8. リアム視点
リアム視点です。
俺は、泣いているオーロラ嬢を腕の中に閉じ込めたまま、どうしたものかと困っていた。
オーロラ嬢は、今にも壊れそうに細い。俺は、彼女を優しく包み込むように抱きしめた。
ピンクの髪はアップスタイルにまとめられていて、白いうなじがどうしても目に入ってしまい、何だか悪いことをしているような気分になる。花のような甘い香りが、俺の心をさらにかき乱した。
このままでは、まずい。
俺の心臓ももたないし、何より、オーロラ嬢が泣いている姿を、人に見られるわけにはいかない。
オーロラ嬢のためにも。それに……何故だろうか。彼女がこんな風に心を晒しているところを、他の誰にも見せたくないと、俺自身が思ったのだ。
「……オーロラ嬢、移動するぞ。俺の肩に顔を埋めていて構わないから、少しだけ我慢してくれ」
俺は彼女にそう声をかけて、膝の裏に腕を差し入れ、横抱きにした。
「えっ?」
「そのまま顔を隠していろ。見られたくないだろう。王宮の部屋を勝手に使っても良いのかわからないから、ひとまず俺の馬車に移動する」
オーロラ嬢は、少し躊躇いながらも、頷いて俺の首元に細い腕を回し、ぎゅっと縋り付いてきた。
俺は目を細めて微笑み、踵を返す。
反対方向へ歩き出す前に、彼女とぶつかった角の先にある廊下をちらりと見た。
俺を呼び出した張本人、アレクが口元に手を当てて呆然と突っ立っているのが見えて、何故か俺は少しだけ不愉快な気分になった。
*
オケアーノ侯爵家の馬車にたどり着いた頃には、オーロラ嬢は俺の腕の中で眠ってしまっていた。
そっと座面に下ろして、彼女の顔を眺める。
以前会った時よりも顔色は悪いし、こころなしか痩せているように見えた。
俺は自分の外套を彼女の足元に掛けてやりながら、そばに控えていた従者に声をかける。
「俺はアレクに話をつけてくる。すぐに戻るから、それまでオーロラ嬢を頼めるか」
「かしこまりました」
あの様子なら、しばらくは目を覚まさないだろう。しかしできるだけ早く戻らなくては。
シャーロットのように強く取り乱すことはないと思うが、目が覚めた時に、知らない馬車で一人では、きっと不安になるだろうから。
俺は王太子の執務室へと急いだ。
*
「おい、アレク。彼女に何を言った」
執務室に通されて人払いが済むやいなや、俺は開口一番、悪友へ文句を言った。
「ああ……リアム。ようやく来たと思ったら、いきなりそれ? オーロラに会ったのかい?」
アレクは、先ほど見た呆け顔はさすがにしていなかったが、陰のある微笑みを浮かべてため息をついた。
この憂いのある笑みが、一体何人のご令嬢を犠牲にしてきたことだろうか。……オーロラ嬢を含めて。
「アレク。オーロラ嬢が、あれほどまでに弱っていたのは、何故だ? まさかとは思うが、お前が彼女を追い詰めたのか?」
「逆に訊くけど、リアムは、気づいてなかったの? オーロラがここ最近、ずっと無茶をしていたこと」
「……どういうことだ? 彼女が忙しいことは知っていたが、半月ほど前に会った際には、あんなにやつれていなかったぞ」
「は? 半月って、二人はそんなに会っていなかったのかい?」
アレクは笑みを消して、目を見開いた。俺はぷいと視線を逸らす。
そりゃあ、俺とて不本意だ。
せっかく共犯関係になったというのに、あれから会えもしないまま。
シャーロットを蔑ろにすることなく、欠かさず見舞いの花を贈り続けてくれる彼女への感謝の気持ちが、どんどん積み重なっていくばかり。
それなのに、彼女は一向に見返りや謝礼を求めようともしないのだ。慎ましいにも程がある。
もっと彼女のことを知りたい。どうすればこの感謝を彼女に返せるのだろうか。
俺も、彼女が俺の『罪』を共に背負ってくれたくれたように、彼女の重荷を受け止め、少しでも支えてあげられたら――。
だが、フローレンス伯爵家への来訪はやんわりと断られたし、デートの誘いも振るわなかった。オーロラ嬢が王宮文官をしているのは知っていたが、用もないのに王宮へ顔を出すわけにもいかない。
