7.
シャーロット様に会ったあの日以降、私はリアム様と会えずにいた。
年末年始の夜会シーズンが始まり、文官としての仕事に加えて、フローレンス伯爵家の仕事も忙しくなってしまったのである。
私の生家、フローレンス伯爵家の精霊の加護は、花魔法。
新年の舞踏会を始めとして、冬は華やかなパーティーや夜会が多いのだが、季節柄、綺麗に咲く花の種類が限られてしまう。
自然の花を飾れる春や夏と比べて、本来ならば冬場は会場の装花が寂しくなりがちだ。
そこで、花魔法の出番というわけである。
一家総出で会場に飾る花を魔法で咲かせ、納品し、時には自ら会場に足を運んで飾り付けを行う。
他にも花の品種改良など細々とした依頼もあるが、この会場装花の仕事が、フローレンス伯爵家が任されている最大の職務なのである。
そういうわけで、オケアーノ侯爵家に足を運ぶ時間があまり取れずにいたのだが、シャーロット様へのお見舞いの花束は、三日とあけずに欠かさず届けるようにしていた。
あの花束にかけた特別な魔法は、私の魔力量では三日程度しか保たないからだ。
リアム様は、毎回律儀にお礼の手紙を送ってくれた。
『花束をありがとう。シャーロットも喜んでいる。部屋が華やかになった』
『今度はこちらからオーロラ嬢の家に挨拶に行きたい。だが、この時期フローレンス伯爵家は皆忙しいだろうから、折りをみて時間を貰えると嬉しい』
そして――、
「シャーロット様の記憶の保持時間が、何故か少しずつ長くなっている……か。心身の不調も、特にないみたいね」
私は、リアム様の手紙を折りたたんで、文机の引き出しにしまう。
部屋は色とりどりの花だらけで、この文机とベッド以外、足の踏み場もないほどになっていた。
会場に飾るための普通の花を咲かせるだけなら、体調不良に陥ることもなく、こうしていくらでも簡単に出せる。花の精霊の力は、私に完全に馴染んでいるのだ。
「リアム様も喜んでいるみたい。手紙の文字が、ちょっぴり跳ねていたもの」
手紙には、シャーロット様の症状が改善したおかげで、少し街に出るぐらいの時間なら問題なく都合できそうだと書かれていた。
多忙な夜会シーズンが終わったら、一緒に買い物や観劇にどうか――とも。
「……ふふ。もしかして、私、デートに誘われたのかしら?」
あれから全然顔を合わせていないが、手紙のやり取りだけでも、リアム様の中では、私との距離はずいぶん縮まったことになっているらしい。
この婚約は王太子命令だし、アレクサンダー殿下からも「仲良くなる努力はちゃんとしてね」と言い含められているので、この対応自体にもこの流れにも一切問題などない。
ない、のだが。
リアム様の、シャーロット様への気持ちには、折り合いはついたのだろうか。
「……最初に、あんな風に言われているし。私も、あんなことを言ってしまったし……」
――俺は、君を愛せないと思う。
――私も、あなたと同じ。
私とリアム様は、共犯関係なのだ。はじまりから、ずっと。
歩み寄ることはできても、愛情が生まれることなんて、きっとない。
「……きっとあなたも、利用価値がなくなったら、私のことなど捨て去ってしまうのでしょう?」
――とはいえ。
私を捨てて、忘れて、婚約を白紙に戻して。
それで、元通りシャーロット様のもとへ戻ったからといっても、彼がシャーロット様に同じだけの気持ちを返してもらえるようになるのかは別だけれど。
「リアム様は、私と同じ。片方に大きく天秤が傾いた想いを抱えている」
先日、侯爵家でリアム様とシャーロット様のやり取りを聞いた限りでは、シャーロット様はおそらくリアム様を恋愛対象として見ていない、と感じた。アレクサンダー殿下と私と、同じ。
「けれど――私と違って、彼は、これから想いが報われる可能性があるのよね」
このまま瘴気病が改善して、シャーロット様の時が、進むようになれば。
リアム様の与えた水が、シャーロット様の心に届いて、芽を出すこともあるかもしれない。
「だから……忙しくて、ちょうど良かったかも」
デートをしたり、私の家族に挨拶をしたり、そんな暇がないのは幸いだった。
また、誰かに想いを募らせて、心を差し出して、そのまま捨てられてしまうことになったら……次はもう、耐えられないと思うから。
*
「オーロラ! 待って!」
いつものように、王宮文官の仕事で王太子執務室を訪れた後。
私は、急いで来客との話を切り上げたらしいアレクサンダー殿下に呼び止められて、廊下で立ち止まった。
「殿下、何かご用でしょうか?」
「君、最近無茶してるよね? 顔色がすごく悪いけど」
