111 馬車の購入
宿から東に大きく離れた、門の外側に厩舎はあった。海を臨む広大な敷地の中には普通の馬もいれば、独自の品種なのか、少し変わった外見をした馬まで一緒くたにされている。道を挟んだ向かい側には、馬車商が営む店がある。表には様々な形状をした車体がひしめき合っていた。
焼いた粘土の敷かれた道は緩やかな上り坂を描き、その両端には旅人や商人で賑わう安宿がずらりと並んでいる。北大陸を結ぶ『ニューロード』の旅はここから始まるのかと、私は描かれていない道の先を見つめた。
「キューン」
町の外に出て開放的な気分になったのか、サラマンダー君が大きく尻尾を振りながら甘えてくる。そんな彼の頭を、私は強く撫でて落ち着かせてやった。
「臭いの再現が甘いな。お前、厩舎行ったことねぇだろ?」
「……うるさい」
眉目秀麗だが口の悪い夫と美人妻。
「くそっ。『タマ図鑑』に載せたいのに、カメラがないじゃないか……」
下らないことで悔しがるエルフ娘。
「馬かぁ」
「ピィ?」
たった一言で、勝手に哀愁が出る子連れ侍。
こちらはこちらで実に多種多様。自然と周りの視線も集まるというものだ。その視線の中には、柵の向こう側にいる男のものも混じっていた。その男は吸い寄せられるように、こちらへと近づいてきた。
「馬が欲しいのかい?」
男が話しかけたのは、美男美女の夫婦。どちらかと言えば、大賢者の方へと顔を向けていた。
「馬車を買いに来た。中に入れてくれるか?」
「ああ、もちろん。手前の小屋にいるのは、うちの馬たちじゃなくて、預かっている子たちだから、奥に案内するよ」
男はグルグルと手元を回して柵の入り口を開けると、私たちを中へと誘った。
小さな厩舎の脇を通り抜け、私たちは敷地内の一番奥に位置する、特別大きな建物へと案内された。
「気に入った馬がいたら、声をかけてくれ」
両開きの扉が開かれると、そこには数え切れないほどの馬たちが待ち構えていた。背の高い天井に、歩けばブーツ越しでも分かる、ゴムのような弾力の床。舎内もまた、先ほどの大賢者の指摘通り、無臭に近かった。
「ちょっと天井が高すぎるぞ? これじゃあメンテナンスが」
「うるさい」
男と並んで先頭を歩いていた大賢者が、振り返りざまにソフィーさんへと文句を言い始めた。彼がすべてを言い終える前に、ぴしゃりと跳ね返した彼女は「いいから黙って歩け」と言わんばかりに、立てた人差し指を下から上へと素早く動かした。すると大賢者は、なぜか嬉しそうに笑ってから、前へと向き直した。
「あら? あらららら?」
「ピッ!?」
大賢者たちに続いていたアシハラは馬に好かれる体質なのか、左右から熱烈な歓迎を受けていた。少し歩くだけで、一頭一頭に袴の肩口を甘噛みされ、その度に立ち止まる。ピィちゃんが裾を引っ張って、なんとか彼の巨体を元の位置に戻そうと奮闘する姿もまた愛らしかった。
「心配しなくても大丈夫だよ。それより、あんまり大きい声は出さない方がいいかもね?」
「ピ」
彼らは今日も、童話の世界のようなやり取りをして、私を楽しませてくれた。
立ち止まったついでに、私は近くにいた馬の前髪をかき分けて、顔を覗いてみた。黒褐色が艶やかな、つぶらで可愛らしいその瞳は、見ているだけで癒されるものだった。
「タルは馬が好きなのか?」
ふいにキラが尋ねてくる。私は少し考え、彼女が良い方向に傾いてくれればと願って言葉を返した。
「大人しい子なら、ね?」
「ふーん……」
当てつけと受け取られたか。彼女は少し拗ねたような態度で、サラマンダー君に頬ずりをした。
「何やってんだぁ? ウダウダしてると、コイツにしちまうぞぉ?」
離れた場所から、大賢者の声が飛んでくる。近くにいる馬たちを驚かせないよう、私たちは早足でそこまで詰め寄った。
「おお! キレイなウマだなぁ……」
キラも息を呑むほど、その芦色の毛並みは美しかった。長毛種なのか、目は隠れていて、馬というよりは牛の骨格に近い、しっかりとした体つき。両方のこめかみから突き出す、ごく短い角も頼もしい。なによりも――。
