121 毬栗ドッジボールバトル
四方を海に囲まれたリシオン大陸。その面積は広大であり、北大陸だけでも東西に約四千、南北には約三千キロメートルにわたって広がっている。
大陸最北端に位置する港町イルハレバナ。そこから『ニューロード』と呼ばれる一本の街道が伸びている。いきなりの勾配、それを一気に登りきると、陽光を拒む冷たい森林地帯が街道を呑み込むように生い茂っていた。
そこから馬車で丸三日。逃げ場のない、陰鬱とした旅路を越えた先に待っていたのは翠嵐の大草原だった。
街道を逸れ、畦道をひた走れば、豊穣なる実りをもたらす集落『エハド』にたどり着く。正面の大きなゲートをくぐり、すぐ目の前にある宿屋『オーフ』が、私たちの現在の滞在拠点だ。
宿の前を通る道を西へと抜ければ、噴水付きの広場に出る。木漏れ日の下で、どこか哀愁のあるアコースティックな響きを奏でる旅芸人たちを尻目に、そのまま小川沿いの道をさらに奥へと突き進む。
のんびりと点在する人家、そしてかぼちゃ畑を越えると、色めき立つ人だかりが目に入った。群衆をかき分け、足を踏み入れた先がいよいよ件の栗畑だ。
いざ会場の真っただ中に躍り出ても、現実感がなかった。あったのは、蒼穹に浮かぶ綿雲だけだった。
今から私は、ここで猿とドッジボールをする。
反芻してみても、実感が湧かない。見れば、開かれた森を背景に、ぽつりぽつりと間隔を空けて栗の木が植えられていた。足元に散らばる、青々とした無数の毬栗たちを見て、昨夜のバーディちゃんの軽口が頭をよぎる。
『当たれば脱落、キャッチはオッケー、刺さった場合は戦意が喪失したらアウト、チームを全滅させた方が勝ち、それだけっス』
戦意がどうこう以前に、こんなにも凶悪なフォルムをした毬栗が皮膚に刺されば、ひとたまりもないだろう。
「コキャキャキャキャ」
一年間、芋栗カボチャを独占してきたせいか、集まったヒヒたちは丸々と肥えていた。三頭ともに不潔な体毛に覆われ、長い指と眼球が大きく飛び出しているのが特徴的だ。昼間であってもその眼光は鋭く、蔑むような声を上げながら私たちを見ていた。
「思ってたお猿と違う……」
身の危険を感じたのだろう、猿の姿を目にしたキラは文字通り、一歩引いた。
「瞬殺だな」
今にも猿たちと取っ組み合いの喧嘩ができる距離にまで詰めているのは、チームリーダーの大賢者だ。いかに脂肪だらけとはいえ、目の前に立つのは類人猿。筋肉の厚みがまるで違う生物相手に、よくもそんなことができるな、と心強くも思い、感心もさせられた。
「イシュタル殿、イブの直接参加はダメだそうです」
新たな大会規定を私に知らせてきたのはアシハラだった。体格と人格なら、眼前の類人猿や大賢者よりも優れたものを持つこの大男は、チームのナンバーツーとして、今日も活躍してくれることだろう。
「キラ、お願い」
「わかった」
それまで私の肩に乗っていた使い魔は、彼女の腕の中へとその居場所を移した。
「危ないから、皆も下がってて?」
仲間たちへと声をかけると、彼らは力強く頷いた。キラにピィちゃん、そしてソフィーさんとサラマンダー君が群衆に紛れていった。三対三のフィールドが、少しずつ出来上がっていく。
「いいのか?」
空いた肩に大賢者の手が乗った。魔法が使えなくとも、彼の力は衰えるどころか、ますますその勢いを増しているように感じた。
「頼りにしてますよ? アシハラさんも」
私の回答に大賢者は笑みを浮かべ、アシハラは照れたように頷くだけだった。
昨晩、ベッドの中であれこれと対策を考えた。イブを使えば、何かしらのデータを得て、猿の弱点を分析できるかもしれない。しかし私の導き出した答えは、たった一つだけ。『わかったところで、それが何になる?』だった。
今、毬栗を見て、ますます自分の考えが正しいことを確信した。
