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大賢者の秘書官イシュタル ~何者でもない魔女の一生……になるはずだった~  作者: ふるみ あまた
5章 ゲームの章

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107 学ぶ世界観

 

 季節は春にあたるのだろうか。外に出てみると、少し肌寒い空気がローブ越しに体を包んだ。それでもイルハレバナの町は目まぐるしく動き続けている。通りでは艶やかな化粧を施した女性たちが、生まれたての朝の光を背に家路を急ぎ、町には聞き慣れないポテポテという硬質な音が響く。何事かと思いそちらを見ると、商人が馬車を引いて歩いていた。


「馬車なんかもあるんですね」


 私は、横で優雅に歩くソフィーさんに話しかけた。こちらを見下ろす彼女の顔はとても優しく、それこそ女神のようだった。


「ええ。リシオンの北大陸は、このイルハレバナから最南端にあるバル・エイドラムまで、『ニューロード』という一本の道でつながっているの」

「へぇ」


 道にまで名前を付けているとは恐れ入った。彼女は本気でこの世界を作り込んでいた。


「ひょっとして、地図みたいなものも売っていたりするんですか?」

「もちろん。馬車だって売っているわよ?」

「どうでもいいんだが、こんな早くに銀行なんかやってるのか?」


 会話に割って入ってきた大賢者の一言に、私の心臓はドキリと跳ね上がった。


「やっているわよ。銀行だけは二十四時間」


 無駄足じゃなかった。ソフィーさんが新たに明示した便利なゲームシステムに、私は胸をなでおろした。


「あっそ」


 大した興味も示さず、大賢者は粘土で固められた道をまた一歩踏みしめていく。


 ここで新たな疑問が沸き起こる。私は、先頭を歩く寒々しい背中に向かって言い放った。


「銀行がどこにあるか、わかって歩いているんですか?」


 すると大賢者はピタリと足を止めて、私の顔をじっと見下ろしてきた。


「お前が案内しろ。イブちゃんを出せ」

「そんな能力……」


 あるのですか。そう言い切る前に隣のソフィーさんを覗くと、彼女は微笑んだまま目を逸らすという、実に曖昧な表情で私を困らせてきた。


「もし無くったって、慣れておいた方がいいんだよ、お前みたいな小心者は。いいから、さっさと出しておけ。それがこの世界において、最も賢いお前だけの生き方になる」


 強者からの言葉というのは、どうしてもこうも深く突き刺さってしまうのか。魔法が使えない世界なのに、大賢者の言葉はいつも通りの威力を持っていた。


 自分の力だけでは生み出せない、常識外の者どもによって改造された使い魔を手のひらに召喚する。私はそれを操り、自分の肩の上に乗せた。閉じる瞼は片方だけ。そうすることで魔力の負担を減らし、自分の視界の確保もできる。


「うっ……」

「どうした?」


 白の外壁が美しいイルハレバナを、無数の星と数字の羅列が覆い尽くしていく。見やすいように配慮された濃い青色の文字の羅列がびっしりと、まるで生き物のように蠢いている。イブが映した街の風景は、こんがらがったスパゲティのようだった。


「ダメです」


 この町だけで、どれだけの商人がいるのだろう。私はたまらず目を開いて、泣き言をいった。


「いいか、タル。見えぬものこそ、だ。与えられたものを、すべて見ようとするな。もう一度、今度はそうだなぁ……巡回だと思えばいい。犯罪者を探すんだ」

「犯罪者?」


 言葉を反芻しながら記憶の糸を手繰り寄せる。その先にあった一つの確信に辿り着いた瞬間、大賢者が答えを口にした。


「よくいるだろう? いかにも無害な市民を装った異物が。数値の羅列の中に紛れている、そいつを探すんだ。目的地は銀行。残高はおそらくゼロ。あとはわかるな?」


 私は頷き、もう一度片目を閉じた。


 文字の羅列は生き物ではなく、パターン化されたデータに過ぎない。埋め尽くされた情報は、どれもこれも似たものばかり。その中にある、異彩を放つ『0』の文字――。


「……あっちですね」


 私が指差したのは東南東。道のりの詳細まではわからなかったが、そこが確かな目的地であるということだけは、自信をもって言えた。


「フィルタリング、かけられるけど?」


 すべてを台無しにする女神のひと言が私の胸を貫いた。


「……それ、今すぐかけてもらってもいいですか?」

「フハハハハ!! もっと早く言え、バーカ!!」


 今はいいが、結局はお金を預けたら数字が混在してしまう。爆笑する大賢者を横目に、私は脱力しながらも、その機能には頼らざるを得ないと思ってしまった。





 銀行は荘厳な石造りの建物だった。特別区のような区画なのだろうか、周囲は議会所や図書館を思わせる大きな建造物が立ち並んでいて、敷地内に植えられた樹木が解放感を漂わせていた。


 大賢者が重厚な扉を押し開くと、町の潮風と中の静寂が風となり、私たちの間で交差した。


「いらっしゃいませ。ご入り用でしょうか?」


 応対したのは、カウンター越しにこちらを見上げるポンパドールな髪型の男性だった。


「まずはこれを全部預かってくれ」


 大賢者が金貨袋を卓上へと叩きつけ、行内の厳かな空気を破った。


「かしこまりました。只今、集計いたしますのでお待ちください」


 銀行員の男性は、それに驚いた様子もなく、淡々と仕事をこなし始めた。


「手続きとか、ないんですか?」

「欲しかったかしら? プレイヤーはあなたたちだけだから、必要ないと思ったけど」

「いえ、今のままの方が助かります」


 正直な感想だった。現実世界でも採用してほしいと思うほどのスピード感がこの銀行にはある。法律上の問題で仕方ないとはいえ、こういった機関はとにかく時間がかかる。少々無機質なところもあるが、この世界も悪くないと思えた。


「お待たせしました。総計二万九千四百五十四リーブとなります」

「二万九千!?」


 提示された額に飛び上がった私は、大賢者へと詰め寄った。


「一万リーブくらいって、そう言ってたじゃないですか!?」

「ん? まぁまぁ、討伐報酬だけだったらな?」

「それって……」

「金貨は海賊船にも、いっぱいあったからなぁ」


 業務上横領、または着服。現実世界だったら、立派な犯罪行為である。


「……大丈夫なんですか?」


 おそるおそる、ソフィーさんを仰ぐ。


「それって、ダメなことなの?」


 その口からは、予想だにしない言葉が返ってきた。神族に育てられた彼女は、人間界のルールを知らない。私は大前提を尋ねてみることにした。


「警備局というか、犯罪を取り締まる組織っていうのは、存在します?」

「……欲しいの?」


 どうやら無いらしい。緩和と緊張が同時に襲いかかってくる。


 そういった機関が存在しない以上、今回の大賢者の行為に関してはお咎めなし。しかし、ファミリーの問題児は彼だけではない。特にキラが心配だ。どんな悪事も許されるというのならば、歯止めがきかなくなってしまう可能性だってある。そうなったら、これまでに積み重ねてきた、せっかくの教育が無駄になってしまう。


「何、青い顔してんだ? 心配しすぎだろ。キラのことならアシハラがいるし、お前だっているじゃないか。ついでに俺もな」


 それが一番心配なんだよ。


 声にならない心の叫びは、銀行員の次の一言に葬られた。


「全額、預入でよろしいでしょうか?」


 カウンターの上には、金色の薄い板が二枚と、サイズの違うコインたちが整然と並べられていた。

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