19. 理由
地下水脈に瘴気溜まりが発生した事件から、はや数日。
私はリアムと一緒に、王都の中心街に来ていた。
冬の王都は寒いけれど、風もなく空は澄み、光の当たるところを歩くのは心地よい。
「オーロラ、疲れていないか?」
隣を歩くリアムが、心配そうな瞳をこちらへ向けた。
青い髪がさらりと揺れる。灰青色の瞳は柔らかな光で照らされ、淡く透き通って輝く。
「ふふ、平気よ」
「そうか。疲れたらすぐに言ってくれ」
「ええ。ありがとう」
私が目を細めて微笑みかけると、リアムは少し安心したように口元を綻ばせた。
その拍子にわずかに距離が縮んだようで、お互いの手の甲が軽くぶつかる。
「あ、すまな――、っ?」
リアムは慌てて手を引っ込めようとしたが、私はそれより早く、彼の手を指先で捕まえた。
「リアムの手、あったかい」
そっぽを向いたまま、私がそう口にすると、リアムはふっと笑った。
「オーロラの手は、手袋越しでも冷たいな」
リアムは私の指に自らの指を絡めて、ぎゅっと優しく握る。
「今度、もっと厚手の手袋を贈るよ」
「ふふ、贈り物をしてくれるのは嬉しいけど――手袋はいらないわ」
私はリアムの方を振り向き、視線を合わせて、手を握り返す。
リアムは一瞬ぽかんとした表情をしたが、すぐに嬉しそうに目を細めた。
「――そうだな。やはり、帽子か襟巻きにしよう。あなたの赤く色づいたその頬が、他の男から見えないように」
「り、リアムってそんな感じだったっけ!?」
手だけではなく、全身がぽかぽか暖まってきて、慌てて彼から離れようと身を引いた。
しかし、逆に握った手をぐいっと引かれて、私は抗えずリアムの胸の中にすっぽりと収まってしまう。
途端、彼のつけている香水の、爽やかで清潔な香りに包まれた。
「~~~っ」
反対の手で軽く抱きしめられて、私は息を詰めた。
リアムがくすりと笑い、耳元に熱い吐息がかかる。
「可愛い」
リアムはすぐに私を解放した。手は変わらず繋いだままだ。
私は手を離すのを諦め、潤んだ瞳で彼をキッと睨み付ける。
「ふ、随分情熱的なのだな、オーロラは」
「それはあなたの方……っ」
私は口を尖らせて抗議しようとしたが、優しく手を引かれて歩みを再開し――、ここが街で、道の真ん中だったことを思い出した。
「道の途中で立ち止まって抱きつくなんてな?」
「な、な、な」
「俺は嬉しいよ」
「リアムのばか……!」
周りからの視線を感じていたたまれなくなり、私は石畳に目を落として黙々と歩みを進めたのだった。
そんなこんなで途中から街の景色を楽しむ余裕もなくなってしまったが、王都中の水が突然凍りついたあの夜の混乱の跡は、もう一切残っていない。
街中の小さな配水塔から流れる噴水は、清らかな水をたたえている。
植物の枝と蔓、そして精霊の力に満ちた魔晶石で形成されている、王都を象徴する数々の空中回廊――それらを流れゆく浄水路にも、瘴気の靄は一切見えなかった。
「もう、すっかり元通りね」
少し休憩をとろうと、私たちは公園のベンチに並んで座っていた。
噴水の水が爽やかな音を立てながら流れてゆくのを眺めていると、ホッとした気持ちになる。
「ああ。オーロラが頑張ってくれたおかげだ」
「リアムもよ。オケアーノ侯爵とノア様もね。それから、ルミナス公爵家の皆さん、騎士の皆さん、王国上層部の皆さんに……シャーロット様も」
「数え切れないほど多くの人々の協力があって、今回の事態を解決することができた。誰一人として、欠けていてはならなかった――陛下もそうおっしゃっていたな」
リアムの言葉に、私は頷く。
あの日。
シャーロット様の部屋から持ち出された『光の花』によって、無事に全ての配水塔の浄化が完了した。
日付が変わってから一刻と少し。ノア様の協力もあってどうにか間に合った形だ。
だが、事態の収拾に奔走した者たちは皆、へとへとになって、そのまま王宮で一夜を明かした。
