126 グダグタグリルキッチン
対岸の葦がさらさらと揺れ、水面に細かなさざ波が広がる。澄んだ川の匂いと、ひんやりとした空気が風に運ばれてきた。
露店の裏手にあったのは七輪だった。地面が焦げないよう石の土台で囲われており、不安定なように見えて、これがどっしりと安定している。乗せられた網越しに中を覗くと、底には白く燃え尽きた灰の層が溜まっていた。
傍らには、年季の入った青銅製のポンプもある。可動部やレバーがしっとりと濡れて、黒い光沢を放っている。本体から突き出た蛇口の十字ハンドルは、緑青が剥げて地肌が鈍く輝いていた。その口から細く流れる透明な水が、下で待ち構えるバケツに溜まり、静かに溢れ続けている。
ノスタルジックな気分に浸れたのは、そこまでだった。
パシィン、と軽快な音が静かな川原に響く。何事かと思い目を向けると、魚屋のオジサンが打ち鳴らしたばかりの両手を構え、微笑みながら私たちを見ていた。
「ほい! それじゃあ、魚を焼いていこうか!」
「うぇーい!」
面白オジサン大好きなキラが、手に入れたばかりの杖を高く掲げて合いの手を入れる。それだけで、オジサンを調子づかせるに十分だった。
「ほいほいほい! お嬢ちゃん、魚は何が好きなんだい?」
「うーん……ラムか、豚かな」
わざとらしく膝から力を抜いて、大げさなリアクションをとるオジサン。これを見て、小刻みに肩を震わせたのはソフィーさんだった。彼女が笑う度に、場の雰囲気にふさわしくないフローラルな香りが私の鼻をくすぐった。
「そうかそうか! だが、構いやしねぇ! そんなお嬢ちゃんたちには、エハド名物『スイートキューカンバーフィッシュ』をお裾分けだ!」
オジサンから見れば、私もまだまだ若輩者か。さりげなくお嬢ちゃんに含められた私の胸中は複雑だったが、そんなことよりも言わずにはいられないことがある。
「手ぶらで来ていますけど、お魚や、さきほどの薪などは?」
ミニバナナの房で手を塞がれている私以外、全員がほとんど何も手にしていない状況。この状態でどのようにして、魚を焼くというのか。指摘せずにはいられなかった。
「いっけねぇ!」
オジサンはもう一度両手を叩き、店の方へと声をかけた。
「弟! 弟ォ!!」
「あいあい……」
三度現れたオジサンの弟は、店の脇から顔だけ出して応答して見せた。
「おがくずと薪を持ってきてくれ! それから魚!」
「魚ぁ? なんの魚だい?」
「アレだよ、お前! アユだよ!」
「あぁ……わかった」
思わぬ形で激しいネタバレを食らってしまった。仰々しい名前をした魚の正体はアユだった。
オジサンの弟は軽やかに移動すると、露店にかけられた薄い幕越しにゴソゴソと動き始めた。
「アユかぁ……楽しみだな!」
「そうだろう!? エハドのアユはいいぞぉ?」
なぜか波長の合うオジサンとキラ。
「あ、そうだ」
妖しい呟きを口にするソフィーさん。
「はぁ……」
私はと言えば、始まる前から両肩に疲れがのしかかっていた。
かさばるバナナはうち上がっていた流木の枝に吊るし、ようやく魚焼きに本腰が入ろうとしていた。ところが、一難去ってまた一難。七輪を前にした兄弟による、ちょっとした揉め事が起こってしまう。
「……あれ? オイルと火打ち石は、どうした?」
「それは、言われてない」
「言われてなくてもお前、それはお前、持って来いよお前! 気が効かねぇなお前! えぇ!? お前!!」
兄による怒りのお前連呼に、傍で見ていたキラもソフィーさんも笑っていた。締まりのない進行を望まない私だけは、咳払いをしてアピールした。全員の視線が集まった。
「……まぁその、すぐ持ってきますんで。少々お待ちを」
私の顔色を見て、表情を引き締め直したオジサンが足を踏み出そうとした、その時だった。
「ちょっといいかしら?」
