124 不思議のマーケット
踏み固められた土の道の両端には鮮やかな緑が植えられている。それだけでなく、ピンクや黄色といった花たちが至る所で咲き誇っていた。
「ハチだ!」
「追いかけないの」
植え込みでは甘酸っぱい蜜の香りに誘われて、ハチや蝶が忙しなく羽を動かしている。それに負けじと活発に動くキラの腕を、条件反射で掴む。
彼女は私の手を振りほどくことなく、黙って受け入れた。握った腕からは、じっとしていられない力強いエネルギーが伝わってくる。
私の顔を見上げたキラは、得意げに言い放った。
「トッケン、だな?」
「特権?」
言葉をそっくりそのまま返した。彼女が大賢者から学んだ言葉を引き合いにしていることはわかったが、それが何を指しているのかまでは理解できなかった。
「ハチは飛ぶ。タルは私を止める。それがトッケンだ」
都合のいい解釈か、それこそが彼女の強みか。思いもよらない難解な理論に、言葉が返せなかった。
しかし彼女の言葉は不思議と心に響き、私の手の力を緩めさせた。
「ハチだ! 蝶だ! マーケットだ!」
キラは自由気ままに、近場の茂みへと駆け寄っていった。哲学的な気持ちになってそれを眺めていると、ふいに温かな感触が肩に触れた。振り向くと、ソフィーさんがこちらを見下ろしていた。
「今の、どういう意味?」
私は一呼吸入れてから答えた。
「……さぁ?」
反論する術を持ち合わせていない私の、事実上の敗北。
朝露に濡れる草木の匂いと、こんこんと湧く沢の音が、なんとも爽やかな風景だった。
「いてぇっ!?」
余韻はキラ自身の叫び声によって切り裂かれた。どうやらハチに刺されたらしい。
やはり私の行動は正しかった。次は騙されないぞと心に決め、ソフィーさんと共に彼女のもとへと急いだ。
マーケットに駆け込んだ私たちは、楽しむ余裕もなく薬屋で軟膏を手に入れた。勢いのままに、近場のベンチへと場所を移す。
「イテ、イテ、イテテ……」
「まったく、もう……」
天に与えられし造形を台無しにする、腫れぼったい瞼に優しく軟膏を塗ってやる。指先が患部に触れる度に、キラは可愛らしくピクピクと全身を動かした。
「なに笑ってんだぁ? 痛いんだぞ?」
口元がどうしても緩んでしまう。そんな私の表情を、彼女は見逃してくれなかった。
心と顔を引き締め直し、教育係として当然の言葉をかける。
「痛いのはしょうがないでしょ? こうなりたくなかったら、今度からハチは?」
「……追いかけない」
表情をシュンとさせたキラの瞼は、テカテカと光を放っていた。これには私だけでなく、ソフィーさんも吹き出した。
「なに笑ってんだぁ? 反省したんだぞ?」
「ごめんごめん」
「笑うなって! ソフィーも!」
怒れば怒るほど逆効果だった。その姿にたまらなくなってしまったのだろう。ソフィーさんはキラと目線を合わせると、力強く彼女を抱きしめた。
「イテテテテ……あんまり強いと、目がギュってするから、痛いって!」
珍しくハグを引き剥がしたかと思えば、キラは私に向かって両腕を広げてきた。
「タル、ちょっと、ギュってしてくれ」
「でも……いいの?」
「いいから!」
正直なところ、そうしたくてうずうずしていた私は、存分にその想いを彼女へと伝えた。
「イテテ!」
すぐさま彼女は私の腕を振り払った。意味が分からなかった。
「ふふふ。さあ、杖を買いに行きましょう」
ようやく状況も落ち着いて、いよいよ本命のマーケット巡りが始まる。ソフィーさんの誘いを尻目に、私は周囲へと視線を走らせた。
ぱっと目に入ったのは、木彫りの馬の顔がポールに突き刺さった置物などを並べている店。
その次の店には、くり抜かれたカボチャを前にして、大きなハンギングチェアに腰かける、退廃的な雰囲気を纏った女性の姿があった。
箱いっぱいの種芋が積まれているだけの店なんかもある。
民芸品だろうか。大皿を模した、やはり木彫りの何かを売っている店の立て看板には、はっきりと『がらくた』と書かれていた。
露店に並ぶのは、不思議な商品ばかり。もっと言ってしまえば、イルハレバナの市場とは違って、そもそも何に使うのか見当もつかない、役に立たなそうな品物を取り扱っている店が多い。
「それはいいんですけど……どのお店で、売っているんでしょう?」
イブを使ってもいいが、せっかくの休日だ。この町の雰囲気を肌で感じたい私は、あえてソフィーさんに尋ねた。すると彼女はにこやかに、とある店舗を指差した。その先にあったのは、くり抜かれたカボチャを置く謎の店だった。
「占いで、聞いてみる?」
「カボチャ占いか!」