「魔法を使っていた皆さんはもうすっかり疲れちゃって、昼過ぎまで寝ていたのよね」
「そうだったな。俺は朝になって一度目が覚めたが、王族や文官たちは夜からずっと忙しく動き回っていて、大変そうだった。あなたも、目が覚めるなりいきなり職場に直行しようとしたと聞いて、驚いたよ」
「……だって、同僚が皆忙しくしてるのに、私だけ寝てるわけにはいかないと思ったんだもの」
「『体調管理も大切な仕事。休むのも仕事のうちだ』と職場の上司から伝言をもらっていなければ、あなたは無理にでも仕事に行って、きっとまた倒れていたのだろうな」
私は、リアムの言葉にしゅんと肩を落として、ごめんなさいと謝罪する。
リアムは苦笑して、肩をぽんぽんと優しく叩いた。
「それにね。仕事でもなんでもいいから、とにかく動いてないと、あのことが気になってしまって……。でも、魔力は回復してなかったから……私、何の役にも立てないのが、怖かったのよ」
「……シャーロットのことか」
シャーロット様は、オケアーノ侯爵夫人とケヴィンさんに付き添われて、夜のうちに侯爵邸の離れに戻っていた。
「私が仮眠から覚めたあとも、シャーロット様が目覚めたっていうお知らせが来なかったから。だから、不安だったのよ」
「そうだよな……あんなことを言われた後だったし、あなたも気がかりだったよな」
リアムはあの日のことを思い出したのか、ぎゅっと眉間に皺を寄せて声を落とす。
「もし症状が悪化したら、もう治療しなくていい……か。……俺が、シャーロットをあんなに思い詰めさせてしまったのだな」
「リアム、それは……」
「いや、いい。わかっているから」
リアムは寂しそうに笑って、首を横に振った。
——彼の優しさが、責任感が、彼が『罪』であり自分が一生背負うべきだと思っていたものが、シャーロット様を追い詰めてしまったのは事実だ。
けれど。
「——シャーロット様は、幸せだったと思うわ」
私が花を贈り始める前の彼女の生活は、リアムたちに再現できた最良の箱庭であり、幸福の檻だった。
「少なくとも、施設に入れたり、新しい生活をさせたりするより、彼女の心はずっと安定していたと思う」
「そうだと良いんだが」
「私も……勝手に光の力を使ったりして、ごめんなさい。あなたやシャーロット様の気持ちも考えずに、自分本位な理由で……」
「——それこそ、違うぞ」
私がそう言って俯くと、リアムは強めの口調で否定した。
私は、顔を上げる。
リアムは、殊更優しい表情で私を見つめていた。
「あなたは、アレクへの当てつけだと言っていたな? だが、それなら、他の方法も取れたはずだった。例えば、俺や侯爵家が困るようなことをして破談にするとか、実はもう恋人がいるから余計なことをするなと言って怒るとか」
「う……確かに」
リアムの言う通り、アレクサンダー殿下を困らせるためだったら、もっと簡単かつ直接的な酷い方法を取ることもできたのだ。
「なのに、あなたは自分の心身を削って、俺やシャーロットのために力を尽くしてくれた」
——ならば、私が、簡単な方法を取らずに、リアムやシャーロット様を救えるかもしれないやり方を選んだのは、何故だろうか。
「俺は、あなたのそういうところが、本当に好ましいと思っているし——少し心配でもある」
「心配?」
「ああ、心配だよ。オーロラが、優しすぎるから」
くす、と困ったように微笑んで、リアムはそっと私の髪に触れる。
「……私、誰にでも優しくするわけじゃないわよ。それに、優しいっていうなら、リアムの方が……あ」
そこまで言って、私はようやく気がついた。
私が、光の力まで使って、まっすぐにリアムと向きあった理由に。
「ん?」
「そっか……ふふ。そうだったのね」
「何がだ?」
澄んだ灰青色を見つめ返しながら、私は口元を綻ばせる。
「私——リアムに、幸せになってもらいたかったんだわ」
私が微笑みながらそう言うと、リアムは形良い目をぱちぱちと瞬かせた。




