103 まったくうちの男どもときたら
窓から吹き込む黄昏時の風は、昼とはまた違うノスタルジックな匂いを運んできた。
高い天井がゆとりを生み出す宿の一室。目の前には正座してこちらを見るアシハラ。その腰には、漆黒の鞘に封じられる彼の愛刀『無銘破天魔』が携えられていた。
「別に怒っていませんから。何があったかを説明してください」
出かける前は刀など持っていなかったはず。それどころか、ピィちゃんまで、あの高級な火打石とオイルのセットを持って帰ってきていた。
浜辺に出かけていった二人の帰りは、思っていたよりも遅かった。ソフィーさんはそうでもなかったが、キラとサラマンダー君はその身を案じていた。私も一緒になって、この部屋で彼らの帰りを待ちわびていた。
だからこそ私はアシハラを問い詰め、彼からの詳細な状況報告を求めていた。
「……ごめんなさい」
私の思いとは裏腹に、アシハラは床に両手をつき深々と頭を下げる。私はため息をつき、この大型の中年男性に歩み寄った。
「何がですか?」
相手の目を見て問いかける。私のしていたことはただそれだけだった。それなのに、アシハラは勝手に縮こまって、太い手足を窮屈に畳み込んでいた。
「早く帰ると言ったのに、こんな時間になってしまって。ご心配をおかけしまして、そのぉ……」
ビクビクと怯え、言葉尻を濁す大男。この姿を見せられる度に、魔女としての支配欲求が満たされる。湧き上がる快感を抑えつけ、私はもう一度初めから聞き直す。
「それで、何があって、どうして刀を持っているんですか?」
「ですからそのぉ『ギャメラ』を……」
「だからその『ギャメラ』っていうのは、何なんですか?」
どうしてもわけのわからない単語が飛び出す。そのつもりはなくても私の語気は強まった。
「『ギャメラ』がいたのか!? 勝ったのか!?」
口を挟んできたのは、船酔いから完全復帰したキラだった。長く美しい金髪が寝ぐせであらゆる方向に乱れてはいたが、生姜飴の効果は覿面で、瑞々しい白桃のような顔色を取り戻していた。
「ピィ! ピィッピ、ピッピ!」
彼女の質問に答えたのはアシハラではなく、その傍らにいたピィちゃんだった。彼はシュバシュバと素早く両手を動かして、アシハラの大活躍を私に伝えてきた。
「やっぱり、勝てたのね?」
それまで自分のベッドに腰掛けて様子を見ていたソフィーさんがとどめを刺した。彼女は誰よりも無邪気であどけない喜びの表情をアシハラへと向けていた。
これで『ギャメラ』を知らないのは私だけということになった。何も間違ったことはしていないはずなのに、途端に孤独感が襲ってくる。
「クーン……」
サラマンダー君が悲しげな表情をさせて、同情的にこちらを仰いできた。私は彼の頭に手を置き、フワフワとした毛並みを楽しんだ。
簡単に救われた気持ちになった私は、落ち着いて状況を飲み込んだ。
「……その大層な『ギャメラ』とやらを倒して、刀を手にしたわけですね?」
「いやそれが、完全にそういうわけでもなくてですね、そのぉ……『限定解除』と申しますか」
アシハラの口から、またしても聞き覚えのない単語が飛び出した。
大賢者もそうなのだが、うちの男どもは、何を言っているのかわからない時が多すぎる。私はこめかみのあたりで起きた微細な血管の運動を無視し、表情を変えないよう努めながら短く言い放った。
「私にもわかる言葉でお願いします」
「だから、そのぉ……何でしょう、ええっとぉ……」
アシハラは視線をソフィーさんへと移し、それからピィちゃんへと素早く移行させた。
「あ、そうそう。破天魔のおかげで空は飛べたんですけど、結局、限定されているから、それはそこまでで、帰りもピィちゃん殿の力に頼ったんです。ね?」
「ピィ!」
「ははははは!」
そのとき、自分の中だけで何かが切れる音がした。
「何が面白いんですか!! ひとつもわかりません!! もっとちゃんと喋ってください!!」
私を孤立させる呑気なオジサンと、海賊退治に行ったきり帰ってこない大賢者。二人の男たちによってもたらされたストレスが私の理性を弾き飛ばした。