「そんなことはございませんよ。装花の準備で少し忙しいだけです」
「いいや、違うね。この時期フローレンス伯爵家が忙しくしているのは毎年のことだけど、それだけじゃそんな風にならないだろう」
殿下はしかめっ面で私の顔をぐいっと覗き込んでくる。甘く整ったかんばせが、吐息がかかるほどの近距離まで迫ってきて、私は思わず息を止めた。
「……光の力を使っているよね? もしかして、リアム絡み?」
全く、妙なところで鋭いお人である。私は、殿下から一歩距離を取って、ふう、とため息をついた。
「ねえ、オーロラ。私は、そんなつもりでリアムと君を引き合わせたんじゃないよ」
殿下は、美しいかんばせを悲しげに歪めて、その身を起こした。
「なら……どんなおつもりだったんですか」
私は殿下から目を逸らし、拗ねた子供のような口調で反論する。
「私はただ、精霊の導きに従っただけだよ」
グランエレメンツ王家の能力は、他の貴族とは一線を画している。
貴族家の人間は、その家と領地を守護する精霊に魔力を捧げて、かわりに精霊魔法の力を受け取り、使役することができる。
しかし、王族の血脈は、王国を守る大精霊から直接導きを得たり、『奇跡』を受け取ることができるのだ。
すなわち。
私とリアム様の縁を繋いだのも、王太子命令という正式な手順を踏むことができたのも、精霊の預言に従ってのことなのだろう。
「でも……大精霊様は、なんとおっしゃったのですか? もしかしたら、最初から私のことはどうでもよくて、花と光の複合魔法——私の特異な力を使って、リアム様の大切な方と、リアム様ご自身を救うことが目的だったのかもしれない。そうではございませんか?」
「それは……わからないけど……」
大精霊の預言は、完璧な形で降りてくるとは限らない。
預言では、とある決められた結果に至るまでの、最短の道のりが提示されるだけなのだ。
その解釈は、王族や預言の関係者が、自分たち自身で判断しなければならないのである。
「でも、それ以上に……私は、君とリアムに、幸せとか、愛情とか、そういう穏やかな安らぎを知ってほしかったんだ。まさかそれで君がこんなに無茶することになるなんて、私は」
「ふふ……、幸せ……? 愛情? 穏やかな安らぎ、ですか」
私は、思わず笑ってしまった。
低く、声を震わせながら。
「それなら、どうしてあの時、気まぐれに私を庇ったりしたのですか。あのままルミナス公爵家から追い出されていれば、私はこんなに苦しんだりしなかった。魔力の器は育たなくても、心乱されない、穏やかな生活を送れた! 結局、殿下も、私の特異な力が欲しかったのではないのですか!?」
声を震わせながら、しかしはっきりとした口調で言い募ると、殿下は金色の瞳をこれでもかと見開いて、私を見つめた。
私がこんな風に殿下の前で声を荒らげるのは、ほとんど初めてのことだ。
殿下は、驚いただろうか。幻滅しただろうか。
けれど、もはやそんなこともどうでも良くなっている自分がいた。
「オーロラ……私は、そんなつもりじゃ」
眉尻を下げて困惑する殿下の、なんと情けないことか。
——ああ、なんだ。こんなものだったのか。
気がついてしまえば、思ったよりも簡単だ。
波が引いていくように、夢から醒めるように、すっと熱が冷えていく。
「ふふ、そればっかり。殿下のつもりと、精霊のつもりと、周囲のつもりは、いつだって噛み合わないのですわ」
「オーロラ、本当にごめ——」
「……アレクお従兄様は、残酷なお人です。どうして私は、あなたを好きになってしまったのでしょうね」
言い捨てた私は殿下とすれ違って、廊下の奥へと足を進める。
唇を噛み締めて、涙をこぼさないようにと気を張りながら、角を曲がったところで、私は背の高い誰かに思い切りぶつかってしまった。
「っ、すみませ……」
「……オーロラ嬢?」
上から降ってきたのは、澄んだ小川のせせらぎのような、涼やかで優しい声。
魔法の雨の下、ひとつの傘に入った時と同じ、爽やかな香水の香りがする。
顔を上げると、そこには予想通りの、端正なかんばせが見えて。
「……っ、うっ、うう」
——頼ってもよい人だ。
私の弱みを知っている、今は私だけの、共犯関係。
そう認識してしまうと、もうだめだった。
こらえていた涙が、堰を切ったように溢れ出す。
「っ、オーロラ嬢? どうしたんだ。一体何があった?」
「り、リアム、さま……っ。ごめ……、ごめんなさい……っ」
迷惑だとは思いながらも、私は、リアム様の胸に顔を押し付けて、泣き出してしまった。
リアム様は、何も言わずに、私の身体をそっと抱きしめてくれたのだった。




