4. 義妹の『病』
外は晴れているのに、リアム様は傘を手に取り、庭園へ出て行く。日傘ではなく、雨傘だ。
「傘ですか……?」
「ああ。すぐ必要になる」
その言葉の意味は、本当にすぐに判明した。シャーロット様が療養する離れに近づくと、そこだけ雨が降っていたのだ。
離れと本邸とは渡り廊下で繋がっているということもなく、傘を差して庭園を横切らないと近づけない。
「失礼する」
リアム様は大きめの雨傘を開くと、一本の傘の中に二人でおさまるように私の腰を抱き寄せた。
私は思わず身をびくりと震わせてしまったが、リアム様が「すまない。少しの間、我慢してくれ」と言って申し訳なさそうに眉尻を下げたのを見て、自分から身を寄せた。
仮初めの婚約者の大きな手の感触は、案外不快ではない。
彼のつけている香水の爽やかな香りと、私をいたわる手の優しさに、少し落ち着かない気分になってしまった。
「この雨は、魔法の雨ですよね? どうしてここだけ降らせているのですか?」
オケアーノ侯爵家は、水を司る家門。それも、侯爵家の彼らは魔力も潤沢だ。
だから部分的に雨を降らせるのは容易いことなのだろうが、ずっとこの雨を維持するのはそれなりに大変なはずである。
「雨が降っていれば、シャーロットも外出すると言い出さないから」
リアム様の回答は、意外なものだった。病弱なら、外出するなんて無茶は言い出さないのではないかと私は首を傾げるが、リアム様はこちらを見ることなく、離れの上空に浮かぶ雨雲を見上げている。
「それに……あの日は晴れていたからな。雨の方が都合が良い」
「あの日?」
私の問いかけに、リアム様が答えてくれることはなかった。
*
リアム様にエスコートされて離れに到着すると、使用人の女性が出迎えてくれた。
オケアーノ侯爵邸に来る前は、もしかしたら使用人たちに悪意を向けられるかもしれないと考えていたのだが、それは杞憂だったらしい。
執事の男性と同様に、ここでも私は丁寧に、好意的に迎えられたのだった。
「シャーロットの部屋はこの奥だ。……先に言っておく。会話が噛み合わない場面があると思うが、ひとまず適当に流して、上手くあしらってくれると助かる」
「はあ」
リアム様はやや緊張した面持ちでそう言った。
私は、彼が何を心配しているのかいまいちわからなかったので、曖昧に返事をする。
私たちはほどなく廊下の奥に到着して、立ち止まる。
リアム様は一度深く息を吸うと、扉をノックして声をかけた。
「シャーロット。入ってもいいか?」
「その声はリアムね! どうぞ」
鈴を転がしたような声が聞こえてきて、リアム様は部屋の扉を開けた。
扉の前にリアム様が立っているので、私からは室内は見えないが、とてとてと小走りで近づいてくる足音が聞こえてくる。
「リアム! あら、あなたまた背が伸びた? 氷菓子ならもうとっくに届いてるわよ! 先にちょっといただいちゃったわ」
「そうか。それよりシャーロット、今日は王都から客人を連れてきたんだが、会ってもらっても?」
「まあ、お客様? もちろんよ、中へどうぞ!」
リアム様が頷いたので、私は室内へと足を踏み入れる。
シャーロット様は、リアム様の一つ下、二十三歳。
水色だった髪は色が抜けて雪のように真っ白になってしまっているが、青緑色の澄んだ瞳は変わらず、美少女から美人に変貌していた。
「失礼します。以前お見かけしたことはございましたが、こうしてご挨拶させていただくのは初めてかと存じます。フローレンス伯爵家の、オーロラと申します」
「わあ、ご丁寧にありがとうございます! はじめまして、レイン子爵家のシャーロットです。足元の悪い中、遠路はるばる、ようこそお越し下さいました」
「……? ええと、お招きありがとうございます」
――確かに、先ほどからたくさんの違和感を感じる。
シャーロット様は、今はオケアーノ侯爵家の養女なのだから、レイン子爵家を名乗るのは変だ。
遠路はるばると言うが、ここは王都だし……何よりおかしいのは、シャーロット様の体調がどこも悪くなさそうなところである。
それに、その前のリアム様との会話も、よくよく考えたら違和感しかない。
思わずリアム様を仰ぎ見ると、彼は思わせぶりに首を縦に振った。
——なるほど、適当に流して上手くやれ、とはこのことか。
私は納得して、リアム様に頷き返した。
「あらあら? もー、リアムも隅におけないじゃない」
「っ、そう言う訳じゃ……」
「だって、わざわざ王都からレイン子爵領まで連れてくるってことは、大事な人なんじゃないの?」
「違う! そうじゃない」
シャーロット様は、何をどう勘違いしたのか、くりくりの目をリアム様と私に交互に向けて、天使の微笑みを浮かべる。
リアム様は慌てて否定しているが、私はさらなる違和感に首を傾げた。
——二人は、恋人同士ではなかったのだろうか。
これでは、まるで……。
「ふふふ、リアムったら、わたしにベッタリかと思ったのに、素敵な人がいたのね。なあんだ、そっか。安心したけど、幼馴染としてはちょっとだけ寂しいな……、ふふっ」
「……そうじゃない……俺は……俺にとって大切なのは……」
リアム様は、すごく苦しそうな表情で、頭を横に振り続けている。
一方のシャーロット様は、言葉通り少し寂しそうな表情をしてはいるものの、傷ついた様子は見られない。
「あの!」
——これ以上は、見るに耐えない。
私は、思い切って二人の会話に割り込んだ。
リアム様は俯いたまま、シャーロット様の瞳だけが私の方を向く。
「シャーロット様。私とリアム様は、そういう関係ではありません。お仕事仲間なんです」
「え? そうなのですか?」
「はい。王太子殿下からいただいたお仕事で、ご一緒させていただいております」
「まあ、エルネスト殿下の? すごいわ、それは名誉なことですね!」
「……ええ。本当に」
——やっぱり、そうか。
今の会話で、私は確信した。
現在の王太子は、アレクサンダー殿下。
エルネストとは、アレクサンダー殿下のお父上、つまり現国王陛下の名前だ。
エルネスト陛下が王太子だったのは、五年前までである。
つまり。
リアム様が、『シャーロット様は七年前からずっと変わらない』と言ったのは、言葉通りの意味なのだろう。
彼女の時は、七年前からずっと止まったまま、動いていないのだ——。
「ええと、ところで、自己紹介がまだでしたね。わたしはシャーロット・レインと申します。今日はお仕事で子爵領までいらしたのですよね。遠路はるばる、ようこそお越しくださいました」
「……ご挨拶が遅れまして、申し訳ありません。オーロラ・フローレンスです。よろしくお願いいたします」
「まあ、とっても素敵な方で安心しました! オーロラさん、リアムがご迷惑をおかけしているでしょうけど、こう見えても不器用なだけで良い子なので、幼馴染のこと、どうかよろしくお願いしますね」
明るく笑うシャーロット様になんとか微笑み返したところで、リアム様が「俺たちはそろそろ行くから」と言って、私を外へと連れ出したのだった。