「ピ……」
「おい、ムガ。タルを怒らせるなよぉ」
「あわわわわ……」
「うふふふふ」
「クーン……」
室内の反応は様々に分かれた。
このままではいけない。自分を律するため、大きく深呼吸をしてからイルハレバナを一望できる窓へと移動する。
「ふぅ……」
両手を窓枠にかけ、色の変わってゆく街並みを眺める。そこかしこにあるかがり火台が一つ、また一つと灯され、間もなくやってくる夜の準備が始められていた。
通りを見れば家路を急ぐ人々が、火を点ける役人に挨拶を交わしている。港の近くは昼間の喧騒が嘘のように消え去り、人気のなくなった市場が次の朝を静かに待ち構えていた。
停泊した船たちが整然と並べられた波止場。大きな海原はキラキラと街の灯かりを反射させている。静けさに支配された暗がりの海が、一隻の帆船によって、その水面を切られた。
「……ん?」
帆船の船首に立っていたのは、見覚えのある不遜な男のシルエット。
「フハハハハハーッハ!! 浄化完了!! 街の者たちよ!! よく聞け!! この海域を荒らしていた族どもは一網打尽にした!! 我が名はデミナス・ケブラ!! 外なる神によってこの地に遣わされた、伝承者なり!!」
――バタン。
すべての感情と共に、私は木枠の窓を閉ざした。
大賢者が帰ってきた。
デミナス・ケブラになりきってこの世界を楽しんでいる男は、どうやら海賊退治を大成功のもとに収めたらしい。
「ピィ!」
「レオが帰ってきた!」
「あらららら……」
「はぁ……」
「キュオーン!」
その反応は実に様々。生傷だらけだったような気もするが、帰還した大賢者の気分は上々。これから始まるストレスに備えて、私は大きく息を整えた。
「おい、何窓閉めてんだよ、タル?」
いくらなんでも早すぎる。
私をあざ笑うかのように、次の瞬間にはもう、レオナルド・セプティム・アレキサンダーは部屋の扉を開いていた。
「はい、じゃあここまで運んで! そしたらもう、帰っていいから!」
大賢者が招き入れたのは、誰かさんにボコボコに殴られたのであろう、これ以上にないほどに顔を腫らした人相の悪い男たちだった。ひどい悪臭を放つその男たちは、金貨のたっぷり入った大袋、そして羽飾りのついた派手な海賊帽と刀身の曲がったカトラスを乱暴に床に叩きつけると、逃げるように部屋から出ていった。
「くっせぇ!」
キラから苦情を受け、私は再び窓を開ける。
「千何百リーブが何回かだから、全部で一万くらいだろう」
言い渡されたのは、どんぶり勘定による成果報告。
「すっげぇ!」
「ピィ!」
物質的な輝きに、子供たちは喜びの声を上げる。一方で、気持ちが切り換えきれなかった私は、ようやくのことで、この男の生み出す猛烈な空気の流れに逆らった。
「……傷だらけじゃないですか」
「おう。魔法使えねぇの、きっちいわ」
大賢者から返ってきたのは他人事のような言葉と、見たこともないほどの爽やかな笑顔、そしてどこまでも純粋で綺麗な瞳だった。どうやら魔法の使えないこの世界は、彼にとっては心底楽しいらしい。
「腹減ったな。飯食いに行こう。アシハラ、タバコは?」
「あぁ、その、メンソールなら」
いつの間にか正座を解いて立ち上がっていたアシハラが、その懐から煙草のパッケージを取り出して大賢者に見せた。
「メンソールぅ? ダメだそんなもん、ガキじゃあるまいし」
そもそもガキはタバコを吸ったらダメなんだよ、バカが。
世間ずれした注意をしながら、大賢者はアシハラに新しい煙草の箱を放り投げた。
「あ、すまん、タル。酒買ってくるの、忘れた」
「えぇ?」
「そんな顔をするな、お前は!! 下がメシ屋も兼ねてるらしいから、そこで好きなだけ飲め!! オラァ!! さっさと行くぞ、お前ら!! 手ぇ洗ったか!?」
あっという間に、いつものリズムが戻ってくる。大賢者に引っ張られるまま、私たちは部屋を後にすることになった。廊下にはガヤガヤと、騒がしくも心地の良い会話の音が鳴り響いた。