だから、今日アレクから呼び出しを受けたのは、正直な話、渡りに船だった。ほんの少しでも、オーロラ嬢に会えるかもしれないと思ったからだ。
「……じゃあ、オーロラはリアムから頼まれたわけでもなく、何も言わずに、自分から光魔法を行使していたっていうのかい?」
「ん? 光魔法とは、どういうことだ? 彼女の魔法は、花魔法ではないのか?」
「……やっぱり。何にも知らないんだね、リアムは」
アレクは険のある言葉で俺を刺してくる。
従兄のアレクの方がオーロラのことをよく知っているのは当たり前だし、俺もそれを見越して、呼ばれたついでにこいつに話を訊こうと思っていたのに……何故だろうか、こいつの口から婚約者への無知を自覚させられるのは、ものすごく腹立たしい。
「オーロラはね。幼い頃、事情があってルミナス公爵家に預けられていた時期があるんだ」
「ルミナス公爵家に?」
「そう。リアムにオーロラを紹介した時に、彼女の母親が、私の母の妹だと言ったろう?」
確かに、オーロラと引き合わされた時に、アレクからそのように紹介されたことを思い出す。
王太子アレクサンダーの母、現王妃は、ルミナス公爵家の令嬢――つまり、ルミナス公爵家は、オーロラ嬢にとって母親の実家ということになる。
「私がオーロラと初めて会ったのも、その頃だ。ルミナス公爵邸に、茶会に誘われて遊びに行った時だった」
光のルミナス公爵家と闇のシェイド公爵家は、領地を持たず、王都に居を構えている。
光の精霊ルミナス、その精霊像は、大神殿の祈りの間に。
闇の精霊シェイド、その精霊像は、魔導図書館の地下に。
古の時代から存在するこれら二つの建造物、そのちょうど中央に、ここグランエレメンツ王宮が建てられている。
だから、王子のアレクが、ルミナス公爵家の子供たちと普段から交流を持っていたというのは、ごく自然なことだった。
「当時五歳だった彼女は……他の従姉妹たちに酷く虐められていてね」
「虐め……?」
「ああ。ルミナス公爵家は、浄化や治癒という、自分たちの唯一にして強力無比な加護を誇りに思っている。だから、他家の子供が少しでも光の魔力に馴染むのが、嫌だったんだろうね」
本来なら貴族家の子供は、魔力の器が安定する七、八歳頃まで自領で過ごすのが普通だし、そうせざるを得ない理由もある。
だが、どうしても自領を離れなくてはならない非常時には、自家と同じ系統の精霊を擁する家——大抵は親戚関係か、寄親寄子関係の家だが、そちらへ滞在させる場合もあった。
同系統の精霊なら、『拒絶反応』——二種類以上の精霊の魔力が器を奪い合い、本人の身体を蝕み、魔力の器を攻撃して壊してしまう反応が、起こりにくいからだ。
「偶然そのいきさつを見ていた私は、彼女を従姉妹たちから庇った。そこからだ……オーロラが、私を兄と慕って、カルガモのように後をついてくるようになってね。ふふ、可愛かったな、あの時のオーロラは」
アレクは、懐かしむように目を細めた。
その目に宿る感情は——俺がずっと、シャーロットに抱いてきたものと、よく似ているような気がした。
「それ以降、オーロラは他の公爵家の子たちと同じく、光の精霊の力を受け取ることになった。魔力の器を育てるためにも、必要なことだったから。でも、光の力は、すでに花の魔力とほとんど馴染んでいたオーロラには、荷が重かったらしい」
「……拒絶反応か?」
「いいや、拒絶反応は起こらなかったんだ。花も光も、生命に通じる精霊……同系統にあたるから。でも、精霊としての格が違いすぎた」
アレクは麗しい眉をぎゅっと顰めて、そう告げた。
「中級精霊の魔力に慣れた魔力の器に、上級精霊……それも特別強い精霊の魔力を注ぐのは、とても苦しいことだったらしい。けれど、オーロラは、苦しみながらも、光の精霊像に祈るのをやめなかった。それは……私が伝えた、ある『預言』のせいなんだ」
アレクは金色の瞳を伏せて、リアムにその時のことを語ってくれたのだった。




