109 窓辺の物真似ショー
肉に魚、そして朝露が瑞々しい野菜と果物。名物の『ブルーチーズカスタード』もあれば、パンやラスク、さらにはサラマンダー君のための薪まで買い込んだ。ついでに購入した木製のカトラリーは、きっとこれからの長旅でお世話になることだろう。
市場での買い出しを終えた私たちは、部屋は最高・料理は最低の宿『ティパ・ハフクラ』へと戻った。
「遅ぉい!! ズルいぞ、三人だけ何回も!! 私たちだけ、まだ町を見ていないじゃないか!! なぁ、サラマンダー君!?」
「キューン……」
扉を開けるなり、元気な少女の声が響く。随分とお冠なキラが、サラマンダー君を傍らに仁王立ちしていた。
「そう怒るな、キラ。美味いもん、買ってきたぞ?」
「本当か!?」
彼女の見せていた怒りはすぐに収まった。実際のところ、購入してきた食料は『美味いもん』なのかどうかは、食べてみるまでわからないものが多い。だが、大賢者がダイニングテーブルの上に大荷物を置くと、そこに駆け寄ったキラは嬉々として袋の中を漁り始めた。
「何だよぉ……納豆ご飯、ないのかよぉ」
ウキウキとした表情で手を動かしていた彼女だったが、戦果の確認を終えると、再び目を吊り上げて不満を口にした。
「多分この世界に白メシはねぇぞ?」
「うそぉ!?」
大賢者の放ったひと言でショックを受けたキラは、口を開けたまま固まってしまった。
「まぁまぁまぁ。帰ったら、オジサンがうんと作ってあげるから」
そんな彼女の呪いを解くのは、いつもアシハラだ。彼はキラがテーブルの上に散らかした食料品や食器類を綺麗に並べ直しながら、優しく言葉をかけた。
「今すぐ炊いてくれ!」
「帰ったらって言ったでしょ? 今は無理よ。米も、鍋すらないんだから」
「ソフィー!!」
活発さ著しく、次にキラが駆け寄ったのは、私の隣に立つソフィーさんだった。
「何か考えておくわ」
彼女はあやすようにキラの両頬を撫でるだけだった。
「タルぅ?」
とうとう標的がこちらに向けられた。即時解決を望むキラの瞳は、私の悪知恵を期待していた。
世の中にはどうにもならないことがある。彼女にとっては重すぎる真実を告げようと、口を開きかけた、その時――。
「ピ?」
てちてちと、こちらに近づいてきたのはピィちゃんだった。彼は私が抱えている荷物を運ぼうと、その小さな両手を広げてきた。
「ありがとう。私のベッドに置いてくれる?」
渡したのは重要アイテムである『魔法の地図』と羽ペン。ピィちゃんは短く承諾すると、それらを胸に抱えながら、誠実に仕事をこなしてくれた。
「タ~ルぅ?」
視線を戻すと、私のローブを掴んだキラがこちらを見上げていた。
私は黙って彼女の後頭部に手を回した。複雑な感情で暴走しかけた熱が、サラサラとした金髪越しに伝わってくる。いつもは曇りのない瑠璃色の瞳が、微かな不安に震えている。
華奢な体を抱き寄せ、背中をポンと叩いてやる。そして体を離してから、もう一度、彼女の瞳を見る。
厳しい現実を突きつけるのも、間違いではない。しかし、ここはゲームの世界だ。どうせなら、彼女らしく楽しんで、強く生きてもらいたい。
「ご飯にしよう。今日は、自分で作るサンドイッチだよ?」
ピィちゃんのおかげで、一拍の猶予を与えられた私は、それだけ言って朝食の準備に取り掛かった。少し遅れたが、やがてキラも手伝ってくれるようになった。
パンの種類は食べ応えのあるリーン系。小麦の風味と香ばしい皮の食感が味わえる由緒正しいものだったが、硬すぎるとのことで、キラとピィちゃんには不評だった。その代わり、二人は軽い食感のラスクを気に入っていた。