ソフィーさんがその場の時間を完全に掌握した。前へと出た彼女の立ち姿は、他の何者の侵入も許さない凄みがあった。
衆目を集めたソフィーさんは流れるようにキラの背中へと腕を回すと、彼女をそっと前に歩かせた。
「火だったら、この子が使えるわ」
突然の指名に、キラはきょとんとした表情を浮かべた。
「この世界で魔法は使えないぞ?」
「使えるようにしたの。キラだけ、特別サービス」
唐突かつ強引なゲームマスターの告白。衝撃を受けた私はその場で固まるばかりだった。
「ホントか!?」
キラは口を大きく開き、目を爛々と輝かせながらソフィーさんを仰ぎ見た。そんな彼女を見て、ソフィーさんは優しく微笑んだ。
「ええ。ずっとしょげてて、かわいそうだったから」
「ありがとう! ソフィー!」
少々行き過ぎているかもしれない愛を一身に受けたキラは、ソフィーさんをギュっと抱きしめて感謝を伝えた。その身を離したあと、彼女は杖を持つ手をグルグルと回して七輪と向かい合った。
「よぉし……いくぞぉ?」
このままではマズい。
「ちょっと待って!」
緊急事態のスイッチを入れた私は、キラにストップをかけた。
「危ないので、離れてください」
「お? おぉ……」
呆然と見ていた兄弟を川べりへと誘導する。なにせ久しぶりの魔法だ。万が一のことがあっても、これならなんとかなるだろう。私はキラの方を見て、ハンドサインを送った。
彼女はにこりと笑った。その笑顔はいつもより、明らかに力が入っていた。すっと真顔に戻した彼女は、再び七輪と対峙した。
キラ・アルマ・アレキサンダー。
不意打ちであれば、大賢者やアシハラにも一発を入れられる、無限大の可能性を秘めた少女。今でこそ、大賢者とソフィーさんの養子として落ち着いている彼女だが、なんと言ってもエルフである。その内に隠された魔力量は、我々魔法族とは一線を画す。下手をすれば、マーケットはおろか、町全体が火の海に包まれても不思議ではない。
固唾を飲んで見守る。これ以上にピタリとあてはまる言葉はない。魚屋と木材屋。二つの露店を背景に、左右に展開されるキラと七輪という存在に視線を集中させる。
「はぁぁぁ!!」
杖の柄を七輪に向けながら、キラは唸り声を出した。周囲の魔力も吸い尽くすような、エルフの咆哮が響く。
「ああぁぁ!!」
彼女の杖の柄からボッと燃え出たのは、私の人差し指くらいのサイズをした火柱だった。
「ああぁぁ!?」
首を傾げながら、キラはそれでも唸り声を出し続ける。思ったより小さな炎が出てきて、どうしたものかと戸惑いながら、彼女はその場を右往左往する。
「あぁるぅ!?」
困り果てたキラは、ついに私へと顔を向けてきた。「どうしよう、タル?」彼女のそんな気持ちが痛いほど伝わってきた私は、両手を地面に下げるジェスチャーをとって「しゃがんで火を点けなさい」と指示を出した。
「ううぅぅ……」
お利口なことに、彼女は素直に従ってくれた。その場でしゃがみ込み、七輪の中のおがくずに着火できたのだろう。すぐに白く細い煙が立ち上った。
「……できたぞ?」
顔を上げて報告をしたキラの口元は、オジサンの手元で輝くアユのそれよりも深く、不満げに『へ』の字を描いていた。
「おお! 魔法の力は凄いな! さっと焼いてやるぞ、弟ォ!?」
「あいあい……」
すぐさま日常を取り戻した兄弟を尻目に、私は大きく息を吐き出した。
がっくりと肩を落とし込んだキラの姿を見て、いたたまれなくなった私は小さく両手を広げた。予想通り、彼女はすぐに私の胸へと飛び込んできた。
「どうだったかしら?」
熱い抱擁を続ける中、キラの頭にポンと手を置いたソフィーさんが尋ねた。顔を埋めながら、キラは答える。
「ありがとう……ソフィー」
しょぼい。
私の体をきつく抱きしめるキラの両腕は、密かにそう告げていた。




