教えをそのまま口する。


「いいのいいの! お嬢さんがた、美人だし! なぁ、弟ォ!?」

「……そういうこと」


 存在感の薄い弟らしい、控えめな同意だった。


 困った私はソフィーさんの顔を仰いだが、彼女はいつも通り飄々とした表情を返すだけだった。こんな時、大賢者だったらどうするか。そのことだけを考えて、行動に移すしかなかった。


 適当には適当を返すしかない。ドクドクと不快に脈打つ鼓動を押さえつけ、私は一歩踏み出した。


「あの、実は私たち……わざと美人なんです」


 私が生み出してしまったのは、薪が爆ぜる音さえ止まったかのような静寂だった。大将たちやキラだけでなく、皿を舐めていた猫たちさえ、こちらを向いて首を傾げている。


 やってしまったか。いや、これくらいの空気、あの男なら絶対に跳ね返す。私はあえて空気を読まず、次の言葉を紡いだ。


「それで……世界中を馬車で旅していて、こちらが総大将」


 さりげなく、ソフィーさんを巻き込む。適当に口を動かしたに過ぎないが、これで流れは決まった。


「こっちがその子供。私は、この親子から魔力を受け取っている怪物です。本来なら、こうやって町の男たちを誑かして、骨の髄まで搾り取っているんですが、あいにく明後日にはこの町を発たなくてはならなくて」


 弟がボソリと呟いた。


「……ははっ、おもしれ」


 不快だった心音が高揚へと変わっていく。なるほど、こういうことか。あとは大賢者になりきって、あの言い回しが模倣できれば完璧だ。


「馬車旅には、おがくずが必要なので、それも買いたいと思っています。一期一会の旅です。また会いたいと願っても、叶うかどうかわかりません。そこで、どうでしょう? 記念に大中小、三枚の硬貨を送ります。それを私たちに見立てて、額縁にでも入れて飾って、毎日だらしなく、ニヤニヤと眺めてもらえませんか?」


 大将はきょとんとさせていた顔をくしゃりと歪め、ふとももを叩き始めた。


「ガハハハハ!! こいつは一本取られた!! たまらねぇなぁ!! お前さん、粋だねぇ!? わかったよ、料金はありがたく受け取らせてもらう……ってことは、額縁を作らなきゃなぁ、弟ォ!?」


 弟は呆れたように肩をすくめながらも、遠慮がちに口角を上げていた。


「……あぁ。とびっきりのやつを、作らせてもらうさ」


 暖かく、包み込むような感触が肩に広がった。見上げると、いたずら半分と戒め半分が絡み合った、複雑な笑みを浮かべるソフィーさんがいた。


「ずいぶん高くついたわね? でも……引っ叩きたくなるくらい、似てた。特に最後なんか、酷かった」


 お墨付きがもらえたところで、今度はキラが抱きついてきた。


「よかったな、タル?」


 わかっていないくせに、背伸びをしてきた彼女の頭を撫でてやった。

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