キラは「臭い!」と騒ぎながらも『ブルーチーズカスタード』を一人で半分以上平らげてしまった。私も口にしてみたが、その上質な味わいには驚かされた。確かに臭いは強烈だが、いざ口に入れてみると、不思議と臭気は消え去り、チーズの塩味とコクがカスタードの濃厚な旨味を引き立てる、まさに名物と呼ぶにふさわしい逸品だった。
「美味しい……これ、何の魚だろう? カジキかなぁ?」
「ピ?」
アシハラとピィちゃんはオイル漬けにされた魚の研究に熱心だった。例えるならツナのような味わいの、やはり瓶詰めにされたその料理は、ニンニクとハーブの香りがしっかりと効いた濃厚なものだった。
「はぁ。食った食った……」
誰よりもたくさん食べる大賢者の皿には、山積みにされた骨だけが残っていた。そこには、肉の繊維すら残されていなかった。
その隣では、ソフィーさんが静かにサラマンダー君へと薪を与えていた。質の良い薪だったのか、大口を開けてそれを飲み込んだサラマンダー君は、口からオレンジ色の火柱を上げて喜んだ。
ラスクを片手に、その様子をじっと見つめていたキラが口を開く。
「……私たちは魔法が使えないのに、サラマンダー君はなんで火を吹けるんだ?」
彼女の疑問は、説明するほどに専門性が高くなり、正しく理解させるにはなかなか骨の折れるものだった。つまりは、大人にとって都合の悪い質問。しかしこれに悠然と立ち向かったのは、芝居がかった口調をさせた大賢者だった。
「わたくしが説明しましょう。キラ、ついてきなさい」
彼はテーブルから立ち上がると、キラを連れて窓際まで歩いていった。姿勢正しく、小股で歩くその後ろ姿は、どこかで見たことのあるものだった。
「空を見てみなさい?」
「うん?」
ふわりと上げた腕で空をなぞる大賢者。キラは素直に彼の指示に従った。
「鳥たちが飛んでいますね?」
「うん」
「海をご覧なさい?」
「ん?」
大賢者が今度は下方へと、視線だけでキラを誘導した。よく見ると、彼は神秘的に目を半開きにさせていた。その目つきも激しく見覚えがあった。
「潮が満ち引きを繰り返していますね?」
「そうだな」
「いいですか? これらはいずれも、魔法の力ではありません。そして、決して誰にでもできるものではありません。謂わば、種に与えられた特権なのです」
「トッケン……」
ようやく大賢者が誰の真似をしているのかが分かった。彼は自分の母親を模倣してキラを諭していた。
私はソフィーさんと目を合わせ、笑っていいものかどうか、曖昧に表情を崩した。サラマンダー君は首を傾げて、無駄にクオリティの高い、窓辺の物真似ショーを眺めていた。アシハラとピィちゃんも、黙って彼らを見守っていた。
「サラマンダー君が扱う火の力。これも同じことなのです」
「それが、サラマンダー君のトッケン……」
キラは少し俯きがちに窓の外を眺めながら、考え込むそぶりを見せた。そのうちに、大賢者の言っていることがなんとなく理解できたのか、彼女は何度も小さく頷くと再び顔を上げた。
「じゃあ、私たちのトッケンはなんだ?」
「私たちの特権ですか? そうですねぇ……」
深い質問に対し、大賢者はゆっくりと、呼吸を整えるように水平線へと目を向けた。部屋には波音だけが響いた。
「ウンチをすることです」
ガッカリだった。腐っても大賢者。本家が絶対に言わないことを、平気で口走る。決して間違ったことを言っているわけではないのがまた、腹の立つポイントでもあった。
「……そうかぁ。だから、サラマンダー君はウンチしないのか」
親が親なら子も子である。事細かに分解をしていくと、本当にそういう結論に至るのが、悲しいところだった。
時間を無駄にするわけにはいかない。魔力のメカニズムという高尚な学問を、世界一下劣な会話に落とし込んだ親子は放っておき、私は一人、ベッドへと移動した。