こんなもの、手に取ったところで、痛くて投げられるわけがない。
大賢者やアシハラであれば、痛くたって投げられる。この違いは何かといえば、性別が違う、などという甘っちょろい理由ではなく、それなりのわけがある。
「俺、右」
「では、私は左を」
それぞれ獲物を定めて、私の両側に立つ二人。この二人は近接戦闘の極致に到達した者たちだ。触れれば生存、触れられれば死。そういった戦闘を涼しい顔で行う者たちには、ある種の覚悟が決まっている。経験だけはしてきたが、未だに生が諦めきれない私とは大きく違う。
では、この『毬栗ドッジボールバトル』において、私がすべきことは何か。
「私は逃げます。機会があれば、カンニングでもしましょうか?」
キラの腕の中からでも、イブの視界はリンクできる。猿たちがどこかに隠れたり、弱点箇所に異常な発光があったりすれば、それを彼らに教える。一般的に考えれば、それが私の役目になるのだろう。
「相手はサルっころだぞ? いらねぇよ」
予想通り、大賢者は鼻で笑うだけだった。彼はそのまま足元の物色をし、形の良い毬栗を拾うと、それをアシハラに向かって放り投げた。
「あぁ……なるほどねぇ……」
手首を柔らかく動かして、うまく衝撃を逃がしながら毬栗を受け取ったアシハラは、早くも何かコツを掴んだようだった。
「コキャキャキャキャ」
正面に視線を向けると、猿たちも武器の物色を始めていた。
「そういえば、タル。お前にはまだ言ってなかったことがあったなぁ。 いいか、肝に銘じておけ?」
イガイガした針山を手の中で弄びながら、大賢者が口を動かす。
「魔法っていうのはな、極めれば極めるほど、結局はフィジカルになってくる」
「……知ってますよ、そんなこと」
大賢者はにこやかな表情を向けてくると、それをどうしろと言うのか、毬栗を手渡してきた。まだ熟していない、水分をたっぷりと含んだ種子は、私の両手にずっしりとした重みを伝えてきた。
「これ、食えねぇんだもんな。まだ」
「それじゃあ、準備はいいっスか!?」
大会の主催も務めているバーディちゃんの声が割って入る。私は身を隠すのに適した木陰に目星をつけ、開幕に備えた。
「位置について……よーい、スタートっス!!」
男たちが動いた瞬間、凄まじい風圧が私の髪を左右から巻き上げた。合図と同時に放たれた二つの毬栗は、私の視界が捉えるより早く、猿たちの肩、そして太ももの肉に突き刺さっていた。
「アウト!! アウト!! ヒヒチーム、残り一頭っス!! すごいっス!!」
痛みでのたうち回るかと思いきや、その衝撃は想像以上だったようで、二頭の猿は泡を吹いて倒れ込んだ。残された一頭が、素早く栗の木へと登っていく。
一歩踏み出す時間さえ与えられなかった私を置き去りに、二人は猛烈な速さでその木に詰め寄っていった。
――ドカン!!
木を蹴る大賢者。メリメリと音を立てて横倒しになる木。たまらず枝葉から飛び出してきた猿。
「キャキャキャ!?」
猿の首根っこを掴んだのは、倒れた木の幹よりも太い腕をしたアシハラだった。そのまま彼はぐっと自分の顔の前にまで、猿の顔を近づけさせた。
「……弱い者いじめは好きじゃねぇ。ここらへんで、手打ちにしようや?」
「キャキャ、ギャー!!」
悲鳴を上げた猿はポンと放り投げられると、こちらに振り向きもせず、森の中へと消えていった。
「アウトアウト、アウトっス!! ヒヒチーム、失格っス!! 今年の『毬栗ドッジボールバトル』は、エハドの勝利っス!!」
矮小な解放感など、どうでもいい。そう言わんばかりに、二人の男たちはタバコに火を点ける。
思い悩んだ時間を返してほしくなった私は、大賢者に渡された毬栗を誰もいない安全な場所に投げ飛ばしてみた。手のひらに電流が走った。指先や、親指の付け根にまで赤い斑点が浮かび上がっていた。




