120 突然のサブクエスト
ウマが嘶く厩舎を通り抜けると、夜の風が頬を撫でた。土の道にでき上がったばかりの足跡が、すぐ隣の建物にまで続いている。辿った先にあるのが、目的の酒場だ。
移動こそ少々面倒だったものの、店内の雰囲気はとても素晴らしいものだった。
高い天井まで伸びる石造りの暖炉と二階席へと続く木製の大階段は、温かみがあるのに荘厳な印象を与えてくる。曲線のデザインが可愛らしい窓には夜の風に揺れ動く草原が映り込み、様々な色合いをしたリキュールボトルが鮮やかにカウンターを彩っていた。
乾燥した薪が爆ぜる香ばしい薫りと、並べられた酒瓶から漂うほのかな芳香が心を落ち着かせる。
宿は私たちだけで満室である。当然ながら、他の宿泊客の姿はない。それとは別に、地元客の気配さえないのが不思議だった。完全な貸し切り状態にある空間の中で、酒場の主人も兼任するバーディちゃんの声が高らかに響いた。
「ホントは芋栗カボチャが名物なんスけど、前の年にヒヒたちにやられちゃいまして。これっぽちしか用意できなかったっス。スイマセン」
卓上にはスープにパン、肉の燻製もあれば、野菜や豆類だって用意されている。これだけの量を並べきったにもかかわらず、彼女は空いたトレイを胸に当てて頭を下げてきた。
「ヒヒ、ってなんだ?」
私と同じ疑問を持ったキラが、無邪気にアシハラへと尋ねた。
「お猿さんのことだね」
「お猿かぁ!」
日本で見た、愛らしい姿のユキザルを想像したのだろう。彼女は小さな目をパッチリと開いて、表情を明るくさせた。
「サブクエストってやつだな。ここはひとつ、このデミナス・ケブラ様が助けてやることにしよう。バーディちゃん、畑を荒らしてるのはどんな猿なんだ?」
鍛え上げた筋肉を見せびらかすように鎮座していた男が口を開いた。大賢者である。彼の装いについて、私はもはや諦めの領域に達していた。
「いや、畑は荒らされてねぇっス。年に一回ある『毬栗ドッジボールバトル』で、町の代表チームが負けただけっス。勝てば一年間、芋栗カボチャが採り放題になるっス」
猿と何をやっているというのか。
平和なのか、痛々しいのか、その点でもわけがわからない。
それでこの町が野生動物との共存を図れていると言うのなら、口出しすることではないのだが、私は思わず制作者であるソフィーさんの顔色を窺ってしまった。
彼女は優雅にインゲン豆のポタージュを楽しんでいるだけだった。
「楽しそうだな。戦いのルールを教えてくれ」
デミナス・ケブラを気取る大賢者が、腕を組みながら背もたれに寄り掛かった。バーディちゃんはサバサバとした口調で答えた。
「簡単っス。三人でチームを組んだ、人とヒヒが戦うだけっス。西のはずれにある栗畑で、そこに落ちている毬栗をぶつけ合って勝負するっス。当たれば脱落、キャッチはオッケー、刺さった場合は戦意が喪失したらアウト、チームを全滅させた方が勝ち、それだけっス」
「目標は一人一殺か。楽勝だな。出るぞ、タル」
「私ですかぁ?」
回ってくることのないはずのお鉢が目の前に置かれた。どう考えたって私の名前は最初に出ないはずだ。こういうときは、まず大賢者、その次にアシハラ。うちの場合はそういう風に相場が決まっているのだから。
「ふふっ」
私の情けない声が効いたのか、隣にいたソフィーさんが肩を揺らして笑った。
ガツンと硬いものが当たる音が正面で響く。大賢者がテーブルの上に両腕を乗せた音だった。私と目を合わせた彼は、脅すようにこちら側へと身を乗り出してきた。
「当たり前だろ? あと一人、ゼノに出てもらいたいのか?」
アシハラはすでに織り込み済みだったらしい。最後のメンバーとして、彼は私を指名してきた。そうなってくると、話は変わってくる。
「ドッジボール、ってなんだ?」
魔法が使えない今のキラはただの女の子であり、よしんば魔法が使えたとしても、知能がよろしくない。よって、危険性が高いこのイベントには参加させられない。
「疑似戦争のことよ」
「戦争か……それはよくないな」
「そうね」
ソフィーさんは論外。
「ピ?」
「キューン」
冷徹に考えれば、ピィちゃんかサラマンダー君が適任なのだろうが、私だって人間だ。こんなに可愛らしい二人を危険な目には合わせたくない。
「な? お前が出るしかないだろう?」
「くっ……」
そんな私の甘さなど、大賢者にはお見通しだったのだ。
「わかりました。けど、勝ってくださいよ?」
渋々、受け入れるしかなかった。
「当たり前だ。俺が野生生物に負けたことなんて、ないだろう?」
不敵に笑う大賢者だったが、私は彼の秘書官だ。彼の過去に関する知識なら、右に出る者はいない。私は彼の目によく見えるよう手を突き出し、指を折って数えてやった。
「ユニコーン、ワイバーン、それからピィちゃん」
「ガキの頃の話を持ち出すなぁ!! それらがあっての今の俺だ!!」
せめてものお返しにと、私は鼻で笑ってから、自分の中で最も嫌味な表情を作って彼に見せつけた。すると彼は乱暴に千切ったパンにたっぷりのバターと燻製肉を詰め込んで、それを私の顔に押し付けてきた。大賢者特製のサンドイッチにガブリと噛みついた私の気分は「もうどうにでもなれ」だった。
「決まりみたいっスね? 大会は明日の昼っス。ここのお代はサービスするんで、頑張ってくださいっス!!」
すべてがスピーディに進んでいく。今さらながらに、私はゲームの世界の恐ろしさを知った。
「明日か。頑張れよぉ、ムガ?」
「あいよぉ」
キラとアシハラの力の抜けたやり取りを見て、はたと我に返る。やはり主要都市への短縮機能は必要かもしれなかった、と。