なぜかキラが目を輝かせる。ハンギングチェアに座る女性の、浮世離れした妖艶な雰囲気に惹かれたようだ。誰も反対することはなく、私たちはその店へと足を伸ばした。
占い師は近くで見ると、意外なほどに若かった。チョーカにネイル、ルージュからアイシャドーまで、何もかもを黒く塗った女性は、こちらに気がつくと、座ったまま愛想なく声をかけてきた。
「占いは一回、十リーブだよ。何を占う?」
「おっぱいを……」
言うと思った。肘を使って問題児を脇へと追いやりながら、代わって私が本題を切り出す。
「この子の杖を探しているんですけど、どこにあるか、占ってもらえませんか?」
「あれ? アンタ……ドッジボールの」
目を見開いた占い師は、ハンギングチェアをキシリと揺らしながら身を乗り出してきた。昨日の喧騒の中には、どうやら彼女の姿もあったらしい。また新しいサブイベントが始まるのかと思った私は、ソフィーさんの顔を仰いだ。
ゆっくりと首を横に振った彼女を見て、胸をなでおろす。揺れ動く心理をよそに、自分のペースを貫く占い師は言葉を続けた。
「おかげでカボチャも手に入って、占いは再開できたけど……相手が英雄様様でも、まけらんないよ? それでもいい?」
何事も起きないのであれば、それでいい。私は大きく頷いた。
「十リーブ」
こちらに向けられた手のひらの上に、ソフィーさんが硬貨を乗せてやる。占い師はしっとりとした笑顔を見せると、腰のあたりで両手をゴソゴソと動かし始めた。
「ワクワクするなぁ」
キラは両方の拳を顔の前で握りしめ、占い師の胸元を凝視していた。その情けなさは、あまりにも大賢者にそっくりだった。
「まずはこれを持ってくれる?」
「うわっ!? なんだ、これ!? 赤ちゃんの頭か!?」
占い師が取り出したのは、当然赤ちゃんの頭ではなく、明るい橙色に染められた大サイズのカボチャだった。キラは手渡されたカボチャを、なぜか大切そうに私へと差し出してきた。
「……あ」
受け取ってから、なるほど、と思った。これは確かに赤ちゃんの頭だ。ずっしりとした重み、ふくよかな丸みと感触。どこを取っても、そう説明するのがピッタリとしか言えなかった。
「次はこれ」
チン、という微かな金属音が響いた。マーケットの雰囲気に似つかわしくない、硬質なその音の出所に、私の視線はつられる。
「おー、わお! 剣か!」
剣と言うよりはマチェットに近い形状。その薄着のどこにそんな物騒なものを隠していたのか。ギラリと光る切っ先を下に向け、占い師はキラへと刀身の長い刃物を手渡した。
「十回切って?」
「どういう風に?」
「好きなように」
二人がごく短いレクチャーを済ませている間、私は巻き添えを食うまいと、手にしていたカボチャを地面に置いた。そのままソフィーさんを連れて、カボチャから大きく距離を取った。これで準備は整った。
「よし……やるぞ!」
大股を開き、両手で鉈を握りしめる姿が、なんとも様にならない。怪我だけはしないよう、私はキラに声をかけた。
「気をつけてね?」
「わかった!」
ごくりと生唾を飲み込む。マーケットには、一陣の風が吹き抜けた。
「うおりゃあぁ!!」
咆哮をあげながらカボチャを斬りつけるキラ。
一回、二回、三回。
慣れない形状の刃物は、取り扱いが難しかったのか、その切っ先はカボチャではなく、すべてが地面に当たった。
「負けるかぁぁ!!」
四回、五回。
それならばと、今度は横振りを見せる。一発は大きく空を切り、次の一撃でようやくカボチャの頭上をかすめる。
「はぁ……はぁ……」
アシハラのような華麗な太刀さばきを思い描いていたのだろう。しかし上手くいかない彼女は、そこからはもう完全に足を止め、しゃがみ込んで斬撃を繰り返した。
「えいえいえいえい」
斬りつけられたカボチャがサクサクと変形していく。時折『カツッ』という外した音も、もちろん聞こえた。
全十回。少々不格好だったが、それでも彼女は一生懸命やりきった。ソフィーさんの表情を確認すると、彼女も心を打たれたようで、瞳を潤ませていた。
「オーケー。占います」
占い師だけがビジネスライクに事を進める。椅子から立ち上がった彼女は、粗く刻まれたカボチャに近づくと、様々な角度からそれを眺め始めた。
「ふむふむ。これは……なるほど」
占っている間、私とソフィーさんは二人がかりで息を弾ませるキラを囲み、彼女を大切にあやした。占い師はおもむろに顔を上げると、私たちの方へ向き直り、結果を告げてきた。
「……目を、ケガしてますね」
くそポンコツ占い師が。
彼女の飄々とした態度は、私の見ていた美しい世界を一瞬にして別のものに塗り替えた。