「あらららら?」
「ピィ!?」
非常に良くアシハラに懐いている。
「決まり、だな?」
大賢者が笑みを浮かべながら、こちらを見下ろしてきた。馬の前髪をめくり上げ、青みがかった聡明な白眼を見て確信する。これ以上の子はいない。
振り返ると、そこには神秘的な色を宿した大賢者の瞳が私を映していた。見えない旅路を見えたような気にさせられた私は、目から口元までを大きく緩ませながら頷いた。
馬の購入を終えた私たちが次に行うべきは、向かいの店での車体の購入。だったのだが、その直前にひと悶着が起こった。
「ウマぁ!! お前、メスじゃねぇか!! そんなんじゃ、私のタマ図鑑は埋められないぞ!?」
一時的に預けている新しい旅の仲間に向かって、キラが柵越しに理不尽な憤りを口にしている。彼女の背後では、ピィちゃんとサラマンダー君が顔を見合わせて、どう声をかけたらいいものかと悩ましげな表情を浮かべていた。
「よく見たら、車輪からサスペンションから、設計が滅茶苦茶じゃねぇか!! どうやって曲がるんだよ、こんな馬車で!!」
「いいのよ! 私の力で、ちゃんと動くんだから!」
一方で、その反対側に位置する店の前。そこでは、大賢者の粘着質な追及によって、あのソフィーさんが声を荒げるまでに追い込まれていた。
街道を隔て、左右で展開される地獄。道の真ん中で取り残されていた私とアシハラは、いつものようにそれぞれが別方向へと歩き出した。
「コラコラ、イジメないの。仲良くしなさい」
厩舎側へと出戻ったアシハラはキラを諭しに。
「細かいことはいいじゃないですか。せっかくのゲームですし、非日常を楽しみましょうよ」
店の前へと進んだ私は、まずは大賢者の常套句を用いて夫婦喧嘩を諫めた。
大賢者は悪戯っぽく笑うと、ポケットからくしゃくしゃになったタバコの箱を取り出した。手慣れた様子で箱を揺すった彼は、そこから突き出した一本をソフィーさんへと向けた。黙ってそれを受け取った彼女は、火の点いていないタバコを口元へと運ぶ。
休戦成立。私は店の前で焚かれていたかがり火台を、二人に向けて傾けてやった。ソフィーさんのタバコに火が移ったのを確認すると、大賢者が自分でくわえたものにも火を点ける。
あれほどまでに乱れていたリズムは不思議と重なり、二人は同時に紫煙を吐き出す。目で見ることのできない、複雑な成分を含んだ香りが双方向から飛んできた。
「ムガ、お前のキンタマをこのウマに見せてやれ!」
「見せてどうなるの? そんなことしても、生えてこないよ?」
ファミリーにとっては至極日常的な会話を背に、私たち三人は店の扉をくぐった。
「一番でかいのをくれ」
店主が話しかけてくる前に、大賢者は注文を済ませた。
「かしこまりました。千五百リーブになります」
慌てる様子もなく、店主は値段を告げるのみだった。
「いいんですか? 車輪とか、サスペンション? みたいなのを見なくても」
細かいこだわりを見せていた大賢者の変わりように、私は面食らいながらも疑問を口にする。すると彼は鼻で笑いながら、壁の方を顎でしゃくった。そこには白樺の木で組まれた絢爛な車輪が飾られていた。
「見ればわかるだろう? 俺の求めているものは、ここにはない。ソフィーのお姫様趣味が全開になってる」
やってしまった。せっかく丸くなっていた雰囲気が、再び歪になっていく。私は目線だけを動かし、ソフィーさんの顔をそっと覗き込んだ。ムッとさせたその表情は、少し膨らんだ鼻の穴までもが美しかった。
「だからこの店で一番いいものを買って、その見た目を楽しむ。それ以外にあるか?」
意外な言葉が続いた。反射的に顔を動かしてソフィーさんの表情を仰ぐと、彼女の鼻の穴はみるみるしぼんでいき、吊り上げていた表情も穏やかになっていった。ほどなくして彼女は、大賢者の横へと歩みを進めていった。
「……いい考えですね」
まったく心臓に悪い。最速で買い物を済ませた大賢者と、その隣で支払いをするソフィーさん。二人の背中に向かって、私は小さく呟いた。




